正直に言って、犬は好きなわけでも嫌いなわけでもない。
けど、きみから見たオレは「家の事情で泣く泣く飼うのを我慢してる大の愛犬家」ってことになっているんだろうな。
「おはよう、名前ちゃん」
「あ、黄瀬くん! おはよう」
首を小さく傾げて微笑んでくれた彼女のポニーテールが元気よく揺れる。
今日は普段と違う髪型をしていることにオレが気付かないわけがなくて、何か気のきいた褒め言葉を……と頭の中で考えていたら、彼女の足元にいた真っ白なチワワが「僕の存在を忘れるな」と不満をもらすようにワンと吠えた。
ごめんごめん、としゃがんで頭を撫でてあげると、短い尻尾がブンブンと嬉しそうに揺れた。
「ポチもおはよ。へへ、今日も元気っスね。んー、相変わらずふわふわで手触りサイコー」
「今日も黄瀬くんに会えて良かったねー、ポチ。遊んでくれてありがとうってお礼言わなきゃ」
「っ……!」
ポチに話しかけるように彼女はオレの隣にしゃがみこんだ。
立っている時よりもずっと近いその横顔に、オレの視線は彼女に釘付けだ。なんだかいい香りまでしてきた気がして、そろそろオレの頭もヤバイかもしれない。
「黄瀬くんも偉いね」
「え? 何がっスか?」
「だってこんな朝早くからランニングでしょ? 私、この子の散歩がなかったら早起きできないもん」
「はは、こーゆーのは慣れっスよ。つか、オレもほんとは早起きがすげー苦手でトレーニングだから仕方なくって感じ?」
高校に入ってから初めた毎朝のランニング。やる気はあったけど、早起きが辛くて毎日続けられるか正直心配だった。
ランニングを日課に定めてなんとか一週間経った頃から、同じ時間・同じ場所で犬を連れた女の子とすれ違うことに気付いた。一度意識してしまうと、その子に対する興味がどんどん膨らんで、初めは挨拶、次の日は自己紹介、その次の日は……、と徐々に彼女のことを知っていった。
そして気が付くと彼女と会えるこのランニングは、バスケと同じくらい一日の中で楽しい時間になっていたんだ。
「そういえば黄瀬くんってバスケをやってるんだっけ?」
「そうっスよ。こう見えてもそれなりに強いんスから!」
彼女にいいところを見せられる話題に自然と声が大きくなった。ちょっとやりすぎたかも、と顔を赤くしたけれど、彼女はそれに気付かない様子で「今度、試合を見てみたいなぁ」と楽しそうに呟いた。
「うちの高校もたしかバスケがすごく強いんだよ。秀徳高校って聞いたことある?」
「え?! 名前ちゃん、秀徳なんスか?!」
「うん、そうそう」
「ってことは、緑間っち知ってる?」
「もちろん。緑間くんとは同じクラスだもん。ちょっと変な人だけど、バスケはすごく上手だってみんな言ってる。黄瀬くんは緑間くんと知り合いなの?」
「同じクラスとか緑間っちずりぃ……」
「黄瀬くん?」
「え? あ、えーっと、緑間っちとは同じ中学だったんスよ。だから、超仲良し! つか、親友みたいな?」
緑間っちごめん!
心の中で緑間っちに侘びをいれると、オレは名前ちゃんに向けてにこりと笑った。「お前と親友だと?馬鹿め。ふざけるな」なんて緑間っちの氷みたいに冷たい顔がすぐに浮かんできたけれど、彼女との接点をみすみす逃すわけにはいかない。
「あ。今度、秀徳と練習試合するんスよ。だから、名前ちゃんも見にこない?」
「え? んー……、バスケのこと良くわからないけど、それでも大丈夫かな?」
「だいじょーぶ。ルールとかわからなくても見てるだけで絶対楽しいって! むしろ、オレがルール教えてあげるし」
「ふふ、それなら今度行ってみようかな?」
「マジ? 約束っスよ?!」
「うん、約束」
くすくすと可愛く笑う名前ちゃんと小指を絡めて約束を交わす。
ああもう、この時間がずっと続けばいいのに。そんな願いもむなしく、彼女は「そろそろ行かなきゃ」と立ち上がった。
「じゃあね、黄瀬くん。今日も練習頑張ってね!」
「ありがと。名前ちゃんに楽しんでもらえる試合をする為にも頑張るっスよ!」
またね。とモデルの仕事をしている時以上に笑顔を意識してみたり。
とりあえず、ランニングが終わったら数ヶ月ぶりに緑間っちにメールをしてみよう。そして、あわよくば名前ちゃんのアドレスを……。あー、いや、それは自分で聞き出すべきか?
とにかく、今日は一日すげー頑張れそうな気がする!
いつもよりもずっと軽い足取りで、オレはランニング後半戦を開始した。
Happy Morning !
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