「ねぇ、沖田くんの好きな音楽って何…?」
「総悟、だろ?」
「えっ…、あ……!」
ごめん、そう小さく呟くと私は彼に向けていた視線を自分の足元へ移した。
高校に入学してすぐに好きになった沖田総悟くん。たぶん、一目惚れってやつだったのだろう。けれど、時間が経つにつれてその気持ちは憧れに変わっていって、ただ彼を見ていられればいいと、そう思うようになっていた。それなのに3年生になった春、初めて同じクラスになった沖田くんに告白されて、なんと付き合うことになったのだ。
「お前が好きなんでさァ」と、3Zのみんなの前で告白されてもう3ヶ月。私にとって、沖田くんの彼女になるということは、一般人がハリウッドスターと付き合うのと同じくらい、恐ろしいことなのだ。
「いい加減、俺を名前で呼ぶことに慣れなせェ」
「うん…。わかってる」
「ったく…。こんなんじゃ先が思いやられまさァ」
学校帰りのお決まりのデート場所は小さな公園。そこにあるベンチに2人で腰掛けて、他愛の無いことを話すのだ。他愛のないことと言っても、私にとっては彼の貴重な情報だし、彼も私の緊張してたまに途切れ途切れになってしまう話をちゃんと聞いてくれている。とても幸せな時間だと私は思っていた。
あーあ、と欠伸を噛み殺しながら背もたれに寄り掛かった彼は、ニヤリと笑ってこちらに視線を投げた。
「キスなんて…まだまだ時間がかかるかもしれねーな」
「えッ…?!き、き、キス…?」
なんとも恐ろしい言葉に思わず声が裏返ってしまった。そんな私の反応が可笑しかったのか、笑っていた彼はその口元をさらに歪めて、同じベンチに座る私に身体を近付けた。この前、やっとの思いで手を繋げたのだ。さらにキスだなんて、私をいじめているとしか思えない。私が震える声で「冗談だよね?」と質問しても、彼は笑ったまま何も答えなかった。
「名前は俺とキスすんのが嫌なのかィ?」
「そんなわけ無い…、けど…。だって……」
「だって、じゃねェよ」
「え…?」
「俺ァ、名前が思ってるほど、我慢強い男じゃねェんだよ」
わかるだろ?と、彼は私が逃げられないよう頬に手を添えて顔を覗き込んだ。整った顔がこんなにも間近にあって、私の口からはなかなか言葉が出てこない。彼のこんなにも真面目で、どこか切羽詰まったような表情は見たことがなかった。
「キス…してもいいか?」
「っ……、」
私は彼が好き。なのにどうして素直に頷けないのだろうか。ゆっくりと震えるように瞬きをして思い当たる理由はただ一つ。怖いのだ。憧れるほどに好きだからこそ怖い。私は戸惑うように唇を噛み締めると、怖ず怖ずと彼の瞳を見つめた。「無理強いはしねーよ」と、困ったように笑った彼の瞳が私の心臓を大きく震わせた。
「違う…の」
「…?」
「もっと…離れられなくなっちゃうのが怖いの…」
「あんたは馬鹿でさァ…」
小さくクスリと笑いながら彼が答えた。それは俺の台詞だと言った彼の意図が掴めなくて、私は首を傾げて応えた。
「俺ァ、もう離れられねェくらいお前が好きだ。離れられねーからこそ、もっと名前に近付きたいと思うんでさァ。お前も…俺から離れることなんて考えてんじゃねェや」
「総悟……」
「ちゃんと名前で呼べるじゃねーか」
「え…?あっ…!」
「名前……、」
ふと低く掠れた声が私の名前を呼んだ。それに応えるように視線が総悟を捉えると、互いの絡み合った視線が離れることはない。頬に添えられた手が私の顔を上に持ち上げて、私は飛び出してしまいそうな心臓を抑えつけるようにきつく目を閉じた。
「ん……ッ…、」
ゆっくりと私を焦らすように重ねられた唇。ほんの数秒間が永遠のように感じられるほど息苦しくて、総悟の唇が離された時、私は胸に手を当てて肩で息をしていた。
「お前…、顔赤くしすぎでさァ」
「ごめ…ん。だって私…」
「…?」
「初めてだった…から…。キス、って…」
私の言葉に、総悟が身体をピクリと動かして驚いたような反応を見せた。「どうしたの?」と質問するよりも早く、総悟はふいっとそっぽを向くと、たった一言「俺まで恥ずかしくなるじゃねーか」と呟いた。
恋愛バージン
俺も初めてだ、なんて口が裂けても言ってやらない
Fin.
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