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 ザアザアと雨が激しくアスファルトを打ち鳴らしている。橋の下、幾分かは雨を遮ることができているかという場所で、勢いよく流れていく濁流を眺めていた。
 ずぶ濡れの男が道脇でなお雨に打たれ続けているというのに、道行く人々はだれもがすぐそこを素通りした。彼らは僕の存在に気づいていないのだ。正しく言えば彼らの脳は僕の姿を確かに認識しているのだが、雨足が急いでいることや、僕が存在感を極限まで希薄にしていることも相俟って意識から外れていた。
 世界からすっかり消えてしまったかのような感覚に浸っていると、ふいに雨が弱まった。空を仰げば傘が頭上を覆っている。背後から差し出した男は、未だに幽霊でも見るような顔をして立っていた。
「そんなに濡れては風邪を引きますよ……降谷さん」
「……どなたかと勘違いしていませんか?」
 とぼけてみれば風見は仕方なさそうに笑った。
「よく僕を見つけたな」
「気づいていたんでしょう、私が貴方を探していることに。見つけたんじゃなくて貴方が見つけさせた……違いますか?」
「まあな……」
 視線を交えないまま会話する。風見も慣れた様子で違う方向にある景色に視線を向けていた。
 本庄をはじめとしたゼウスという企業を逮捕した日、突入部隊の指揮を行った風見は僕の生存を知った。それまでは任務中に死亡したと伝えられ、遺体もないままだった僕をせめて姿形だけでも光の下に取り戻そうと奮闘していた末に。
 そのときの風見の表情はひどいもので、信じていた正義に裏切りを受けたかのようだった。風見にとっての正義は僕が体現していたのだとあの日僕も知ったのだ。
 だが彼が僕の生存を知ったからといってかつての関係が戻るわけではなかった。僕は変わらず一般人として過ごし、ときに犯罪者として闇を暗躍しては、警察側にその情報を流している。ゼロと実働部隊だった日々は戻らない。
 風見は現状を正しく理解していた。だから、僕と会話しているこの瞬間は決して偶然ではないことも理解している。僕を自分に見つけさせただろうと話した風見はその理由を尋ねている。
「彼女は上手くやっているかを聞きたくて、な」
 そう口にすれば、風見は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「不足があるとすれば自分の方かと」
「謙遜も遠慮も不要だ、風見。たしかに君より彼女の方が立場は上だが、君は僕と長年色んな任務をこなしてきた。この世界については君の方が経験を積んでいる……。そして彼女が君を動かすにあたうる人間かどうか……彼女が君の能力を是正するように、君もまた彼女を是正しなければならない」
 個々人によって異なる正義を、国という大きな一つのもののために機能させるためには不可欠なことだ。そう告げれば風見の纏った空気が引き締まる。
「……それでは一つだけ」
「どうした」
「彼女は……だんだん貴方に似ていきます」
 風見は上司を心配していた。
 警察庁警備局警備企画課に所属しているのだから彼女は優秀な人材だ。潜入捜査も少なからず経験しているから他分野のスキルも磨き、現場の過酷さも理解している。それでいて書類仕事も難なくこなす。
 僕は同僚と比べてかなりの業務量と内容をこなしてきた。僕の業務を引き継ぐことで彼女には負担を強いることになるが、業務量自体は彼女自身でどうとでもできる。懸念していたのは内容だ。そしてそれを風見も指摘した。
 後任である彼女が、僕以上に正しさに拘っていることは風見も気づいたようだった。それなのに仕事を重ねる度に清濁併せ持つようになっていく。志を同じくする以上は仕事での甘さを捨てなければならないことに同意はできるが、躊躇いもなく闇に飲まれていく様は恐ろしいと風見は語った。
「このままでは、我々は同じ轍を二度踏むことになる……そう感じています」
 風見はそう言って僕を見た。風見は僕を失ったことに一度も触れない。僕を引き止められなかっただろうことは、おそらく当時の彼女よりも風見の方がよく理解している。だが後悔はしているのだということが伝わった。
 悲嘆に暮れる正義の瞳を見ると心が軽くなった。笑う僕を見て風見は怪訝な顔をする。
「もし君の言葉次第で僕が警察庁に戻ってくるとしたら……君はどうする?」
「降谷さんが自分の説得次第で、ですか……? も、もちろん全力を尽くします! 貴方が戻って来てくださるなら……っ」
「だったら、それをそのまま彼女に対して行ってくれ」
「は……」
 勢いを止められた風見は目を瞬く。
「君が彼女を連れ戻すんだ。君が感じている恐怖は正しい、僕と違って彼女は非情にはなれない……言葉を尽くして、正義を掲げて、僕達が信じるべきものを見据えさせてくれ」
 頼んだぞと風見の肩を叩く。どうして自分に頼むのか、風見はそう顔に書いていた。見開かれた目は最悪の未来を予想したらしい。そんなつもりはなかったんだが、と苦笑しても彼の驚愕は消えない。
 傘から出て歩き出せば引き止めるように名前を呼ばれた。降谷さん。共に国を駆けた男の声が背中に刺さる感覚は懐かしさで視界を歪めさせた。振り返って、最後にもう一度だけ訂正する。
「その男は死んだよ、風見」

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