「もう…、こんな所に居たんですね?」
「ん……?名前か…」
縁側に腰掛け煙草を吹かしていた土方さんに、背後から声をかけると、彼は視線だけこちらに向けてニヤリと悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
屯所の大広間では現在進行形で土方さんの誕生日を祝う宴会が催されている。月が高く昇ったこんな時間にもなると、酔っ払った隊士のほとんどは宴会の目的なんて忘れてしまっているのだろう。私が気付いた時には、土方さんの姿は広間に無く、今にもトランクスを脱いでしまいそうな程に酔った近藤さんが、同じく泥酔した隊士に囲まれているだけだったのだ。
私は、主役が居なくなったら駄目じゃないですか、と言葉を付け足しながら彼の隣に腰掛けると、土方さんは夜空に向かって紫煙をふぅと吐き出した。
「別にいいじゃねーか。あいつらはあいつらで楽しくやってんだ。それに、最初から俺を祝うつもりなんてねェよ。本当の目的は酒だ、酒」
本当に素直じゃない人だ。近藤さんがこの日の為に一ヶ月も前から準備をしていたのを知っているくせに。照れ隠しをしているらしい土方さんが何となく可愛いくてクスリと笑うと、「何笑ってんだ?」と不機嫌そうな土方さんに尋ねられてしまったため、私は小さく首を振って、何でもないと返事をした。
夏の虫が小さく鳴き始めた夜空に、大広間から大きな笑い声が聞こえた。もしかしたら、近藤さんがトランクスを脱ぎ捨ててしまったのかもしれない。同じことを考えていたらしい土方さんと視線を絡ませてお互いに苦笑いを浮かべると、彼は手元の煙草を携帯灰皿へしまい込んだ。
「土方さん、」
「あァ…?」
「誕生日、おめでとうございます」
とくに会話もなく、ただただ広間の喧噪に耳を澄ませていた夜の空気に、ふと私の声が響いた。お仕事はいつも通りあった為にずっと伝え損なっていた言葉を、今になってやっと伝えられたのだ。また照れ隠しをしているのか、彼は小さく返事をしただけだった。
「それと、ありがとうございます」
「ん…?どうして俺が感謝されんだ?」
私がニコリと笑って土方さんの頬にそっと触れると、不思議そうに眉をひそめた土方さんが首を傾げた。
真選組に身を置いている時点で、明日の命の保証など、どこにもない。だから、昨年の彼の誕生日を祝った時、私は、来年の5月5日に土方さんは生きているだろうか、私は生きているだろうか、そして、2人は一緒に居るのだろうか、心のどこかでそんなことを考えていたのだ。
「ふふ…、秘密です」
そう言って彼の問いをはぐらかすと、「俺に隠し事たァ、いい度胸じゃねーか」と意地悪そうに笑った土方さんは、頬に触れる私の手の上に自分の手を重ねて指を緩く絡ませた。重ねられた手も、彼が言葉を紡いだ時に手に感じる微かな吐息も全部、全部、温かい。あぁ、土方さんも私も生きているんだ。そう感じたら、抑えきれない気持ちが言葉となって溢れて出してしまった。
「生まれてきてくれて、ありがとう…ございます…。生きていてくれて、ありがとうございます…ッ」
「ばか、泣くんじゃねェよ…」
「え……?」
指摘されて初めて気付いた涙を、土方さんが私の両頬を手で包むように触れながら親指で拭い去った。最初はどこか言葉に困っているようだったが、だんだんとこちらを見つめる青い瞳が柔らかく細められて、俺も名前に感謝してる、と低い小さな声が私の心にじんわりと溶け込んだ。そんなことを言われてしまったら、余計に涙が止まらなくなってしまうじゃないか。
私が鼻を啜って涙を流しながらも微笑むと、土方さんはまるで小さな子供をあやすように私の頭を数回撫でてから、そのまま私をギュッと温かい身体で包み込んだ。
「土方さ…ッ…」
「俺の為に泣く女がいるんだ。そんなヤツを置いたまま、くたばるわけねェじゃねーか」
「は、い……、」
「だから名前も、俺を独りにすんじゃねェ……」
約束だ、と私にも自分自身にも言い聞かせるような耳元の声と同時に、ちょっぴり息苦しくなってしまうほど彼の腕に力がこもった。私は涙のせいで震える吐息を押し殺しながら、小さく、だけど、力強く頷いた。
夜空に結ぶ契り
これからも、ずっと、一緒に
Fin.
prev mokuji next