注意※「こうして、僕らは幸せになりました」の彼女が、一樹会長と浮気している話。
「それじゃあ、おやすみ」
そう言って、彼女は電話を切る。そして、ポスン、と電源が切られた携帯は遠くへと投げられた。
「誉からか?」
「んー」
俺がそう尋ねれば、名前はただ曖昧に返事をするだけだった。それでも、その電話の相手が誉であることは明らかだ。
つーか、こんな時間に電話してくる相手っていったら、誉以外いないだろ。
こんな時間と言っても、まだ時計の針が12の数字を指したころで、眠りについている奴はそう多くないかもしれない。それでも、こんな時間にこうして女が男の部屋にいるってのは、どう考えてもおかしい。
しかも、付き合っている男がいる女が。
「お前もよくやるよなぁ」
「そう言う一樹もね」
そう言った名前は、サラサラと零れる髪を掻き揚げながら俺がいるベッドの中へ潜り込んできた。
汗でしっとりとした、肌が触れ合う。
それもそのはず。
今の俺たちは、生まれたままの姿なのだから。
誉と付き合っている名前が、どうしてこんな姿で俺と一緒にいるのか。傍から見れば、これは所謂『浮気』というやつなのかもしれない。だが、俺たちは違う。こいつが誉と付き合う前から、俺たちはこういう関係だったから。
この関係が、いつから始まったのかなんて覚えていない。
もしかしたら、出逢ってすぐだったかもしれない。
そうなるくらい、俺たちの間には言葉がなくても惹かれ合うものがあったから。
「なぁー…」
「んー?」
「お前って、誉ともうシたのか?」
俺のその質問に、名前は不愉快だと言わんばかりに眉をひそめた。
「誉とは、そういう関係じゃないってば」
「なんでだよ、付き合ってんだろ?」
こうやって、相手の気持ちもおかまいなしに思ったことを口にできる。俺たちは、そういう仲だった。
誉の前では、こいつは猫被って素直な女のフリをしているんだろう。だが、実際はどうだ。人によってころころ態度を変える、自分勝手な女だ。こいつに夢見てる男は多いんだろうけど、さっさと目を覚ませと忠告してやりたい。
「付き合ってるからって、シなくちゃいけないわけじゃないでしょ」
「でもお前、誉には付き合うのは初めてだって言ってんだろ?もし処女じゃないって分かったら、どうすんだよ」
「そうなったら、一樹に襲われたって言う」
クスクスと笑いながら、そう言った名前。こういうときのこいつの笑顔は、妖艶だからこそこれ以上何かを言う気がなくってしまう。
だから俺は、何か他のことを言う代わりに、そっと名前を抱き寄せた。
そうすれば、名前はそれが当たり前のように俺の首に腕を回す。それを見て、俺は貪るようなキスをする。何も言わずにそれに応えてくれる名前は、最初からこうされることを望んでいたのだろう。
ったく、どこまでも嫌な女だ。
「っ…はぁ。…俺が襲ったとか誉が聞いたら、絶対に縁切られるな」
「それならまだいいけど…殺されちゃうかもね」
「よく言うぜ。お前も同罪なくせに」
本当は、名前が誉と付き合ったと聞いたときにこの関係は終わりにするつもりだった。実際に、そうしようとした。
だが、「終わらせよう」と言った俺に対し、名前は、「どうして?」と返してきたんだ。まさかそう返されると思っていなかった俺は、それ以上何も言うことができなかった。
それからこいつは、こう言った。
「誉と付き合うって言っても、一番は一樹だし。他の誰かと付き合ったとしても、結局は一樹のところに戻ってくるよ」
そう聞いたとき、俺の中にあったのは怒りではなく安心だった。
普通、親友が遊ばれていると知ったら誰しもが怒るだろう。だが俺は、これからもこの関係が続けられるということに安心してしまったんだ。…俺も、名前が好きだったから。
だけどそれでも、俺の心にはモヤモヤとしたものが残る。俺が一番だと言うのならどうして、誉と付き合ったのかと。
そう尋ねれば名前は、「だって、一樹には月子がいるじゃない。だから、私もそういう人が欲しかったの」と言った。
最初は、意味が分からなかった。
俺にとって月子は、彼女とかそういう存在ではない。
ただ、見守りたい存在なんだ。
だから、月子と同じ存在が欲しかったという名前の言葉の意味がまったく理解できなかった。だから俺は、名前のことを問い詰めた。
「何だよ。言いたいことがあるなら、はっきり言えよ」
「別に…」
「お前らしくないぞ」
「っ…。うるさいなぁ」
そう言って、名前はそっぽを向いてしまった。小さく、肩を震わせながら。そこで初めて気づいた。
名前が、泣いていると。
「名前…」
「だって、私ばかりがいつも嫉妬している。月子に優しくする一樹を見て、心が痛いって叫んでいる。だから…っ、だから!一樹も、同じ思いをすればいいって思ったの…」
震える声で、そう言った名前。それを聞いて俺は、彼女のことをただ抱きしめることしかできなかった。
名前をこうさしまったのは、全て俺のせいだったから。
俺がもっと早く気づいていれば、もしかしたらこんなことにはならなかったのかもしれない。俺がもっと、名前にちゃんと好きだと伝えていれば…!結局俺たちは、散々遠回りをした挙句の果てに、歪な関係に辿り着いた。
そして、その歪な関係をずっと続けている。
「…一樹」
「ん?どうした?」
「今、何考えているの?」
俺の鎖骨を指でなぞりながら、名前はそう尋ねてきた。
「お前のことを、考えてた」
「何それ…」
「…なぁ、もう一回シたい」
俺がそう言えば、名前はただただ静かに微笑む。そしてそれが合図だったかのように、俺は名前の胸元に赤い華を咲かせた。
次の日の朝、学校までの道のりを歩いていると、誉と名前が仲睦まじそうに歩いていた。
そういえば、誉と一緒に行く約束をしているからと言って、今朝早くに俺の部屋を出て行ったっけ?そんなことを、寝起きで上手く働かない頭を動かして考える。
あ、誉があいつの髪に触れた。
俺が昨日の夜、散々口づけたその髪に。
ニヤリ、と自分の口角が上がったのが分かった。
誉は何も知らないんだろうな。あいつが、本当は誰のものなのかを。外からじゃ分からないあの身体に、赤い華が沢山咲いていることを。
本当、馬鹿だよなぁ。
お前だけじゃなく、俺も。
たった一人の女に振り回されて、それでもって、その女からの愛を手に入れるためにみっともなく足掻いている。
何も知らない誉と、全てを知っている俺。
果たして、幸せなのはどっちなのか。
「誉、名前!」
「やぁ、一樹。おはよう」
「おはよ、一樹」
それでも俺は、この危うげな関係を続ける。最後には、俺のものになると分かっているから。
どうやら、俺たちの関係は御伽話のように『幸せになりました。』では終わらないみたいだ。俺と名前の関係も、名前と誉の関係も。そして、俺と誉の関係も。間違ってしまったものは、いつか正さないといけないから。
だが、今は…。
今はまだ、このままでいたい。
この関係に、いつか終わりがくると分かっていても…。
20150517