かなわない A
なまえはヨロヨロしながら俺にバットを差し出し、にっといたずらっぽい笑みを浮かべた。
「よし! 男を見せてねスピッツ!」
「誰がスピッツだコラァ!」
「♪ さらば〜」
「恥ずかしいから歌うんじゃねぇ!」
声を野太くして、俺の高校時代のヒッティングマーチを歌うなまえが恥ずかしくなり、慌てて扉を開け打席に入った。こわごわ後ろを振り返ると、なまえが笑顔でまだ口を開けている。
一人で熱唱するおかしな女に見守られながら、俺はバッティングをはじめた。
練習でほぼ毎日打っているため、軽快に球を当て続けていく。だが、なかなかホームランの的には当たらないもんだ。
それにさっきから一番右端の奴、かなりできる。
ちらっと視線をやると、がっしりした体躯に、黒のニット帽をかぶっている姿をみとめた。どっかの野球部か?すげぇいい筋してやがる。
そいつに気を取られた俺は、一球打ち損ない無様なゴロになった。
「くそ! 一球損したぜ!」
だが最後に打った球はかなりの手ごたえを感じた。案の定、それは的近くまで飛んだものの、少し左に逸れたまま、結局俺の打席は終わった。
しかしそのすぐあと、パッパラー、と痛快な音が鳴り響いたのでそこへ視線を移すと、やはりあの奥の奴が打ったらしいことがわかった。またあいつか。まるで哲みてぇな打球の鋭さだ。
「くっそ......!」
なまえにホームランを見せたかった俺の野望は打ち砕かれ、意気消沈のまま扉を開けると......
なまえがいない。
あたりを見回すと、驚くべきことになまえは、あのニット帽の奴と親しげに言葉を交わしていた。
「......あいつ!」
バッティングセンターでナンパなんざいい度胸だ! こちとら、いかつい顔と言われながら、生まれてこのかた殴り合いのケンカなんてしたことはないがなまえのためだ! い、いやいや、ダメだ。野球があるからここは穏便に睨みだけきかせて......。
そんなことをぐるぐる考えていると、ニット帽のあいつがこちらを振り返った。
「おまっ、哲?!」
「む? 純か?」
「あ、純終わった?」
なまえがのほほんと平和的な顔で俺の方を向く。
「純もみょうじも久しぶりだな」
「そういやこの辺、M大の近くだっけ」
「ああ、たまに息抜きで来る」
「やっぱ哲だったのかよ、あの打球」
かつては良きチームメイトだった哲は、今や恐ろしい敵だ。だが、そいつと勝負できるんだからそれも悪くねぇと思う。
目の前の哲も同じことを、思ったのか、ふっと小さく笑った。
「あの勢いのあるゴロは純だと思ったぞ」
「そこかよ! テメェはあいかわらずだな!」