「…………なあ」
 
 「なんだ」

 「たのしいのか、おまえ……」

 「…………」



 シカトかよ。と言いたい言葉は飲み込めない唾液の代わりに飲み込んだ。
 胡坐をかいた綺礼の上に対面するように切嗣は座り、口を開けて綺礼からの『ブラッシング』を受けている。何だこの状態は。誰かに歯を磨かれるというのは、慣れない事なだけに割と違和感が強い。
 口に歯ブラシを突っ込まれたお蔭で喋る事も儘ならないまま、目の前の男は無表情で自分の歯を磨いている。一体何なんだこの状態は、全くもって意味が分からないと切嗣は繰り返し呪詛のように思っていた。

 最初こそ意味が分からないと困惑し、普段は感じえない違和感から不機嫌になっていた切嗣がようやく己の状況を把握したのは、『ブラッシング』の開始からおよそ一分が経過したときだった。





 「――――――?!」



 その違和感に盛大に歪んでいた表情が、徐々だが異変が見える。異変というより、それは激変とも言える変化だった。
 それは、これまで綺礼が見たこともないような、驚愕と焦り、そして恍惚の表情であった。



 「ひ……っ? ひうぐ、ぐ、ううっ!?」

 「暴れるな、喉に刺さるぞ」

 「ふ………ひいっ、ぐ、ぐぐ……ひうっ」



 己の腕の中で切嗣が狼狽する様子を見て綺礼は、愚鈍な男が漸くこの行為の真意に気付いたかとほくそ笑んだ。
 そう、歯磨きは単なるブラッシングの類とは一線を画する。何せ口の中をいじるのだから。髪の毛などを弄られるのとはまた別なのだ。
 身体の表面ではなく、身体の内面を触れると言う事。――それについて身も蓋もなく下賤に例えてしまうと、性行に等しい行為なのである。



 「ひあ………ふ……、うぐぐ、ぐ……っ」

 「動くな、口を開けてろ」



 咥内はある種性器の一つだとも言われている。そんな場所を細かい毛先で撫でまわすのだから、そこに快感が生じるのはごくごく当然の事であろう。だがしかし、歯磨きという行為はあまりに日常的過ぎて、それに慣れてしまっているからこそ気付かない。
 他人に擽られてくすぐったいと思う、それは立派な性感帯だとおも言われているが、咥内も恐らく同等なんだろう。



 「ふえ……ひう、ぐぐ、ふ……」

 「…………本当に喉に刺さるぞ」

 「ひゃあ、へあ、へて、ふえ」



 やめてくれ、とでも言ったのだろうか。だがしかし口内に溜まった唾液と挿入した歯ブラシのせいで全く言葉は成り立っていない。
 奥歯のもっと奥、歯茎のあたりを優しく磨いてやると、切嗣は敏感に反応した。身体がびくびくと痙攣している。
 何をされても無表情にしていた男の心を折る事は、存外に容易かったようだ。初めこそ絶望に歪んだ表情を見たいと思ったものの、逆にこのように快感を与えて甘やかしてしまう方が、それに抗おうと抵抗する姿を含めて中々に楽しめるものである。それにこの男の心を折るには効果的なのだろう。恥辱に耐え切れないのか、暗い眼に少しだけ水滴を落としたように薄く広がる涙を見逃さず、更に追い打ちをかけるように舌の裏をそっと撫ぜた。




 「…………ひうっ!」

 「どうした?」

 「ぐ、ぐ……ふえ、ひううっ、ふぇ、ひぃ、あ………」



 剥き出しの肉を柔らかい毛先で撫でているのだからそれは相当な快感を得られるのだろう。知らない振りをしていても、堪えきれずに少しだけ笑いが零れる。それを見た切嗣は、目に涙を溜めて綺礼を睨みつけている。恐らく自分がどんな表情をしているかは気づいていないのだろう。



 「……ひあ、はう、はう、はう。う……ぐ、はぁ、はぁ」



 抗議をしようとしたのであろう声は喘ぎ声にも似た声になっている。自分であげた声がどのような物かを本人も気づいて居るのだろう、驚愕し、羞恥に耐えるような表情をして、口から少しだけ溢れた唾液が垂れているのを見ると、自然と別の光景を思い浮かべてしまう。



 「ひ、ひう……」

 「良い表情だな」

 「あ………ふあ……」



 歯ブラシを抜いてやれば、すっかり脱力してしまった切嗣に声をかけるが、恐らくは届いていないだろう。
 自分の膝の上に座り、快楽に融けた目で脱力する切嗣を見て、お互いの熱が高まっている事に気付いた。――成程、確かにこれは性行に等しい。

 綺礼は今度こそ、口角を釣り上げて笑った。
 









倒錯する人形遊び
(酔狂な事だ)