蒼想録 | ナノ


▽ 風の如く


「あーさみぃ」

あまりの寒さに心の声がふと漏れ出た。煌々と月明かりに照らされ、夜の厠帰りの道は意外にも明るいものだった。今日は一段と月が綺麗で、逆に何か悪いことが起こるんじゃねえかと思っちまう。

廊下を歩いていると一つの影が前川邸の方に駆けて行くのが見えた。あんなに早く走れるのは新選組ではただ一人しかいない。彼奴は異様に耳が良いから何か聞こえたのかもしれねえ。
急いで自室に戻り相棒の槍を手に前川邸に向かった。向かう途中、総司と斎藤と合流した。

「珍しいね、左之さんがこういう時起きてくるなんて」
「調度厠の帰りに幸也が向かってんのが見えたもんでな」
「なるほどね」

話していると前から人影が近づいてきた。それは前川邸から引き返してきた幸也だった。

「幸也、何があった」

先頭を走っていた斎藤が足を止め幸也に問いかけた。

「新撰組の隊士二名が夜の巡察に向かうと言って屯所を出た」
「ったくしょうがねえ奴らだな」
「“人が斬りたい”とか口走ってたから面倒な事になりそう」

幸也はやれやれと困り笑いを浮かべた。こいつはいつもヘラヘラと笑ってやがるがこの顔は案外好きだったりする。

「まーた脱走かぁ、こう続くと嫌になるなあ。いっそ全員斬り殺しちゃえば良いのに」
「総司」
「はいはい、冗談だって」

総司がそう言うのも無理はない、今月新撰組の隊士が屯所を抜け出したのは一回や二回ではないのだから。

「私は隊士を追いかける。代わりに副長への報告は任せた」

そう言うが早いか風の如く幸也の姿は消えた。

「相変わらず足だけはすばしっこいよね」

幸也は総司の皮肉なんかもう聞こえないくらい遠くにいるだろう。いや彼奴の耳ならギリギリ聞こえてたかもしれねえ。

「総司は副長に報告を、左之と俺は他の幹部を起こして前川邸に集合だ」
「あいよ」
「えー、僕が起こす係やりたかったなあ」
「駄目だ。あんたはそう言って真面目に人を起こした試しが一度もない」
「一君は真面目過ぎるよ、少しお遊びがあった方が肩の力も抜けるんじゃない?」
「あんたは抜き過ぎだ」

言い合いをしながら八木邸に戻ると三人散り散りになった。平助や新八を起こしながら、幸也のことが気になった。彼奴はたまに無理をする。本人に言わせると“無理じゃなくてできると思って行動にしたまで”らしい。

今回は脱走した隊士が二人といっても彼奴らはただの隊士じゃない、羅刹だ。万が一というのもあり得る。幸也が弱いという訳ではないが、俺にとって試衛館時代からの弟分みたいなもんだ。そんな大事な弟の無事を祈りつつ幹部を次々と起こしていった。


prev / next

[ back to top ]