桜の花びらが地を彩って、木に緑が生い茂る頃には、それは不本意ながら学校の名物として定着してしまった。
バタバタと走り回る学生が二人。廊下を走るな、なんていう古典的な注意を聞かない二人だという事は周りは重々承知しているし、なにより逃げている方は必死だ。



 「なぜ逃げる、衛宮切嗣」

 「本、当に、……………お前……、なん、なの」



 ぜえぜえと肩で息をしながら諦めたとばかりに両手を上げて降参を示した。この特に意味のない鬼ごっこも、そろそろ勝敗が五分五分になってきた所だ。

 昔、この街で過ごしていた時、僕達にも幼馴染が居た。親同士の付き合いで、同じような魔術師の子どもと、教会の子ども。僕らの後ろをちょろちょろと着けて追い回してくるのに、特に自己主張をする事のない綺礼と、そんな僕らを見て笑っていた時臣。
 そんな二人が同じ高校にいると雁夜に言われた時、僕はどんな顔をして会えばいいのか分からなくなった。僕は僕であるけど僕ではないから、僕の所為で。考えるだけで言葉には出さなかったが、顔に出てしまっていたのか、雁夜にはもう気にするな、馬鹿が、と叩かれてしまった。


 結局、二人との再会は淡々とした物だった。遠坂は笑顔を絶やす事はなく、久しぶりだね、と笑っていた。ああ、いっその事一気に批難してくれれば楽になれるのに。何も知らない彼にそれを求める事自体が間違っているのだけど。
僕らの後ろを着いていた子どもは、今や見上げる程に成長してしまっていた。昔は可愛げがあったというのに、これで無表情な所は昔のままだというのだから、時間というものは酷く無情だ。
 綺礼は僕を見るなり、衛宮切嗣、と名前を呼んで追いかけてきた。正直凄く怖い。遠坂は昔から綺礼は衛宮君が大好きだったからね、と笑っていた。いや、そういう問題じゃないだろう。



 「衛宮切嗣は、随分変わったな」

 「……………どういう意味だよ。あといい加減フルネームで呼ぶのはやめろ」



 お前の好きだったっていう切嗣は、今では雁夜なのにこの男は律儀だ。誰も知らないから仕方ない、言峰が悪いわけではない。ただ、その記号であったものをそうも連呼されればこちらも良い気はしない。記号としてではなく、自分を表す一つの言葉だと錯覚しそうになるから。



 「では何て呼べばいい」

 「………………知るかよ」

 「そもそもお前は名前を呼ばれる事を嫌がる節があるだろう」



 ああ、此奴は存外人を良く見ている。
 そうかもしれないが、お前に関係ないだろう。吐き捨てた言葉は震えていなかっただろうか、ちゃんと言葉として、音として空気を震わせていただろうか。それを確認する手立てを、僕はもってはいない。
 黙りこくる言峰を放っておいて、そのまま逃げるように、いや、実際に逃げた。言峰の視線が、言葉が、自分を責めている様に思えて恐怖したからだ。叱責や批難を求めて置いて実際にそれを目の当たりにすると逃げ出すだなんて、我ながら情けないとは思う。だけど、それでもやっぱり、僕には戦う手立てがない。これはあくまでも正当防衛だ。


 逃げ出した先。屋上に続く階段の踊り場で溜息を吐けば、階下から声がかかる。おーい、衛宮―? と自分を呼ぶ声に手を上げて答えた。正直、返事をするのも億劫な程に消耗していたのだ。



 「お疲れ、今回は捕まったんだって?」

 「…………………間桐……………」

 「綺礼もよくやるなー。兄ちゃん、そろそろ逃げ切れないかもしれねえな」



 明らかに捕まる回数増えてるよな、と笑う雁夜が憎らしい。雁夜は僕と二人で居る時だけ、僕の事を切嗣でも衛宮でもなく、兄ちゃんと呼ぶ。それが少しくすぐったくて、でもじわりと胸を満たすぬるま湯のようで、嬉しい。
 手渡されたスポーツドリンクが喉を潤す、頭を抱えながら、思いの丈を吐露した。要は愚痴りたかったのだ。



 「これだけは君に文句を言いたい…………」

 「何でだよ」

 「言峰は君の事を追いかけ回しているんだろ」

 「は?」

 「遠坂が言ってただろ。君を昔から追いかけていたって」

 「はあ? 何言ってんだ? 綺礼は最初から兄ちゃんしか見てなかっただろ?」




 うそ。嘘。

 だって、僕らの事を知ってる人間なんていなくて、綺礼はいつだって、―――――、いつだって?
 そうだった、いつだって、バカの一つ覚えみたいに。














               

 「本当に、綺礼は昔から衛宮君が大好きだったからね」

 「…………俺じゃきっと、切嗣を追い詰めるだけだろうな」



 悲しいけど。俺じゃ切嗣の罪悪感をひたすらに掘り起してしまうだけなんだろう。俺は本当に何も恨んでいないし寧ろ誇らしく思えている。大切な半身を守ってやれたんだから。こんな忌まわしい間桐の魔術から、切嗣を、兄ちゃんを守ってやれたんだ。
 本当は手を差し出してやりたかった。その手を差し出すのは俺の役目でありたかったのに。



 「ずるいよな、綺礼は」

 「…………綺礼だって、ずっと待っていたんだよ」



 ふふ、と時臣は笑った。確かに、何も伝えられずに居なくなった切嗣を、綺礼はずっと待っていた。
 切嗣は知らないんだろう。どれだけ俺達が同じ服を着て、同じ仕草をして、同じ口調をしても、いつも絶対に綺礼はお前の隣に居たと言う事に。名前と云う物を人を識別するだけの記号としてしか捉えていないのは、綺礼も同じだったと言う事に。



 
 「……でもやっぱり」

 「あ?」

 「衛宮君、って他人行儀で少しだけ寂しいね」



 その言葉とは裏腹に、時臣は柔らかく笑った。



 「大丈夫だろ」


 
 根拠はないけれど、きっと、大丈夫だと思っている。
 悔しいけど、俺と同じくらいにお前を想っている人間はいるんだ。


 


 許されたくないんだろ。
 なら、許し続けてやる。

 
 自分の罪だと、それを背負い続ける気でいるのなら、その贖罪は最初から決まっていた。



 「またすぐに、昔みたいに笑えるだろ」




 ――――――それはきっと遠くない未来の話。










贖罪を願う君へ
(最高の罰を)