「あれ?ねぇ、晋助」
「あ?」
「そこの数式間違ってる。ほら、ここ」
放課後の教室で私と晋助は先生に出された数学の宿題を解いていた。机には私と晋助の2冊のノートが広げられており、私は間違った数式をシャーペンの先で指摘したのだが、晋助本人はそれを気にする様子も見せず「面倒臭ェ」と大きな溜息をついただけだった。
「なぁ、そろそろ終いにしねーか?」
「あれれ、もう飽きちゃったのかな、晋助くん?」
「黙れ、ばか」
「もう…」
授業はよくサボるくせに成績優秀な晋助に、数学のわからない箇所を教えてもらうためにここに居るのだから、このまま彼を帰宅させてしまうわけにはいかないのだ。
頭が疲れた時には甘いもの、という銀時の言葉を思い出して、私は昼休みに銀時から貰ったチョコレートを半分差し出すと、晋助は小さく舌打ちをしてからチョコを渋々口に放り込んで再びシャーペンを手に取った。
「うわ…、晋助って髪がサラサラしてるね…」
「はぁ?」
ふと目に入った彼の髪の毛。晋助がノートと向き合っていた顔をあげると、前に落ちてきていたサイドの髪の毛がサラリと元の位置に戻っていく。そして、彼は眉間に皺を寄せて訝しげな視線をこちらに投げた。
「うん。やっぱ綺麗だ…」
「な…、おい、てめッ…!」
驚いて目を見開いた晋助を余所目に、私は彼の頭に手を伸ばした。頭のてっぺんをポンポンと数回叩くと、思わず見蕩れてしまった髪の毛を人差し指に絡ませながら頭の形に沿って手を降ろしていく。やや紫がかった髪の毛はとても柔らかく、ひんやりと冷たかった。「猫っ毛だね」と呟いてから満足げに手を引っ込めると、私とは逆の、さも不満そうな表情を浮かべた晋助は、カランと手にしていたシャーペンをノートの上に転がした。
「これで満足か?」
「うん!もちろん!」
「じゃあ…、次は俺の番だ…」
「え…、」
ゾクリ、と背中が粟立ったのは本能が危険を察知したからだろう。気づいた時には、椅子を引いて晋助から距離をとっていた。
意味がわからない、と首を横に振っても、晋助は何も言わず至極楽しそうにクツクツと笑って、私の右手首を強く引き寄せただけだった。普段よりもずっと妖しくて艶っぽい表情に、顔がどんどん熱くなってきたような気がした。
「次は俺を満足させろって意味。わかってんだろ?」
「えっと…、ちょッ、し、晋助?!」
「うるせ、少し黙ってろ」
私の手首を掴む晋助の手に、より力がこもったせいで、私はほんの一瞬、彼から視線を逸らしてそちらを見てしまった。そして、そのスキをつくように無理矢理引き寄せられた額に晋助の唇が近付いた。何が起こったのかわからず数秒間惚けていた私には、校庭で練習をする野球部の掛け声がやけに大きく聞こえた。そうだ、今のはキス。
「っぁ……!」
私は息を飲み込むと、その額を手で押さえながら呆然と晋助を見つめた。心臓がうるさい、というよりも痛いくらいに激しく動いている。晋助はといえば「まだまだ足りねェな」と、勝ち誇ったように口元を歪めて呟きながら、まじまじとこちらを眺めていた。どうして晋助はそんなにも落ち着いているのだろうか。私は恥ずかしさと同時に、なぜだか怒りが込み上げてきた。
「もう!晋助のばかっ!変態っ!」
「あぁ?名前が先に手ェ出したんだろうが」
「それは…そうだけど…。でも…」
「ほら、とっとと宿題終わらせんぞ。続きはその後だ」
「うん…。えっ、続き……?」
バッと顔を上げて晋助を見ると、彼はすでに先程の間違えていた問題を解き終えていて、残すはあと一問となっていた。私は、なんとか晋助を邪魔してやろうと、とりあえず彼の消しゴムを自分のポケットの中に隠しておくことにした。
狼まであと何秒??
どうか、この数学の宿題が終わりませんように。
Title by:確かに恋だった
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