幼い僕達は一つ嘘を吐いた。

 その嘘は誰にも気づかれずに、いつしか嘘に嘘で上書きする事を覚えた。上書きしていった嘘は、段々本当の様な顔をして歩いていく。そして、僕らは遂に取り返しのつかない過ちを犯した。

 それはきっと、罰だったのだろう。
 あの日に僕らは過ちを犯した。でもそれは、この世界の誰にも露見する事はなく、まさに完全犯罪そのものだった。支払った対価は自分自身。

誰にも気づかれることなく、僕らは互いを手放した。

 だからこそ、僕らの再会は酷く悲しく、切なく、そして最高に滑稽なものだと相場が決まって居るのだ。
そう、それがまさに今、この時だ。



 高校進学と共に僕は、嘗て育った街へと戻ってきた。幼い記憶ではあったが、慣れ親しんだ此処は、きっと昔と変わっていないのだろう。風に乗ってピンク色の花弁がふらふらと運んできたのは、まさに僕たちにピッタリな、滑稽な再会だった。
 校門の前をふらふらと前を歩く少年は、恐らく同学年なのだろう。パーカーのフードを深く被っているその少年の足取りがあまりに危なっかしくて、思わず手を伸ばした。
咎めるように捉えられたのか、少年はああごめん、よそ見していた訳じゃないんだけどな、と笑った。その笑顔は記憶の物とは随分違っては居たものの、切嗣は誰よりもよく知っていた。



 「…………き、…………雁夜、なのか」



 目の前の男を確かめるように名前を呼ぶ。だが、呼んだ名前は全く意味を成さない。名前なんてただの個人を識別する記号に等しい。ただその記号にこそ、嘗ての過ちは詰まっていた。
 たどたどしく呼ぶ僕に対して、少年は合点がいったように納得し、頷いた。



 「ああ……………そっか。うん。久しぶりだな、切嗣」



 呼ぶ声に思わず僕は顔を顰めてしまった。だって、そうじゃないか。今まさに、僕らの過去の過ちの、完全犯罪の末路をまざまざと見せつけられているのだから。



 「これが間桐なんだよ」



 へらりと笑った雁夜に、じわじわと自分の中にあった蟠りのような、罪悪感がにじみ出る。それは湧き起っては消え、沈殿していく。いくつにも重なって燻った鬱積の行き場を、僕は知らない。



 「それじゃあ、君は…………僕の、せいで」

 「お前の所為じゃないよ。俺はこれで割と満足しているから」



 やめてくれ、そんな言葉を、結末を望んでいたんじゃない。

 喚きだしたくなる感情を抑え、雁夜をもう一度よく見る。
 制服の下に着ているパーカーのフードに隠れていた髪は、自分より若干癖は少ないが、同じ黒髪であった筈なのに、今は見る影もなく白く染まっている。左目には眼帯を着け、左半身が麻痺してしまっているのか、先程からふらふらと危なっかしい理由がこれだ。



 「どうし、て」



 だってそれは、僕が受けるべき事だった筈なのに。それなのに、何故雁夜が、いや、――。





 「ああもう、泣くなよ。―――――――兄ちゃん」



 ああ、なんで、こうなってしまったんだ。

 自分の目から涙が零れている事に気付いたのは、雁夜が困ったように笑いながら頬を伝う水滴を拭った時だった。





 衛宮切嗣は正式には衛宮の家にやってきた養子だ。
 旧家というものは大抵双子を忌み嫌う。間桐も例外ではなかったようで、雁夜と切嗣が生まれた時にはそれは大変だったようだ。この時代に何処かへ捨てるわけにも、殺すわけにもいかず、結局十歳を過ぎる位まで忌み子を持て余していた。
 いつまでもこのままでは居られないのだろう。それは誰もが分かり切っていた。だが今更、過ごした息子を殺せるだろうか。というよりは、二人にそれぞれそれなりの才があった事にも問題だった。

 そんな折に衛宮からの養子の申し出。これを天啓と呼ばずに何と呼ぶか。



 「あの日、交換しようって言ったのは俺だよ」

 「……………それ、でも」

 「でもほら、結局切って継ぐ、だっけ? その起源はお前だったんだから」



 それ、俺じゃ名前負けだよ。そう冗談みたいに笑う雁夜に、どうしようもない後悔が襲った。
 雁夜と切嗣は双子で、幼いころは瓜二つの容姿をしていた。それが高じて、二人はお互いが入れ替わる遊びをしていた。遊びは簡単で、服を交換して口調を変える。他人は勿論、実の親や兄弟も騙される。簡単な事だった。
 その日も、その遊びに興じていた。



 ――切嗣、こっちに来なさい

 ――……なに?

 ――今日からお前は衛宮の家でお世話になるんだ。

 ――え…………?

 ――雁夜には私から伝えておくから、いいな切嗣、これはお前の為なんだよ



 そのまま切嗣は、衛宮の家へと養子に出された。
 自分は雁夜だと、言いだせないまま。


 それ以降切嗣は、自分の名前を記号の一つだと思う事にした。自分の魔術師としての起源が「切って継ぐ」、つまりは切断と結合だと言う事だと知った時、それがもし、自分のままであれば、半身である弟との繋がりの一つであると思えて喜べたのに、今となっては酷い皮肉だ。それでも、離ればなれになった弟との繋がりであると思えば、それさえも愛しいものだと思える筈だったのに。


 知らなかった? いや違う、知ろうとしなかった。何度も間桐の様子を窺う事は出来たというのに。自分から遠ざけて知ることをしなかったのは自分自身じゃないか。


 無知は罪だ。僕はずっと、罪を重ねてきたんだ。



 「誰も悪くない、そうだろ?」

 「……………どうして、」

 「俺は最初から雁夜で、お前は最初から切嗣だった。それだけだ」



 そんな風に、割り切れるだろうか。前の自分ならばともかく、雁夜のこの現状を知った自分に、最初から自分は自分だったと言えるのだろうか。



 「でも、君は」

 「あー………そうだな。そんな事より、俺、今嬉しいんだ」



 また一緒に過ごせるんだから。
 雁夜の言葉に嘘はない。離れていた期間は一緒に過ごしていた期間より短かったと言うのに、こうして再会を果たせば数十年の時が経っていたかのような錯覚さえも覚える。
 その日、僕は久しぶりに声をあげて泣いた。目の前の弟に、懺悔をするように。