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無償の愛には耐えられない


 父の語った長い思い出は、きっと、確かに、恋の話だった。なんだ、と俺は思った。両親は、ちゃんと、愛し合っていたのか。それが何かの免罪符になるわけでもないけれど、俺を通して見る誰かが、愛した人であるのなら、それは多分、少しは良いことだった。
 探していたお母さんは、お母さんじゃなくて、もう一人の父だった。俺の母は黄泉の国まで探したっていなくって、いるのは二人の父だった。それはとても多分奇異なことで、でも今まで男の妊娠のニュースなんて関心を持って見ていなかったから、それがどんなに珍しいことなのかよく分からない。
 生きてたら。もし、生きてたら、きっともっと違った。二人の父の存在に思い悩むこともあっただろう。でも、もう死んでいるのなら、性別はそんなに重要なこととは思えない。というか、実感がわかない。そもそも、燃やされて灰になって埋められているのなら、性別なんてわからないじゃないか。
 父は言う。ぽつりと、口から落っことしたように。
「それでも、やっぱりちゃんと親になんて、なれなかった」
「……そうだね」
 たぶん、この人は、親になるのはちょっと向いていなかったのだろうと思う。偉大なる嘘つきとして、人の親となりえる資格があるみたいな顔をして、ハッタリかまし続けるのは、誠実すぎて向いていなかった。親は、子どもの前では、自分は親になるだけの資格を持った人間だと嘘をつき続けなければならない。人間というのは、生涯未熟だ。未熟なまま、未熟なものを育てるのは大変だ。人生というのは正解が分からない。正解が分からない問題を教えるのは、どのような優れた師であっても困難である。だから、迷い続けなければならない。迷いを見せないままで。いつか子どもが、親も未熟だと気付くその日まで。
「少なくとも、十歳の子供の誕生日に灰皿を送るのは、どうかと思うよ」
「うん、俺、……人にプレゼントとか買うの、苦手で」
 まるで器用みたいな顔して、親しい人相手にはとことん不器用な人だ。
「これ。結局見てないの」
 財布の中から、しおりを取り出した。これも多分、紛れもなくプレゼントだろう。遺品、と言った方がいいのかもしれないけど、でも、死んだ人が遺したものは、全部プレゼントってことにしてしまってもいいと思う。たぶん。
「二人が幸せに、か……」
 父はしおりの手書き文字を、ポールペンの凹凸まで感じるようになぞった。その段差から、何かを吸い込むように。
「別に、幸せじゃなくてもいいよ」
 あげる、としおりを返される。プレゼントをするのが苦手な人は、きっとされるのも苦手なのだろうな、と思った。父の誕生日なんて祝ったこともないし、そもそも教えてもらえてもいない。ていうか結局今何歳なんだ本当この人は。いいけど、何歳でも。
「幸せじゃなくても、いいよ。途中で疲れて、死んじゃってもいいよ。幸せでいて欲しいとか健やかに過ごして欲しいとか長生きして欲しいとか、親のそんな身勝手なお願いなんて、ちっとも聞く必要なんかないんだ。お前が死んで、俺が悲しんだとしても、お前はそんなこと気にしなくていい。お前の命は、お前のものだ」
 生きて、幸せになって。それはたぶん、正しい願いだ。そんなことを子供に言うなんて、とはだれも糾弾しない。しかし、言葉というのは人を縛る。良い方向にかもしれない。でも、縛られて苦しいと感じること。正しいことは、必ずしも良いことではない。
「別に、幸せになりたいと、思ってるよ。大丈夫だよ」
「そっか」
 俺の人生には、まだ何にも起きてない。まだなにも。精神を脅かすような大きな出来事も、命の危機にさらされるような大きな事件も。まだ、なにも。まだ、これからなのだった。これから先、まだきっと、もっと長い。
「ねえ、俺は、父さんの未練になったの」
「…………ならないと、思ってたんだけど」
 死にかけて。もういっかな、って、思ったよ。ここで諦めても、まあ、許されるかなって、思った。思ったのに、お前のこと、どうしよう、って。一人になるお前を、俺が見たくない。いつの間にか、そんな立派な、未練に。
「俺の負け。赤井の言う通りだったよ」
 目が覚めて、安心した。ああ、まだ、生きてるって。そのうち死ぬけどさ、でも、まだ死んでない。まだ、生きてるって、そう思ったんだ。
「……お前、なんのために産まれてきたのか、って、聞いたよな」
「うん」
「お前が、産まれてきた理由は、それだよ。お前はアイツが俺の未練になるようにと産んだ。でも、そんなくだらないことは気にしなくていい」
 父の手が、俺の頭のてっぺんに置かれて、髪を撫で、直らない癖っ毛に軽く指を引っ掛けて、離した。メアリーさんもそうだったから、もしかしたら、もう一人の父も、直らない癖っ毛をどうにかして生きていたのかもしれない。
「生物というのはいつだって親の都合で、身勝手さで産まれて来る。産まれて来る理由に良いも悪いもない。そんなのは関係ないから。どうせみんなくだらない理由でしか出産しないから。だから、自分の生きる理由と産まれてきた理由は全然関係なくていい」
 もう一度。頭に置かれたて手は、今度はさらっと去って行った。
「パートナーとの愛の証がほしいとか、中出しセックスしたいとか、老後介護して欲しいとか、それが普通だからとか、周りがうるさいからとか、子孫を残したいとか、子どもが好きだからとか、ただただ子供が欲しいとか、未練になるようにとか、全部全部、心底くだらないよ。だから、お前はそんなこと気にしなくて良い」
「……うん」
「生物が誕生するだけの、十分な理由なんてこの世に一つもない。だから、産まれてきた理由なんて、気にする必要は全くない」
 きっぱりと、言い切られて、涙が出そうになった。ずっと、ずっと、どうして産まれてきたんだろうって思ってた。父は俺のことを必要としていない。母はいない。じゃあなんで、って。なんで産んだの。必要じゃないなら、なんで産んだのって。未練になるように、って聞いて、実際そうだった、って聞いて、嬉しかった。命を、祝福されたみたいな気がした。でもそうじゃなかった。自分を肯定されることは嬉しいけど、肯定されるために生きてるわけじゃない。他人のために生きてるわけじゃない。自分のためだ。何もかも全部、自分のため。俺は自分のために生きているし、そうするべきなのだ。
「まあ、生きる理由なんて何十年も生きててもさっぱり分かんないんだけどさあ……」
 お前はちゃんと、見つけられるといいな、と言われた。大丈夫だ。たぶん、大丈夫。なにせ俺は死ぬほど優秀な父と、それよりもさらに優秀だという父から産まれたのだ。つまり、俺の遺伝子は、父さんよりも優秀なのだ。だから、大丈夫。
「子どもの愛し方だって、未だに分からないし……。赤井は俺に、何もかもちゃんと教えてから死ぬべきだったんだ。馬鹿だよなあ」
「……その、アカイシュウイチだって、知らなかったんじゃないかな。子どもの愛し方なんて」
 俺は、親も人間だってこと、もう分かったから大丈夫。親になったからといって、突然何か特別な生物に変わるわけじゃない。息を吸うように愛することなんてできない。子どもの愛し方なんて、きっと、産んだら自然に分かるなんてことは、ない。子どもは親から自然に愛されると思ってるのに、親は自然と子どもを愛するなんてことはできないのだ。産んだことないから知らないけど、たぶん。愛とは何か、誰にも分からないのに、それが必須とされるんだから親という仕事は大変だ。
「勉強しようよ、俺も家族の愛し方なんてわからないし。だって、たった一人の家族が、そんな大事なことも教えてくれないんだから。家族ってどんなものか、手探りでいいからさ、ちょっとずつ……」
 父は初めて見る表情をした。きょとんとした顔。ちゃんと人間に見える。マトモな。
「お前のこと、ちゃんと愛せるかな」
「ちゃんと、愛せなくてもいいよ。なんとか、ほんの少しでもいい、伝われば」
 この表情は……なんだろう。「めんどくさい」?いや、うーん、「度し難い」とか。「一足す一みたいに単純に言いやがって困難極まりないわ阿呆」って感じ?
 そうやって難しげな顔をした後、ふと、悪戯っぽい顔でちょっと笑った。
「でも俺、お前のこと、愛そうと思ったら、殺しちゃうかもしれない」
 やっぱりこの人、マトモな人間じゃないなと数秒前の印象を思い直す。全部全部、初めて知った。まっすぐ愛するのはたぶん、知ることから始まるのだろう。
「じゃあ、強くなる。父さんに殺されないくらい。俺は、二人の血を二等分して生まれてきたんでしょ?じゃあ、父さん達よりも、強くなれるはずだ。二人のいいところをもらってさ」
 言葉にすると、本当にそうだと思えてくる。なんだってできる。何にでもなれる。思い描いた未来は、きっと全部実現可能だ。
「……世良真純さん……会ったんだっけ?赤井の妹なんだけど、世良さんに、ジークンドーを教わるといい。俺も、ボクシングとか、柔道とか、教えるから」
「ねえ俺、剣道部なんだけど」
「剣道はちょっと……そんなにちゃんとやってないから、手加減がうまくできない」
「ムカつくなあ」
 とりあえずの目標ができた。剣道で父さんから一本をとることだ。面でも胴でも小手でも突きでもいい。大技なんか極めなくていい。その後二本取り返されて試合としては負けたって構わない。とにかく、一本取ること。可能だ、と信じられる。信じられることは現実になる。信じる力は偉大だ。
 生きる目的なんて、そう簡単には見つからない。父さんみたいに、何十年(結局何十歳なんだ?)も見つからないかもしれない。でも、そうやって、目先の生きる目的をなんとかこじつけて生きていく。別に大したことじゃなくていい。テストの点を五点あげるとか、今日夜帰ったらアニメ見るとか、次のサンデーの発売日までは生きるとか、澄ました顔の父をぎゃふんと言わせるまで死なないとか。そうやって、目先のくだらないことを積み重ねて生きていく。それが尽きたらいつか死にたくなるのかもしれない。でも、まだ死んでないから。まだ生きていたいから。そうやって、ずっと、……たぶん、しばらくは、生きていく。
「ねえ思ったこと聞いてよ。俺が父さんのために産まれてきたのなら……きっと、父さんは俺を産むために産まれてきたんだよ。俺という存在をこの世に発生させるために、今まで生きててくれてありがと」
「……なんで、会ったことないくせに似るのかなあ」
 そのネアカはどこから拾ってくるわけ?世良家にはそんなパワーで満ち満ちてたりするの?
 そんなこと言われても、知らんし。父さんが根暗だからバランス取るためじゃないの。……根暗だっていうのも、今日初めて知ったんだ。
 何かを始めるのに遅いなんてことはない。だから、何もかも全部、始めたい時に始めたらいいのだ。
「父さん、俺のこと愛してる?」
「うん、分かんないなあ」

 それでいい、それでいいよ。それがいい。

end



 

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