YU-GI-OH
朧月

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・いちおうこの子


 先ほどまで夜を彩っていた丸い月がまるで嫌味のように雲を纏って姿を隠す。ベクターは仄暗い星明りに輪郭を象られた自分の曲線的な手を眺めてから屋上の入り口へ目を遣った。微かな物音。続いて階段と屋上を結ぶドアのノブがゆっくりと回転した。
無愛想な長方形の向こうから現れた小さな人影はベクターを見つけると無感情に呟く。
「…誰?」
 人間態だろうがそうでなかろうがどこまでも無愛想な奴だ。
演技の一つも見せようとしないなまえの姿勢にベクターはあきれ返る気持ちだったが、だからこそこの姿でも簡単に相手を見つけられたのだと思うと愉悦がそれを上回った。
「誰?だってぇ?ひっでぇじゃねぇか、ちょぉっと顔付き合わせねぇだけで忘れちまったのかァ?同じ一年生の真月です!真月零ですよぉ!フッハハ…、可愛げの欠片もなくとも賢いヤツだとは思ってたんだけどよぉ…なぁなまえチャン?」
「そう、ベクター」
 動揺する気配さえ見せず応えたなまえにベクターは鼻で笑う。
「おっもしろくねぇ女だな。九十九遊馬に接触してた時の雌の顔はどこ行っちまったんだァ?んん?」
 ベクターの挑発する声に、眠たそうとさえ形容出来そうだったなまえが僅かに顎を上げてから引く。普通なら見過ごしてしまいそうなほどさりげない所作だったが、バリアン世界でのどこまでも無表情ななまえからしては人間の姿は感情が出すぎる。
引き結ばれた唇はまるで生意気な人間の小娘だ。普段顔を付き合わせていた時の飾り気のない様相とは違う、人間の無垢な少女じみたその姿がベクターの心を沸かせた。
「へーぇ、てめえでもイイ顔出来るじゃねぇか。不便だが人間の姿ってのも悪かねェな」
「…用件はそれなの」
 まるでカードでも持っているような仕草でなまえがベクターに見せたのは素っ気ないメモ用紙。宛名も差出人もないが、見覚えがあるそれに薄ら笑いを浮かべて歩き出すとなまえはちらと背後を確認して一歩下がる。なまえの動向には目もくれず、ベクターは真っ直ぐに歩みを進める。ベクターを厭ったように視線は外さないまま後ろに下がったなまえは、己の踵にぶつかった金属の慣れない冷ややかさにハッとして動きを止めた。その迂闊さに口角を上げながらベクターは細い首を掴んだ。真の姿であったなら握り締められそうなものだったが、そうでなくとも追い詰められている状況でのなまえの呼吸を圧することは充分に可能だった。
「おォ?九十九遊馬を好きで、バリアンの使命なんて忘れちゃってごめんなさいってかァ?」
「…………」
 明らかな嘲りを見せながら間近で瞳をかち合わせると、普段は無気力に伏せがちの目が不機嫌そうに細まる。感情の変化を顕著にする姿に喉を鳴らして笑ったベクターは続けた。
「こんな為体がドルべたちにバレたらどーなっちまうんだろうなぁ?ん?」
「…………」
「おい、黙りかよ」
 答えの無い苛立ちに、死に直結しない程度の力を手に加えるとなまえは一度薄い瞼を閉じてから決して好意的では無い色を浮かべた瞳を開く。
「それは脅しなの」
「ヒャハハ!てめえがそう思うんならそうだろうなァ」
 続く高笑いが癇に障ったか、なまえの手がベクターの腕を荒々しく掴んだ。込められた力に明らかな抵抗の意思を感じるが、今のベクターにとって、女という性の括りの中でも弱々しい少女のか細い力など全く気にかからなかった。むしろ空いていた手で、相手の右の手首へ捻るように力を加えると軋む骨になまえが小さく唸る。
それが人間の男女の力の差だ。痛みを堪えているのか眉間に皺を寄せるなまえをフェンスに押し付けながら、ベクターは高揚を隠そうとしない声を耳にねじ込んだ。
「なまえさァん、もちろん僕と仲良くオトモダチしてくれますよねぇ」
 バリアン世界では想像さえ出来なかった、なまえの抵抗の意思を込めた鋭い視線がベクターを貫く。ベクターの手が邪魔でその言葉を拒絶することも出来ない少女は、しかしながら邪魔な手を取り払うことさえも出来ないのだ。
愉快な世界の夜空に向かって、ベクターは堪えきれない興奮を込めた笑い声を放った。


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