プロローグ



昔、夏緒の家には多くの人が住んでいた。厳しい祖父、甘やかしてくれる両親に年の離れた兄。そこに夏緒と秋田犬の小次郎だ。そして十も二十も年上なのに夏緒のことを「お嬢様」と呼びへつらう舎弟の男たち総勢五十人弱である。


夏緒はいわゆる「極道」の家に生まれた。幼かった当時はまさか極道なんて言葉を知らず、また家族がなんの仕事をしているかもわからなかった。ゆえに夏緒は自身のことを単なるお嬢様だと思い込んでいた。

今思えば(お嬢様)だなんてずいぶんと大それた思い込みなわけだが、屋敷と呼ぶに相応しい自宅と黒塗りの高級車。広い自室に置かれた調度品は子どもの目にも高価であるのがわかったし、大人が夏緒の言うことをなんでも聞いてくれたのであながち間違いではない。しかし世間一般の想像するそれとは一味も二味も違うものだった。


夏緒が自分の置かれている立場を理解したのは小学校三年生の時。下校時に知らない男たちに拉致されたことがきっかけだった。

幸い怪我一つなく無事に保護されたが、沸き上がるマスコミやニュースで流れた事件の詳細をみてようやく我が家が一般家庭とは違うこと、そして拉致事件が起こるべくして起きたのだと理解した。

受け入れがたい事実だった。が、もともと夏緒は前向きな少女である。さらわれたショックも癒えぬうちに両親に言ったのは「次の為に、強くなりたい」だった。

両親は目を白黒させて、その次とは何を指すのか聞いた。夏緒は「誘拐」と一言だけ答えて両親を困惑させた。夏緒は次の日から様々な武道に励むようになった。


それから五年近くが過ぎ夏緒は言葉に誓った通り強い少女に育った。顔を見たことのない祖母が若かりし時に嗜んでいたという薙刀をはじめとして柔道、空手、護身術。小柄な体にもかかわらず、ゆうに大人一人を投げる力と技術が身についた。

しかしその頃から夏緒の家は権力の衰えが見えはじめた。余所の組とのいざこざが表立ち、ささくれ立ってきたのだ。祖父が亡くなり夏緒の父の代になってからのことである。もとよりお人よしで甘い父は、人徳はあれど人を率いる力に欠けていた。

少しずつ舎弟は減り、夏緒が中学を卒業する頃には五十人近くいた男たちは片手で数える程になってしまった。

夏緒はそんな父を恥て高校入学を期に家を出てた。実家から離れた並盛という小さな町に一人住み、いずれは父の後を継ぐであろう兄の時緒と連絡を取り合った。

家を出た理由は父を恥じたこと以上に、もし家業が廃れても一人で生きていく力を身につけておけという兄の言葉が大きかった。


知らない町はことわざの通り住めば都だった。小さな四畳半のアパートには最低限の設備と荷物しかないが、すぐそばに商店街があるので買い出しにも困らない。

日々の生活も兄の真っ当な仕送りを受け、バイト代も足せば贅沢しなければ十分過ぎる程。進学を決めた並盛高校も徒歩10分の近さだった。

学校生活も上々といった所で、懐こい性格のため男女を問わず友人もたくさんできた。彼らは夏緒の家庭環境を知らないから妙に構えてくることもない。

毎日くだらないお喋りをして、バイトのない放課後には寄り道をして帰る。何ら不満のない日々に、夏緒は家をでるように勧め、協力してくれた兄に感謝していた。


しかし「極道」という業はかならず巡るものらしい。夏緒は今、帰り道の路地裏で額に銃口を突き付けられていた。







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