「はぁ……」
誰にも気付かれないような小さな溜息を一つ。
教室で自分の席に座る私の手の中には、割れてヒビの入ったシャーペンがあった。何か特別な思い出があるわけでもないし、高価なわけでもない。ただ、高校受験を始めた頃から愛用していたもので、このシャーペンで問題を解いていると不思議と自信がわいてくる。ただそれだけのことだった。
「紫原くんに悪いことしちゃったな……」
彼がわざとシャーペンを壊すような人じゃないってわかってる。だから、それを責めるつもりなんてこれっぽっちもなかった。それでも突然の出来事に驚いて「気にしないで大丈夫だよ」とちゃんと伝えられなかった気がするのだ。
明日もう一回大丈夫だと伝え直さないと。そう決意しながら壊れたシャーペンを手にとってゴミ箱へと向かった。
「名前ちん……!」
「え? あ、紫原くん……」
ゴミ箱の前に立ってシャーペンを捨てようとしたまさにその時、教室のドアが大きな音を立てて開いて、それをくぐるように紫原くんが中に入ってきた。
私が何をしようとしていたのか気付き表情を暗くした彼は、ゆっくりとこちらへ近づいた。
「あのね名前ちん……」
紫原くんが私よりもずっと背が高いことは知っている。そのはずなのに、雨に濡れた子犬みたいにしょんぼりとした顔をする彼は実際の身長よりも一回りもふた回りも小さいように見えた。
「そのシャーペン……」
紫原くんが私の手中にあるそれを指差した。
「本当にごめんなさい……」
「紫原くん……」
「オレ、壊すつもりなんてなかった。名前ちんにちゃんとお礼しようと思って、シャー芯入れようとしたら落としちゃって……それで」
「ねぇ、私、気にしてないよ?」
「でも、名前ちん泣きそうな顔してたじゃん……。だからオレ名前ちんに嫌われたらどうしようって……。これ以上嫌われないように小さくなりたかったけど、スモールライト持ってねーしっ……ごめんね名前ちん、ごめん」
今にも泣きそうな顔で紫原くんはじっと私の目を見ていた。苦しげに歪んだ口を開けば謝罪の言葉と私の名前だけがこぼれる。
シャーペン一本のことなのにここまで真剣に考えて謝ってくれる紫原くんに、何故だか私まで泣きたくなってしまう。
なんだろう、すごく嬉しい。
不謹慎だけど、こんなにも心優しい人がいるんだって、心が温かい。
「大丈夫だよ、紫原くん」
そうなだめるように言ってから、彼の大きな手を両手でぎゅっと握り締めた。
「あのシャーペンが壊れて残念に思っていたのは本当だよ。だけどね、物はいつかは壊れちゃうものだし、それに、なにより紫原くんがこうやってシャーペンのこと真剣に考えてくれていた事実がすごく嬉しいの」
だからね、ありがとう。
その言葉とともににこりと笑って見せると、紫原くんは驚くように目を開いた。
「名前ちん、許してくれるの……?」
「許すもなにも、元から怒ってないよ?」
「うん、そっか……そっか」
何か自分に言い聞かせるように数回頷くと、紫原くんはありがとうとようやく笑って私の頭を撫でた。
「代わりってわけじゃねーけど、今度シャーペンをプレゼントしたら使ってくれるー?」
「もちろん。それで一緒に勉強しよっか?」
「え……」
「はい、決定! 楽しみにしてるね?」
「……うん」
勉強という言葉に難しい顔をした紫原くんを丸め込んで勉強の約束を取り付けてしまった。
勉強はもちろんだけど、それを通じてもっと紫原くんのことを知っていけたらなって。こんな私の本音はしばらくの間秘密にしていこうと思う。
優しい人
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