目を開くと、まず木目の天井が目に入った。おそらくここは私の自室だろう。だだ、どうして私がここに居るのかはわからない。
その次に感じたのは冷たさだった。身体には小さな息苦しさがあって、肺に溜まっていた空気を震えるように吐き出した途端、私の視界までも覆い隠してしまうほど大きな冷たい何かが額にのせられたのだ。
「気分はどうだ?」
「土方さん…?」
声だけでわかったその人は、熱はだいぶ下がったみてーだな、と額から頬にかけてそっと撫でながら言った。額にのせられていた何かとは土方さんの手の平だったらしい。ようやく意識がはっきりとしてきた私の脳内に、今朝の出来事が一瞬で蘇った。
「風邪ひいてるのに、どうして無理に働こうとした?いきなり倒れちまうから心配したじゃねーか」
「ごめん…なさい…」
「俺は、お前が無理をした理由を訊いてんだ」
どんな表情も浮かべていなかった顔が、途端に困ったような、または若干の怒りを含んだものに変わり、その変化を見ていた私は、思わず肩を縮こまらせてしまった。もしかして彼の気分を害してしまったのだろうか。そんな焦りにも似た不安が私の心の中で渦巻いていた。そのせいで妙に息苦しくて、何か喋ろうとしても、喉から鳴る音が上手く言葉にならなかった。
きっと、私は今にも泣き出しそうな顔をしていたに違いない。それに気付いた土方さんは、悪ぃ、と自分自身に向けて溜息をつくと、もう一度私の頬を撫でた。怒ってねーから理由を聞かせてくれ。今度は柔らかな声でそう言った。
「皆さんに嫌われたくなかったんです……」
私は布団の中から上半身を起き上がらせた。
攘夷浪士の襲撃により、家族も住む場所も何もかも失った私には、土方さんが与えてくれた真選組の女中という立場しか自分自身を守ってくれるものが無い。だから、一生懸命働いて恩人である真選組の皆さんの役に立たないといけないのだ。役に立って「ここに居てもいい」と、私の存在を肯定してもらわなければ、この世界の何処にも私の居場所は無い。
「今日はご迷惑をかけてしまい申し訳ありませんでした…!次からは絶対に迷惑はかけません!だから、これからもここで働かせて欲しいんです…!」
半ば叫ぶように涙で掠れた声で言った私は、土方さんに向かって自分の額を畳の上に擦りつけた。土方さんは何も答えてくれない。その沈黙が何よりも怖かった。このまま私はどうなってしまうのだろう、そんな恐怖のせいなのか、それとも気温のせいなのかわからないが、正座をして頭を下げる私の身体は小刻みに震えていた。
「もういい…、顔をあげろ」
「お願いしますっ…!」
「名前……」
彼の表情を知ることのできない私には土方さんの言葉が私自身を投げ捨てるもののように聞こえた。それでも引き下がるわけにはいかないと再び頭を畳に押し付けようとすると、強引に引かれた腕と共に全身が土方さんの身体に包まれた。
状況がしっかりと飲み込めない私は大きく目を見開いた。土方さんの吐息が私のうなじを微かに擽る。ガラスを扱うようにそっと肩に触れたその手からは、じんわりと何物にも代え難い優しい温かさが伝わってきた。
「お前はよくやってる…」
「でも…っ!」
「そんなお前を、ここから追い出すわけねェじゃねーか。お前の居場所は間違いなくここだ」
「っ……!」
「だからもう、無理すんじゃねェよ」
私だけではなく、そう言った土方さんの言葉も小さく震えているように感じられた。私の為に悲しんでくれている。そんな我が儘な考えも赦してもらえるのだろうか。
「私…、ここに居てもいいのですか…?」
「安心しろ、お前はもう独りなんかじゃねェ。俺がずっと…名前の傍に居る…」
「土方、さん…っ」
伝えたい気持ちはたくさんあるのに、それをどんな言葉で表したらいいのかわからなかった。彼の優しさが私の心を徐々に満たしていく。それは春の陽射しのように温かくて、目を閉じて彼の心音に耳を澄ませた瞬間、全てを失った私の心の中に新しい何かが芽を出したような気がした。
花咲くその日まで
この気持ちを大切に育てていこうと思うのです
Fin.
2周年記念リクエストの4つめは都史佳さんからの「全てを失った少女と、それを拾った土方」を小説にしました。「俺がお前の傍にいる」の台詞も使用させていただきました。
リクエストを読んだ瞬間に情景が思い浮かび、これは書くしかない!と即決した記憶があります。
実際に書いていていると、長編にして女の子の設定をもっと詳しく描きたいと強く思いました。無理矢理まとめてしまった感が否めないです。
都史佳さん、リクエストをありがとうございました!
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