「・・・・・・ん、」

不意に時計を見れば、もう午後6時を回っていた。しまった。必要な書類以外に重要な書類が無いか探していたら思いの外熱中し過ぎたか。
スマートフォンを取り出して着信の確認をするが、電話もメールも来ていなかった。散歩(と、ついでに組織の所)に出かけると言ってきたので、てっきり七市野からいつ帰るのかと言うメールが来ていると思ったのだが。
・・・まさか寝ている?
・・・・・・いや、そんな事は・・・ありうる、か?
一応今から帰ると短くメールを入れておこう。



「・・・・・・ん、よし」

最後の味見をして、今夜のご飯も及第点を貰えそうだなと一安心した。後は洗濯物を取り込んで降谷さんの帰りを待つだけか。壁掛け時計を見やればまだ時計は5時を指している。
よかった。降谷さんが帰ってくるまでに全ての仕事が終わった…!
ところで降谷さんは何時に帰ってくるんだろう。スマートフォンを確認するがやはりというかなんというか、メールや着信は一切無かった。まあそのうち帰ってくるだろうから私は先にお風呂に入っちゃおうかな。



「ただいま」

そう言って中に入ると、七市野が丁度風呂場から出てきたところだった。「あ、お帰りなさい」平然として言ってるけど風呂に入る時くらい玄関の鍵は閉めていた方が良いんじゃないだろうか。俺のそんな心配も露知らずという様子で七市野は「直ぐにご飯にしますね〜」と暢気に歩いて行く。やれやれ。だが眠っていたわけじゃなかったな。ちゃんと夕飯の支度までやってあるようだし、少し七市野の事を侮っていたかもしれない。手を洗うために脱衣所に入ると、先ほどまで風呂に入っていたせいかとても暖かかった。

「あと暖めるだけなので座っていてください」

テーブルの上にお茶のピッチャーを置いた七市野が俺に向かって言う。「ああ」短く返事を返すが七市野の濡れたままの髪を見て足が止まる。先に髪を乾かさないでどうして夕食の準備を始めてるんだよ。「七市野」呼び止めて腕を引っ張れば、七市野は慌てた声を出す。「あわわ、な、何ですか?」「何ですかじゃないよ。先に髪を乾かしたらどうなんだい?」「あ、でもお鍋火にかけてるので」「俺が止めておくから早くドライヤーを持っておいで」「えっと、あの…わかりました」
やれやれ世話が焼ける。キッチンへ行き今まさに暖め中の火を止める。七市野がドライヤーのプラグをコンセントに挿してソファに座ったので背後に回ってドライヤーを奪った。「え?」戸惑う七市野を無視してスイッチを入れ、少々乱暴に髪を乾かす。がしがしと髪をかき混ぜていると七市野は大人しくなった。



ああああああ降谷さんが私の髪を乾かしている…!?え、何この事態。降谷さん熱でもあるんじゃないだろうか。手つきは乱暴だが優しさを感じる。なんだこれ。ちょっと嬉しはずかしなんだけど。
暫く固まったままいれば、ドライヤーのスイッチが切られて頭をひと撫でされる。「終わったよ」降谷さんからドライヤーを受け取って「ありがとうございます…」と言えば、照れたらしくそっぽを向かれる。「やっと終わった。早く夕飯にしよう」そうですね、と軽く返事をして大急ぎでドライヤーを片付けてキッチンへ戻った。火をつけなおしてお皿やお椀を用意していると、降谷さんは椅子に座ってテレビをつけた。持って来た書類をまとめるのかと思っていたけど、どうやら食べてからにするらしい。

「用意が出来ましたよ」

テーブルに最後の食器を運んで椅子に座ると、降谷さんもしっかり座りなおして箸を手に取った。「いただきます」「はい、どうぞ」このやり取りは何回繰り返してもなれないな。ちょっとだけ恥ずかしく思いながら向かいに座っている降谷さんを眺めると、一口料理に手をつけて眉尻を下げた。わあああ、何この顔。はじめて見た顔にドキドキしつつ目を逸らして、味噌汁の豆腐をつまむことに必死になった振りをした。



しばらくまともな自炊をしていなかったからだろうか。この任務について七市野が食事を用意してくれるようになってから、なんてこともない普通の食事のはずなのに毎日が充実しているような気がする。
手が込んでいるわけでもなさそうなメニューだが、バランスが良く、元々料理も下手ではない七市野の食事はいつ食べても美味しい。なんてことない普通の家庭料理なんだけどな。外食が多かった今までの自分の食生活を見直して、自嘲した。
食事が終わって事務処理に入ると、七市野は食器を下げて洗い物を始める。テレビのコマーシャルを見ながら鼻歌を歌って、上機嫌だ。
しばらく作業を続けていると、俺の左側に座った七市野がマグカップを置く音が聞こえる。チラリと見れば湯気の立ったコーヒー。「どうぞ」と声が聞こえたので「ありがとう」と返して一口飲んだ。七市野はそこに居座るつもりらしい。リモコンを手に取ってザッピングすると、目当ての番組が見つかったのか動かなくなった。それからは俺がキーボードをたたいたり紙を捲ったりする音とテレビの音しか聞こえない。集中できそうだ。

どのくらい集中していただろうか。壁にかかった時計を見れば、もう10時半をさしている。
「もうこんな時間か…」

前傾姿勢だった背中を伸ばすようにソファにもたれかかって腕を伸ばして伸びをする。ずっと同じ体勢だったので体が固まっている。ううん…と首を捻っていると、何かが膝に倒れこんできた。七市野だ。なんだお前…こんな所で寝ていたのか。倒れた拍子に目を覚ましたらしい七市野が身を捩って目を擦る。「んー…」眠そうな目と目が合うと、その目はだんだん見開かれ、顔は赤くなったり青くなったりした。「す、すみません!」開口一番に謝った七市野はソファに手をついて体を起こした。

「大丈夫だよ。俺が動いた拍子に体勢が崩れてしまったようだし、長居してしまった俺が悪かったよ」

「そ、そうですか…でも、すみませんでした。私も眠ってしまって」

座りなおした七市野に、今の時間ともう片付けたら帰ることを告げた。彼女は俺に習って時計を見ると、本当だ…と呟いた。それから俺が資料とパソコンを片付け始めると、それに習うようにマグカップを回収して洗い始める。
二人とも片付けが終わって、荷物を持って立ち上がると、七市野が玄関への扉を開けた。玄関の扉を開ければついてきていた七市野が明日は何時に来ますか?と予定を確認する。明日は朝から組織の方に行かなければならないので6時半には来る。とそう告げればわかりました、ではおやすみなさいと返事が返ってきた。おやすみなさい…か。毎日している挨拶のうちの一つではあるが、こういうのも悪くはない。

「ああ…おやすみ」

そう言って玄関を出れば背後の空気は柔らかく暖かかった。





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -