アノミー


 

これを改良して長くしたもの




クリスマスだ聖夜だと浮かれる駅前の街並みは普段より人混みが混雑していた。しかも内容は数人や二人組が固まって歩くもんだから、密度が濃く見えて仕方ない。しかも今年はホワイトクリスマス、ちらほらとだが空からは雪なんざ降っている。

(胸糞悪ィ…)

カップルや友人、楽しそうに思い思いの相手と話をしながら歩く人達は自分達の人生に必死でこちらなんて見はしない。無理に引かれた腕が痛む。眉根を寄せて俺を引っ張り回す前の男二人を見ると、パチンコ屋の横にある路地裏へ引き込まれた。
そのまま少し奥に入って行き、どんと押されて地面に尻餅着く。見上げた空はパチンコ屋とオフィスビルの合間から漏れる光と雪で、汚らしい壁すら綺麗に見えた。

「おい狂介、何ぼーっとしてやがんだよ」

「………してねぇし」

見上げた男は苛立ちと何かしらを混ぜ合わせた顔で俺を見下ろしている。連れの方の男も同様だった。
何故だかわからない。わからないが、俺はこいつらに泥棒だとか疑われているらしい。この男は一応俺の商売相手だ。最近は妻子持ちか紳士的な奴か、こういう事態の起きなさそうな奴しか選ばずに慎重にしていたのだが、この業界に顔を突っ込んだ当初の唯一の顧客だった男だった為どうにも蔑ろに出来ず今までいた。しかし今日嫌気が差した。この間寝た時に俺が男の高い値のする腕時計を盗んだのだと言う。駅前で偶然顔を合わせてはそれを言われ連れ回され、今に至った。同行していた連れも一緒に来させる辺り、弱腰が伺える。

「幾らすると思ってんだよ、あの時計」

「だぁから、盗ってねーって」

いい加減面倒臭い。溜息混じりに言うが、男は俺の返答に満足出来ないらしく眉根を寄せる。
第一、そんな時計すらあったのかがまず疑わしい。

「もしもう物がないんでも、金で返せやいいからよ」

「だから盗ってねーって」

「犯人っつーのは否定するもんなんだよ」

学生の身分で高い時計なんて所在に困る。売ったとしたって俺の貯金に比べりゃ大した金にもならないだろうが。盗る理由がない、というかそんな時計をこの男が付けてる所を見た記憶がない。急所蹴り上げてやろうか、こいつ。

「まあ安く見積もってお前の商売10回分って所かね」

座り込んだ俺の目線に合わせるように、男も座る。正面に見据える位置でしゃがまれ、ぱっと振り返った。別な建物の壁で行き止まりになった路地裏の奥を確認し、あまり使われてなさそうなパチンコの通用口を見て、逃げるならこの男二人の間を通るしかないかと俯く。また正面に顔を戻すと連れの男に片手を捕まれ、男に頬を撫でられた。

「…触んなッ」

ぐっと身を攀るも、強く捕まれた手は解けない。妙に焦って立ち上がろうとするも押し込まれるように肩を捕まれて上手くいかない。商売とは違う、なんだか人権をぐしゃりと捻り潰されるようだ。背中に妙な汗がどっと流れる、鼻先を舞う雪が不愉快でしかない。

「近くにホテルあんだろ、そこ行こうぜ狂介」

「ま、こんな寒い場所で話もあれだしなぁ」

ぞっと寒気がする。今日は寒いぞと馨介に出掛けに渡されたマフラーなんて意味ないくらいに、寒気がした。別に抱かれるのなんて慣れてるけど、こんなにも理不尽な話は初めてである。本当に胸糞悪い。
二人の奥に見える人混みでは楽しそうに思い思いの人生に没頭している奴らががやがやと音を立てていた。別世界みたいだ、と無理に立ち上がらされながら眺めていると見知った人間が通り、ちらとこちらを見る。そして足を止めて、俺と目が合った。

(…馨介じゃねぇか)

長い髪に黒いコート、買物途中だったのかブックセンターの黒い袋を片手に持っている。あんだけ寒いとか言ったくせに自分はマフラーを巻いていない。癖みたいになっている笑みを見せなきゃ随分と目付きの悪いその顔が、少しだけ吃驚している様子だった。そうしてほんの少しばかり間を空けた後、こちらへ歩いて来た。

「……きょうす、」

馨介何来てんだよ、と言おうとした。しかし言う前に男二人の後ろにまで来ていた馨介は連れの方の男の襟首を後ろから掴むと、そのまま型のなっていない大分荒い背負い投げ…のような腕力任せの投げ技でもって男を地面に落とした。どんっと重々しい音がしてから、布の激しく擦れる音がする。
それからいきなりの事で状況の読めていない、俺の肩を掴んでいる男の掌を力強く掴んだ。

「……すまない、俺の弟なんだ」

随分と不機嫌そうな声だった。そのまま「あ」やら「いや」やら口ごもる男の鼻頭をがすって音のする裏拳で叩いた後、男の掌を音がするくらいに握り締める。すぐにぱっと手を離せば、男は伸びてしまった連れをたたき起こしてそのまま何も言わずに振り返りもせずに走って逃げていった。馨介、目が大分据わってる。そんな顔も出来んのな、つか喧嘩なんて出来るのな。

「……怪我、ないか?」

「え、あ、うん。まあ…」

「そうか、じゃあ」

くるり。一通り俺の全身を確認すると、馨介は踵を返して人混みへ向かった。始終無表情で、どうにも様子がおかしい。
馨介だったらうざったいくらいに俺の体を調べて、怪我がないとわかると嬉しそうに笑って「よかった」と頭を撫でるくらいに、まあ、ブラコンだ。ましてや一人で家に帰らせたりしない。

「きょ、馨介…!」

「……なんだ」

それにこんな目茶苦茶冷たい目しねぇし。あの鬱陶しい過保護な顔はどうしたんだ、と、考えて、それでふと思い出した。思い出した途端に色んな感情が溢れて、なんと声を掛ければいいのかわからなくなる。随分無神経な俺だが、こればかりはなんて声を掛ければ良いのだろうかと悩んでしまう。だってこいつ、あれだ。

「……いつ日本に来てたんだよ、磬介…兄ちゃん」

馨介の双子の弟の、磬介だ。そうに決まってる。馨介と磬介が七歳の時、俺が一歳の時に外国に行った、らしい。話を聞いた事しかなかった。どうにもなんか重い病気とやらで外国での治療が必要だったらしく、馨介が言うには簡単には日本には来れないらしい。だから俺は磬介という人間をまるで童話の人物のように感じていた、身近なようで見えない人間。しかし何故その磬介が今此処にいるんだろうか。

「…俺の事、わかるのか」

「そりゃ、まあ…」

馨介は季節の変わり目には磬介に手紙を書いている。あきずによくやるな、と俺は思っていた。俺からすれば磬介は見た事のない兄貴だ、感情移入のしようがない。

「…一年前に、こっちに来た」

「んな前から?」

「………この近くに住んでる。来るか?服が大分濡れてるが…」

一年前って、馨介は先月も外国に宛てて磬介へ手紙を書いていた。磬介から手紙が来た事はないから二人の仲が温厚ではないのではと薄々考えてはいたが…どうやら本当にそのまんまらしい。
とりあえず、頷く。磬介はそこでようやっと怖いくらいの無表情を小さく笑顔に変えた。そうして再び踵を返して人混みへ向かう。着いて来いって事か。口数が少ないなと馨介よりも細く見える痩せた、不健康そうに青白い首筋を見上げる。マフラー、すりゃいいのに。

「知ってるかもしんないけど」

「ああ」

立ち上がり、汚れた掌を上着で拭いながら磬介を追う。ぞんざいな返事にやっぱり無愛想だと眉根を寄せる、見た目は疎か声まで馨介にそっくなのに、妙な感じがした。
だが俺はといえば馨介のああいう他人の顔色を伺う雰囲気がどちらかというなら嫌いであったし、兄としての存在への理想というと馨介とも京介とも違う、まさしく磬介のような人物である。というか、磬介は自分と少し似たにおいがした。

「俺、ってか、俺達の家」

「此処から、遠くはないな」

「やっぱり知ってんのな」

袋を持っていない片手をポケットに突っ込み、振り返りもせずに磬介は人込みをざかざかと歩く。点灯前のイルミネーションに売れ始めるケーキ、積もろうと降りまくる雪を写メる若者に自分達のドラマチックなデートに浸る恋人達、本来クリスマスとはなんたるか。

「………あいつは」

「ん?」

「馨介は……まだ俺に手紙を書いてるのか?」

半歩後ろを歩いて、言われた言葉に高い身長の磬介を見上げる。見上げた磬介は、磬介も、空を見上げていた。
初めて会ったという感覚に近い、いや、実際物心付いてから会ったのは初めてだ。だけど磬介という人間は初めて会ったのにも関わらず、自分のふてぶてしい性格からか馨介と双子の兄弟だからか、いや、家族だからなのか、とっても違和感を感じさせない絆を感じる。

「先月も書いてたよ、外国のアンタ宛てに」

「そうか…」

人込みの中で磬介の足が止まった。こっちだと角を左に曲がり、少しばかり路地に入って行く。駅から15分くらいだろうか、そこそこ立地条件の悪くなさそうな場所だが、磬介の自宅らしいそのアパートはなんとも家賃の安そうな佇まいだ。
2階建ての各部屋狭そうな小ささで、洗濯機はそれぞれの部屋の前に付いているのかと思ったが付いている部屋と付いていない部屋とでバラバラで、何故か未使用の消化器が定位置から外れてごろりと落ちている。
ゴミ捨て場には「曜日を守れ!」と大家(字体からして男だろうか)の苛立ちを感じさせる貼紙があり、粗大ゴミと缶ゴミが可哀相に放置されていた。

「まあ…外観はアレだか中はまともだ、気にしないでくれ」

いやまあそれは磬介の部屋はまともだろうけれど。粗大ゴミ、曰く古いテレビには「105瓜生」、缶ゴミの袋には「201氷室」と大家の貼紙と同じ字体の字で書かれた貼紙が貼ってある、恐らく大きくないアパートだから犯人は簡単に特定出来るのだろう。そして犯人はゴミを持って帰りはしない、と。
つまり以上の奴らの室内がどうなっているかは、わからない。汚いんじゃないだろうか。あからさまにチャラチャラとした赤やピンク色のステッカーやシールの貼られたテレビに、酒の缶が目立つゴミ袋。
近場の俺達の家よりこんな所を選ぶ理由は、馨介を嫌っている理由と関係があるのか、いや、理由が馨介なのか。

磬介はポケットに突っ込んでいた片手を出して、握りしめていたらしい鍵を指先で持って洗濯機の置かれていない102号室の前に立った。がちゃりと音を立てて扉を開け、扉を片手で開けたまま中に入り靴を脱ぎ、磬介は入れよと俺を促す。片手に持っているビニール袋を玄関先の壁に寄り掛からせて置いて、俺が入ると扉から手を話して部屋の奥へ入って行った。

「鍵は開けたままでいい」

「あ、うん」

手をかけようとした内鍵から手を離し、靴を脱ぐ。玄関先は手前に小さな小さなキッチンがあり、少し奥に洗面所らしき汚い扉があった。その更に奥に5畳程度の部屋が一つ、小さな折り畳み式テーブルが壁に立てかけられており、ノートパソコンの置かれた事務机のようなつまらない机と薄い布団が足元に畳まれて置かれたベッドがあり、あとは、無地の背の低い白いカラーボックスと本棚があり、それだけ。カーテンは白い、公共施設にだってもう少しまともな柄がついた物が引いてあるだろう。
なんというか、そう、殺風景。
キッチンは汚れてはいるが、最近ついた汚れとは様子が違う。扉や柱なんかの汚れも以前住んでいた住人の名残だろう。

黒いコートを脱ぎ、玄関からでは死角になっていたらしい位置からヒーターが引っ張り出されて何か安心した。ようやっと生活感がする。
天井近くの張りに掛かっている無地のハンガーにコートをかけ、もう一つハンガーを手に取って俺へ手を差し出した。

「…風邪、ひくぞ」

「あんがと」

意味を理解して濡れた上着を脱いで、磬介へ歩み寄ってそれを渡す。受け取った上着をハンガーに掛けて、磬介は張りへ二つのハンガーを引っ掛けた。
壁に立てかけた状態の折り畳み式テーブルを開いて置き、その近くへヒーターを引き寄せて磬介は隅に立てかけておいてある座布団をぽそっとテーブルの前へ置く。

「……座れ」

「ん」

俺が座ったのを確認して磬介はカラーボックスからセーターとジーパンを引っ張り出した。大きいかなとばかりに広げてから、簡単に畳んで俺へ差し出す。

「濡れてるだろう、服。着替えるといい」

「あんがと」

受け取って、湿った服を脱いだ。正直ジーパンなんか気持ち悪いくらいに湿っていて、本当にありがたい。着替えてる俺を見て、それから磬介はキッチンへ歩いて行った。

「紅茶でいいか?」

「あ、うん」

なんでもかんでも壁に立てかけるというか、隅に寄せるんだなぁと部屋を見回した。清潔というよりはやはり簡素で殺風景。
立ち上がってジーパンも穿き変えて、渡されたセーターも着る。ふう、と、息を吐いて再び座った。
脱いだ湿っている服を畳んで、膝に乗せる。床に置いていいぞと声を掛けられて、じゃあと床に置く。
振り返って見遣った磬介は頭上にある小さな棚からヤカンとカップを取り出していた。よく見ていないからわからないが、一つしかカップを取り出さないあたりどうにもカップは一つしかこの家にはないのではないかという、不安に似た不思議な予感がした。というか冷蔵庫もない、どういう生活をしているんだろうか。

「狂介」

「ん?」

ヤカンに水を入れ、蛇口を締めた後に磬介は俺を横目で見遣る。胡座をかいた状態のまま顔だけそちらに遣れば、磬介は少し間を開けて「お前は」と呟いた。
ヤカンをコンロに置き、火を付け、小脇の小さな棚からティーパックを出す。なんだろうかと続きを待ち、体全体をそちらに向けた。

「…俺の事を、兄と、思ってくれる、か?」

ぽつりぽつり。なんとも小さくしかも語尾に向かうにつれて掠れさせて、磬介は言う。

「当たり前じゃん」

何を言うんだ、と、思った。それは本当に凄まじいぐらいの即答で、なにか少し可笑しい感じもしてしまう。
すると磬介は、ぱち、と吃驚したように瞼を瞬かせた。馨介だって同じ表情はするだろうけど、なんでか無表情ばかりだった磬介のする顔だからか、すごく新鮮に見える。

「初対面なのにか?」

「まあそうだけど。でも正直クラスメートとかより、つか、馨介とか京介より磬介…兄ちゃんとの方が、話し易いな」

「…そう、なのか?」

「大体俺さ、あいつらと一緒に暮らしてからまだ2年経ったか経たないかだし」

ああ、と、磬介は気付いたように頷く。知る術って馨介の手紙くらいだろうに、まあ読んでたんだな、一応。
ティーパックとお湯突っ込んだだけの紅茶を持って、磬介はこちらの部屋へ歩いてくる。俺の前へそのカップを置いて、テーブルを挟んだ向かい側へ座った。どうやらこの部屋に座布団は一つしかないらしい。
あまり口数は多くないのだろう、磬介は考えるように静かに黙って思案している様子でどこともなく視線を遣っている。

「兄ちゃんは馨介の事嫌いなのか?」

だからぽつりと沈黙を破った。貰った紅茶を一口飲み、砂糖ないけど別に飲めるなともう一口飲み込む。ばっと磬介の顔が上がった。

「…なんでそんな事聞くんだ?」

「なんでも何もないだろ、手紙に返事はしないし同居しないどころか日本に来た事すら伝えてない」

カップを置いて、磬介を見遣る。よく見ると馨介よりずっとずっと血色が悪いかもしれない、馨介より痩せてるかもしれない。先程の助けてくれた時のあれからするに、筋肉は付いているかとは思ったが雰囲気はとてもか細い様子だし、それに何より不健康そうな空気がする。尋常な感じじゃあないような。
磬介は病気で海外にいるんだよ、と、聞いた時に俺はなんと感じたのだったか。一人ぼっちなんだねと感じたのだったか。物心ついてすぐに聞いたからか、正直過ぎる残酷な感想だったかもしれない。

「アイツは…お前らの高校の入学式に立ち会えたろ?」

「あ………ま、あ、そうだけど」

目線が床に向かっている。目が合わない。
なんだか暗い表情だ。いや、実際には表情筋は先程からぴくりともしていない、雰囲気が暗いのか。

「あと、葬式もな」

そこでようやっと磬介の表情が苦笑に変わった。
葬式。言われて、頭がぐらりとした。父と母の葬式の日、俺はその日をうっすらとだが覚えている。だが確かに、その薄ぼんやりとした記憶の中に磬介はいただろうか。どう頑張って記憶を掘り起こしても、似た顔の馨介しか浮かびはしない。

「双子なんだ、なのに…あまりの違いに腹が立つんだ」

「でも馨介は」

「悪くない。いや寧ろ、あいつだって辛いよな…だから困ってんだよ」

誰を恨めばいいのか。そういう事なのだろう。
俺には予想もできない、小さい頃から海外に行かなくてはならない病気に蝕まれ、年頃には愛しいだろう親とも片割れとも別れて遠くへ病気と闘いに行った。
その闘病中に両親が死んで、状態が飲み込めないまま葬式へ飛んでも行けない。言葉の通じないその場所で血の繋がりの遠い親戚に世話になりながら、どんな気持ちだったのか。

「まだ月一で検査は必要だけど……もう入院は必要ないんだっていうから、日本に来た。けど」

帰って来た、ではない。

「……どんな顔してアイツに会えばいいのかわからないんだ」

自覚はないだろう。ぼろっと俯き加減のその顔から涙が落ちた。気にしない様子でそれを裾でぐいぐいと拭い、磬介は顔を上げた。

「……馨介の事は、いい。とにかく狂介に会えて嬉しいんだ」

ぽんぽんと俺の頭を撫でる姿が、嬉しそうで、それと撫でかたがすごい馨介に似てて、なんとも言えない気分になった。俺も嬉しいよ、と、小さく呟けばわしゃわしゃと撫でられる。

「馨介には、言わない方がいいのか?」

「…俺が此処に居る事か?」

「うん」

「…まあ、いずれバレる。でも聞かれないなら言わないでおいてくれないか?」

「わかった」

頭を撫でながら磬介は少しばかり黙って考えるように目を伏せた。その考える仕種は癖なのだろうか。少しだけ見ていると目が合う。
無表情のそれが、ふと笑顔に変わった。狂介、と、慈しむように名前を呼ばれると馨介に本当にそっくりで、でもそれが何か嬉しい。

「…いきなり説教っぽくてすまないが」

「ん?」

突然なんだろう、と、微笑を保ったまま俺の頭から手を離して話し始める磬介を見遣る。

「さっきの二人、トモダチか?」

言われ、ああアイツらかとげんなりした。あんまり思い出したくねぇ、というか、説教とかってするのなんて結局馨介とか京介とかと変わんないのな。いやまあ俺の事が心配なんだろうけど。

「……ただの友人との喧嘩なら放っておいた、が、様子が変だったろ」

「……あーまあ…」

「俺もお前ぐらいの年齢の時、同じような事をしてた」

「…あ?」

息をするのを一瞬忘れた。
ただの友人との喧嘩とは違うと言った上で、同じような事をしていた。そう言うという事、は、だ。商売の事を指すのだろうか。

「……酷い発作がないと調子に乗って、そこいらの奴に喧嘩売っていた」

なんだそういう事か。少し安心して見上げていた目線をテーブルへ下ろす。ちょっと冷めた紅茶を一口飲むと、磬介が「それと」と呟いた。

「体を売っていた」

今度こそ息をするのを忘れる。黙ったまま磬介を見上げて、名前を呼ばれてようやく息するのを思い出した。
なんでそれを、と、唇を開こうとするが磬介は首を横に振る。

「だが俺の場合、相手は女だった」

言いたい事は言い切ったのか、磬介は再び黙って俯く俺の頭を撫でた。
たっぷりと黙ってたっぷりと俺の髪が乱れるまで撫でて、磬介はまた唇を開く。

「狂介がいいならいいんだ。ただああいう仕事は絡みつくだろ」

「なにが」

「関係が。断ち切れない、面倒だ」

体で繋がるとどうしてもズルズルと引きずってしまう。そういう風に感じて、いつも何か長い帯のような物が足に絡み付く感覚がして、それが大嫌いだった。
どんなに割り切ったってどんなに相手がドライだって体上繋がってしまった、それは生物学的に同性だろうと生殖を意識させて考えれば考える程に不思議な感覚をさせる。

「早い内に足を洗うといい」

「……ん」

磬介のその数分かからない話は、変に説教されるよりよっぽど効果的な感じがした。
見上げた磬介の細い首筋は怖いくらい青白い。




時間にして2時間程だろうか。本当にくだらない事をだらだらと話していた。
学校の事や京介の事、日常の事。大体は俺についての話で、磬介の話は最初しただけでその後はあまりしていない。

「泊まって行くとか言ったらどーする?」

「……此処にか?」

「うん」

2時間経てば俺の態度も怖いくらいに砕けていた。馨介や京介と変わりない、いや、それ以上にリラックスしているかもしれない。
なんだかんだで京介は俺の商売の事は知らないし、馨介は薄々気付いてはいるようだが言いにくそうにいつまでも触れようとしない。だが磬介は知っていてそれでいてそんな気にしない様子、というか、経験者だ。それだけでなんとなく一緒にいるのが楽。
てかあれだ、口数少ない奴が昔から好きだった。ルドガー先生に懐いたのも遊星先輩をよくからかうのもそういう事で、なんとなく雰囲気が居やすい。

「狭くてもいいなら構わない」

「わあい」

「ただ、俺はそろそろ数時間外に出るから、留守番しといてくれ」

「?いいけど」

どうせ家に帰らない日とかしょっちゅうだし、と、考えていた。兄弟とかいう言葉はあんまり好きじゃないとか見せながら、結局俺は馨介と京介が結構好きである。ただそれを表立って言わないが。だがつまりそれと同じように磬介も好きで、居られるなら一緒に居たい。

「何しに何処行くんだ?」

「アルバイトをしに、駅前に」

言い、磬介はポケットの携帯を取り出して時間を確認した。
アルバイト。言われ、考える。磬介は勿論馨介と同じ年齢である。馨介は確か今年で24歳で、とてつもない速さで出世しており今や5人だけだが部下がいたりしていた。

「…兄ちゃん、フリーターなのか?」

「…………………あ、いや、一応大学生だ」

言われて事に気付いたか、磬介は盛大に間を空けてから首をゆるりと横に振って訂正する。大学生、と、言われて本棚を見た。確かによく見ると学生さんらしく教材の多い本棚である。

「まあ……あっちじゃ真面目じゃなくてな。こっちに来て真面目になろうって事で…去年、引っ越してすぐ大学に入ったんだ」

此処から近場の、駅が二つばかり向こうの大学に行っていると磬介は説明をした。その大学の名前を聞いて、あれ、と、思う。
確かそこは結構頭良いところじゃあなかったか。というか、俺って奴はあんまり話聞かないからうろ覚えだけど。

(…馨介の行ってた大学ってそこじゃなかったか…?)

磬介は知ってるんだろうか。いや普通は気付くよな。てか構内で何か言われるだろう普通は。磬介が入る何年か前に馨介がそこを出たのだから。

「帰る時に大家に敷布団を借りて帰るから、もし遅くなってしまったら、ベッドで先に寝ていて構わない」

言って立ち上がり、磬介はベッド上の畳んであった布団の上に置いてあった鞄を手に取り中身を確認すると「あ」と呟いて俺を振り返る。

「忘れていた」

「?何が?」

「メリークリスマス」

俺もすっかり忘れていた。言われて思い出し、笑顔を返す。

「メリークリスマス」

楽しくない行事だと毎年思っていたが、今は少し嬉しかった。馨介はこの日は出勤ある事が2年続き、今日もそうである。その為帰りは同僚らや上司と飲んで遅くなるし、京介も友人らとクリスマスパーティーなる事をしていたし、俺はといえば駅前をぶらついて時間潰し。兄達と住む以前のクリスマスなんて問題外で、思い出したくもない。

「…鍵は渡しておくから、夕飯は何か買って食べておいてくれ」

「うん」

財布から数千円取りだそうとする姿を見て「いいよ」と苦笑する。なんだってそんなに面倒見たがるのか。

「金ならあるし、ってかバイトで生計立ててる人に出してもらえねぇって」

「……すまない」

財布からお金が無くなるのはやはり辛いらしく、甘んじて磬介は財布を引っ込める。代わりにポケットから鍵を取り出して俺へと差し出した。

「先に寝る場合はネームプレートの中に入れて置いてくれればいい」

「わかった」

受け取ったキーホルダーも付いていない鍵をポケットに突っ込む。掛けていた上着を羽織り、ノートパソコンを鞄に入れる様を眺めた。なんのバイトなんだろうと考えるともなしに考えて、ポケットの中で握りっぱなしの鍵を撫でる。

「合鍵作っていー?」

「……入り浸るつもりか?」

「だめか?」

「…………………」

上着を着ながら、ぼんやりと考えるように磬介は黙った。やはりそれは癖らしく目線を壁かなんかにやりながら上着の衿を正している。

「好きにするといい」

「ありがとう」

「……バイトと大学であまり家にはいない、ヒーターを酷使しないならカプセルホテル代わりにしても構わない」

「いや兄ちゃんに会いに来んだよ、俺」

言えば、磬介は俺を見遣ってぱちぱちと瞬きした。そうして唇をきゅっと噛む。俯いて、唇の端を上げる。

「ありがとな」

嬉しそうに、磬介はそう笑った。




磬介がバイトに行って、数分。
ごろんと座布団を枕にねっころがる。今何時だろうかと携帯を探すが、上着のポケットだと気付いて見上げる位置にあるそれを取るのが面倒で大体16時くらいかなと欠伸した。
夕飯がカップ麺で構わないなら棚に入っているからと磬介は言っていて、食生活がかなり酷い有様だと感じる。

(……馨介が見たら、なんて感じんだろうな)

馨介は磬介を超気にかけていた。いつも手紙は長い内容だし、話を聞くに十何年も続けているらしい。
一緒に暮らそうと、言うだろうな絶対。でも磬介がここに居ると言ったらそれは仕方ないだろう。

ふと、寝たまま視線をベッドに遣る。ベッドの下の奥の方に、何かあるのが分かった。手前に埃の積もった外国の風景雑誌やらが置かれ見づらいが、確かに何か雑誌と違う何かがある。
ベッドの下の定番たるエロ本だったら健全で何か安心するんだけどなぁと腹ばいになってベッドへ寄る。よくよく考えればこの部屋、DVDやビデオデッキは疎かテレビすらない。パソコンだって絶対あれ予定表とかレポート作成用のソフトしか使ってなさそうだ。

手を伸ばして、隅に追いやられているそれに触れる。埃は一切付いておらず、少なくとも昨日今日にも触った形跡が見られた。
引っ張り出したそれはクッキーか何かが入っていたらしい外国製の缶箱で、青と白を基調にしてある少し高そうな物である。
まさかクッキーをベッドの下に潜りこませてはいるまいな。
正座した膝に置くとちょうど良いその大きさに相応しく、重さは程よくずっしりとしている。

蓋は何度も開けた形跡があり、かたかたとはまりが悪くなっていた。触れれば外れてしまいそうになるそれを両の手で触って開ける。
蓋を取り、床に置いた。

「………これ」

中身は、紙切れが沢山入っている。元よりエロ本が入っているだろうなんて本気には思っていなかった。だが中身は予想外にも程があって、言葉を無くした。

写真と手紙が沢山入っている。一枚一枚手に取って見ていくと、同じ産着を着せられた二人の小さな赤ん坊の写真を始めに、見る枚数が進むにつれ二人の子供は少しずつ大きくなっていた。
二人はお揃いや色違いの服を着せられ、そして必ず仲が良さそうに手を握っている。笑顔は全く同じ顔で、お揃いの帽子を被って公園で走り回っている写真もあった。
何十枚目かの写真に写る小学校を背に校門で並んで写る二人の少年は、同じランドセルを背負って同じ顔をしているのに、片方の少年の方があからさまに細く見える。写真の裏には日付と行事名と、名前が書かれている。馨介と磬介、入学式。綺麗な優しい大人の女性の字だ。写真はどれもこれもくしゃりとよれて、握り締めた跡が伺える。
その次の写真には片方の少年が病院のベッドで寝ていて、片方の少年が千羽鶴を掲げて寝ている少年の頭を撫でていた。

写真はそれが最後だ。


(…読まずに捨ててんのかと思ってた)

手紙はどれも封が切られて、封筒と一緒に中身も取っておいてある。封筒の垂れ部分が切り取られ見やすいように、中身が出しやすいようにしてあった。
何度も読んだのだろう、紙はくしゃりとよれている。沢山の切手が貼られた封筒には鬼柳馨介と真面目な字が書かれていた。

一番上の手紙の封筒にセロハンテープで張り付けられた鍵に、馨介の家、と、書きなぐった紙が巻いてある。なんだ馨介、鍵あげてたのか。

(…一緒に住めばいいのに)

家の中に一部屋物置にしている部屋がある。あまり広くないが馨介はあまり荷物を入れようとしない、入れたがらない。必ずスペースを作っていて、どうしてもって物じゃないと物置なのに入れる事を渋っていた。磬介の為に、なら、流石は双子。不器用さが良く似ている。

なんだかんだで磬介は、馨介が大好きなんだろう。
『4歳、馨介お兄ちゃんが大好きな磬介』そう書かれた写真の二人は、ベッドの上で仲が良さそうに幸せそうに、片方の子供が片方の子供の掌をぎゅうと握って眠っていた。






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