吸血鬼は血を吸った人間を己の眷属にして、従えるという話を唐突に思い出した。

 散々殺し合って、実際に殺した人間が目の前にいると言うだけで、それはそれは忌々しい事だというのに、更に言えばそれから施しを受けているだなんて、それこそどうしようもない話だ。
 別に彼の眷属になった覚えも、ましてや彼を眷属にした覚えはないが、使えるものは使わせてもらう主義だ。まだやる事も残されてしまう者が心配なのもあったから、そういった協力、基契約は不服ながらも了承した。どうせもう失うものは何もない。いや、失わない為の契約だ。

 魔力である血などを貰う代わりに、此方が渡せる物は何一つなかった。それこそこの身に降りかかる絶望を、呪いに蝕まれる自分を見て嘲笑えばいいとさえ思っていた。というのに、何故か彼の言い分はズレている。



 だってそうだろう、その対価として、歯磨きをさせろと言ったのだから。






「……君は本気で言ってるのか? 趣味嗜好だけでなくとうとう頭の回路までおかしくなったのか?」


「だから妥協案だと言っている。ペットのブラッシングはしたいというのが飼い主の心情だ」

「ちょっと待ってくれ、いつ僕が君のペットになった。そもそもどこの世界に人間を飼う聖職者が居るんだ、聞いたこともないぞ」



 頭を抱える衛宮切嗣に対して、聖職者に限らず人間を飼うという人間はそうは居ないと思ったのだが。彼の生きていた場所ではそういった事も黙認されていたのだろう。そういう世界もある、自分も何度かは見て来たし、それで成り立つ世界に彼が居ただけの事であって、それだけだ。



 「だがペットに限らず、親は子どもにだってするものだろう」

 「………え…………君、まさか」

 「? どうかしたか」

 「…………僕を使って親の真似事をしたいのか…………?」

 「まさか、そんな訳ないだろう」

 「いや、うん。ならいいけど……いや、とんだ悪趣味だと思って」



 それと君は存外、親から真っ当な愛情を受けていたようだね。
 心底意外そうに呟かれた言葉に、彼が自分をどんな人間だと思っているのかが垣間見えた。それはそうだろう、生まれついての破綻者なんてそうは居ない。人といういきものは、成長過程で何かしら歪んでいくものだ。
 衛宮切嗣もそうだろう。大人になるにつれて通常ならば捨てるだろう途方もない願いを未だに抱えている時点で、私の求めた答えと違えど、この男も相当に歪んでいる。



 「父は私を心底可愛がってくれたからな。身に余る程の愛情を受けた自負はある。お前はどうなのだ? 親、――ましてやお前は娘が居たのだろう」

 「……さあ、どうだったかな」



 恐らく彼の深層心理へ刺さるように投げた言葉を軽く無視する事で往なす衛宮切嗣に対して、此方も何も気づかない振りをした。そして、彼はこちらの提案を本気で嫌そうに、渋々と了承した。