蒼想録 | ナノ


▽ 部下の思い


その日の夜は月が綺麗だった。俺は横になっていたが、隣の部屋のまだ明かりが灯っているのがどうしても気になり中々寝付けずにいた。障子に写る影は何か書いているらしく手が流れるように動き続けている。

隣の部屋というのは俺の上司である諸士調役兼監察方筆頭の九条幸也の部屋だ。彼は新選組に入隊して間もない俺を温かく迎えてくれた。
普段は飄々としていて笑顔の裏では何考えているか分からない不気味な人だが、部下や仲間を一番に考えており、現に今も仕事を部下に押し付けることなく夜遅いにも関わらず筆を走らせている。本人に指摘すると嫌がられるのだが、そういう姿は俺が最も尊敬している土方副長によく似ていると思う。

しかし最近は特に根詰めている。彼曰く、今が大事な時だから仕方ないらしい。しかし過度の仕事を見過ごすわけにもいかず、少しでも手伝おうと静かに体を起こし一旦廊下に出た。

「夜分に失礼します。山崎です」
「どーぞ」

軽い返事が聞こえたため襖を開けると案の定筆をしたためている頭の後ろ姿が目に入った。男にしては華奢な方である肩が張っていてピンとした背筋は美しいとすら感じる。

「気配でわかるから名乗んなくて良いよっていつも言ってるじゃん」
「いえ、そういう訳には」
「真面目だねえ。別に副長室でもないのに」

こちらをチラリとも見ず気配だけで俺が分かるのはこの人だけだ。

「何か手伝うことでもあればと思い伺わせていただきました」
「じゃあその左の束の書類に判子押してくれる?内容はもう目通してあるから」
「御意」

俺の気遣いを無下にしまいとしてくれたのか、俺がここで引き下がるような奴ではないのを知ってか、それともただ単に手伝いを欲していたのか判別はつかないが、早速取りかかった。

「ありがとね」

上から降って来た声に、半ば反射的に顔を上げると細められた蒼い双眼がこちらを見つめていた。行燈に照らされキラキラとした綺麗な青は優し気で引き込まれそうになる。

「いえ、筆頭にばかり任せていられませんので」

少しばかり動揺した俺の声は思っていたより小さく発せられた。

「良い部下を持ったなあ」

そう呟くと頭は再び前に向き直り筆を動かし始めた。しばらく互いに無言で作業を進めていると突然頭が筆を止めて立ち上がった。

「どうかされましたか」
「…前川邸が騒がしいな」

前川邸はここ八木邸から少し離れた所であるが頭には何か聞こえるらしい。前川邸には隔離された隊士が数名おり、平隊士は近づくことが許されない。

「ちょっと確認してくる、丞はここで待ってて」

そう言って頭は音もなく姿を消した。否、素早く前川邸に向かったのだが如何せん動作が速すぎて消えたようにさえ思えるのだ。
とりあえず待機が命ぜられた俺はこの場で与えられた仕事をこなしつつ待つことにした。


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