「きょ、今日はもう帰るわね。仕事を持って帰ってきてるの。家のパソコンを使わないといけないから」

「そうですか?では気を付けて帰ってくださいね。明日は僕の方から遊びに行きます」

「え、あ、ああ、うん。じゃあまたメールするわね」

あれから買い物に行くのにも夕食を作るのにも食べるのにもぎこちなかった私は、最後までぎこちなさ全開だった。初日以外はずっと紳士的だった昴さんが、恋人役になったとたんさり気無く甘いムードに運ぼうとしてくるのでどうにも調子が狂ってしまった。ようやく沖矢昴イコール赤井秀一という式が抜けてきたかと思ったところになんてこった。

「それじゃ、お邪魔しま・・・!」

靴を履いて振り返ると、くいっと顎を掬い取られて軽く口付けをされた。途端に顔が赤くなる。昴さんはそんな私の顔を見てクツクツと喉で笑った。

「そんなウブな反応をされると、こちらも照れてしまいますね」

「ふ、不意打ちはずるい・・・」私は俯いて文句を言う事しか出来なかった。



昨日の出来事がずっと頭から離れず、業務をこなしていてもあまり手についていないのが現状。気が付けばもう昼食の時間だった。

「花子・・・あなた少しぼんやりしているけど、どうしたの?何かあったの?」

昼食の時間を告げに来たジョディが眉を寄せて私の顔を覗き込む。私は「ああ・・・それが・・・」と言ってから悩んだ。どうしよう。今言うのは早過ぎか、いやそれとも適正か。悩んだ挙句言う事にした。どうせまだ会うわけではない。それとなく私に恋人が出来た事をアピールするくらいは悪くないだろう。昴さんに「恋人が出来たという話をする時は、僕の方から告白したことにしておいてください。格好がつかないので」と言われていたことを思い出す。

「実はね・・・こ、告白されて」

「え?花子が!?」

どこに驚いているのかなジョディさん。私は恥ずかしさやら怒りやらで赤くなった顔を隠しもしないで「どういう意味よ!」と叫んだ。ああ・・・泣きそう。私たちの騒ぎを聞いた周りの女性捜査官がわらわらと集まってきてあっという間に女子会になってしまった。
ジョディを含めみんな私のデスクの周りに椅子を引っ張ってきてそれぞれお弁当を広げた。身動きの取れなくなった私は移動することなくその場でお弁当を出す。正直・・・あんまり食欲がない。部屋の隅に追いやられてしまっている男性捜査官の方をチラリと見ると、誰もがヒソヒソとこちらを見て噂話をしているようだった。何これ、気分悪い・・・何の罰ゲーム?何で私こんな目に合ってるの?どんな嫌がらせ?

「とうとう花子にも春が来たのね!」

「あなた理想が高かったから」

「そんな花子ちゃんのお眼鏡に適った男ってどんな人よ」

口々に言われて私は縮こまった。あああ、穴があったら入りたい。全く、女性はどうしてこうも恋バナが好きなのかな。なんでみんなキラキラした目を向けてるのかな。

「ほら・・・良く言ってたでしょ。理想のタイプ。・・・あれ、実は私の友人のことで、昔からちょっと気になってて・・・」

「で、とうとう告白されたってワケね?やったじゃない」

「いつ告白されたのよ〜」

「ばかね。花子の態度見てればすぐわかるわ。進展があったのが二日前、告白されたのが昨日って所かしら。・・・もしかして、二日前に飲み明かしたって言ってた友達って彼のことだったり?」

「もうっ、ジョディったら・・・その優秀な頭脳をもうちょっと別の方に回すべきだと思うわ」

ニコニコと絶えず私の頭を人差し指で小突いてくるジョディを恨みがましく見やってお弁当をつつくと、「あなたたちは幸せになってね・・・」と急に儚げな顔で言われた。あなたたちは、という前置きで彼女と赤井さんとのことを言っているのだとすぐにわかった。彼女は・・・まだ赤井さんのことが好きなのね。そう思うと私は何故だか悲しい気持ちになった。



「おかえり」

「げっ、あなたどうやって入ったのよ」

昴さんから「今から向かいますね」というメールが届いたので急いで帰ってきてみれば、私がいつも車を停めている所には赤いスバル360が停まっており、まさかねと思いながら家のドアを開けてみればすんなり開いた。何でなのよ。一応部屋の中を片付けておいて良かった――じゃなくて。

「あら、良い匂いね・・・・・・でもなくて!」

「どうしたんですか。さっきから。ほら、早く入って着替えてきてください」

「えっ、え?何このアウェー感。ここ私の家だよね」

昴さんに背中を押されて、玄関に立ちつくしていたままだった私はようやく部屋へと入る。そして後ろから抱きすくめられて「すぐにご飯にしましょう。今日教えてもらいながら作ったものですが」と言われた。私は大げさに肩を跳ねさせてそれを返事とした。鍋を火にかけているらしく、すぐに私から離れた昴さんはキッチンの方に歩いて行く。私は頬に手を当ててから着替えを取って脱衣所へ。手早く着替えて戻ってみると、テーブルには肉じゃがとサラダとご飯と味噌汁が並んでいた。・・・なんて家庭的なメニューなんだろう。これを作る昴さんを想像したら少しにやけそうになった。しかしサラダのクオリティが異常に高いのが気になるところだ・・・。

「こ、これ全部昴さんが・・・?」

「ええ。肉じゃがだけは教えてもらいながら作ったものですが」

「お料理教室初日から肉じゃが・・・」

呆然としたまま席につくと、向かい側に昴さんが座ってグラスにお茶を注いだ。私は箸入れから箸を出してグラスと交換すると、自分用の箸を手に取った。

「いただきます」

「どうぞ」

恐る恐る肉じゃがに手を伸ばして一口。「・・・おいしい、だと・・・!」驚く私を見て昴さんが喉で笑いながら「ありがとうございます」と言った。



「ごちそうさまでした」

「お粗末さまでした」

箸を置きながら、なんだかこういうの・・・似合わないなぁと複雑な気持ちになる。お粗末さまでしたとかどこで覚えてきたんだろう。・・・有希子さんか。考えるまでも無かった。
昴さんと一緒にお皿を片付けて洗い物をする。お皿の片付けを昴さんに任せて私は食後のコーヒーを入れると、片付け終わってソファに座っていた昴さんに「はい」と勧めた。どうせ彼はブラックコーヒーしか飲まないので、ミルクも砂糖も入れていない。昴さんは「ありがとう」と言ってコーヒーを受け取ると、中身を確かめて嬉しそうな顔をした。

「何よ・・・その顔。不気味」

「いえ・・・ただ花子さんが僕の好みを知っていてくれたんだなと思うと嬉しくて」

「あ、あなたいつもブラックの缶コーヒー飲んでるじゃない・・・そんなこと誰でも知ってるわよ」

「そうですか?“花子さんが知っている”という所が重要だったんですけどね」

「・・・!」私は返す言葉が無くて昴さんを無視することにした。

それから私は持ち帰ってきた仕事をするためにパソコンを立ち上げ、昴さんは持ってきた小説を読み始めた。室内は静かなもので、私がキーボードを叩く音と昴さんがページを捲る音しかしない。少しキリがついたのでコーヒーのおかわりを淹れに行こうと思い立ち上がると、ついでに昴さんのカップを手に取って一緒に持っていった。昴さんは私がカップを持っていったことに気が付かないくらい本にのめり込んでいる様だ。テーブルの上には既に読んだものなのかこれから読むものなのかわからないが、本が数冊置いてある。コーヒーを淹れて戻り、昴さんのカップを元の位置に戻そうとしたら、丁度カップを探して彷徨っていた昴さんの左手とぶつかった。「あっ、ごめんなさい」「あ、すみません」同時に謝って、私はカップを昴さんに手渡した。「ありがとう」「いいえ・・・」
昴さんはコーヒーを一口飲むと、時計に目をやって「おや・・・」と呟いた。

「もうこんな時間ですか」

「あら、ほんとね」

つられて時計を見ると、もう9時を回っていた。この場合は泊まっていくかを聞くべきか聞かないべきか・・・。帰れと言えば薄情だし、泊まって行けと言えば嫌らしい意味に取られかねないし。と悩みながら椅子に座ると、昴さんが「折角淹れてもらったばかりなので、このコーヒーを飲み終わったら今日は帰りますね」と言った。あんまり気軽にそう言うものだから、少し身構えていた私は力が抜けてしまった。「ええ、そうね」それだけ言ってまたパソコンに向かうと、「そんなにガッカリするな・・・」「してないっ」茶化された。


かくして、彼は自分の分のコーヒーを飲み終えると、本当にすぐに帰って行った。ただし私の心中は穏やかではない。
「あんまり期待の篭った目で見られると、我慢出来なくなる・・・」とかさらりと言われてキスなんかされれば穏やかでいられるはずがないだろう。


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