「先輩、背中流してあげますー…」
「え?ああ、悪いな、初島」
頼むよ、と白い背を向けた孫兵に孫次郎が「お任せあれー…」と返す。
「あーっ、ずるい孫次郎。先輩、次に僕も流してあげます!」
三治郎がお湯をぱしゃぱしゃ蹴って言うと、孫兵は困ったように笑った。
「ありがたいが、三治郎まで流してくれたら僕はふやけてしまうよ」
「うー…」
顔半分を湯に沈ませ、ぶくぶくと空気を吹き出す三治郎を見て、孫兵達は軽やかな笑い声をあげた。
「先輩、もうちょっと太った方がいいです…細すぎです…」
「いや、僕はそれを初島にこそ言いたいんだが」
たわいもない会話をしながら背を流しあう後輩の姿は実にアットホームで可愛らしい光景なのだが、先程から竹谷はにこやかな顔で内心かなりおもしろくない。
孫兵にべったりくっついている一年生たちは可愛い。可愛いが可愛くない。
(あー…、おもしろくない)
胸中で愚痴ってほんのりと自己嫌悪に陥った。
(……何か俺、一年坊主共に嫉妬してるみたいじゃねえか…)
みたいも何もばっちりしているのだが、さすがにそれを認めるには竹谷の年上としての矜持が許さない。
ため息を漏らしたいのを我慢して、竹谷も湯の中でぶくぶくと空気を吐いた。





風呂上がり、結局委員会単位で夕食を済ませて皆と別れた竹谷は、自室にてようやくため息をついた。
「あー…何なんだ俺は…」
心が狭いにも程があるとうなだれる。
委員会内の仲がいいのはとてもいいことだと思う。
活動しやすくなるし、活動自体を楽しめるようになるから。
だが、仲がよすぎるのも如何なものか。
特に竹谷が後輩達からはじかれているという訳ではない。むしろかなり好かれている方だろう。
現に、風呂では一平が「お背中流しまーす!」と元気よく声をかけてきた。
(でもなあ…)
委員会で初めての顔合わせの時、愛想がいいとは言い難い孫兵は一年生達から少し距離を置かれていた。
毒蛇をいつも身に纏わりつかせている奇異な姿や、自分たちより二つしか違わないなんて思えない程大人びている孫兵は一年生にとって未知の存在だったことだろう。
これからうまくやっていけるものだろうかと、内心竹谷はひどく心配していたのだが、今やその心配が懐かしいくらいだ。
冷たそうに見えて実は後輩に対して優しい孫兵に一年生が懐くのはあっという間だった。
今では孫兵は一年生にモテモテである。
別にそれはいいのだが───やはり、何となく悔しいものは悔しい。
自分だけが知っていた孫兵を一年生にとられたかのような気分だ。
(いや、どこの餓鬼だっつの)
セルフツッコミを入れるも更に虚しい。
はあ、と竹谷はため息をついた。
その時。
「失礼します──竹谷先輩はいらっしゃいますか」
躊躇いがちに叩かれた戸と声に、竹谷は目を見開いた。
慌てて戸を開けると、そこには寝間着姿の孫兵がいる。
「どうした?こんな時間に」
何かあったろうかと首を傾げると、孫兵は遠慮がちに「いえ」と呟いた。
「あの…、今日も僕の毒虫たちのせいで、ご迷惑をおかけしました…」
毎度のことながらすみませんと頭を下げる孫兵に、竹谷は慌てて手を振る。
「え、いや、別にいいぞ、そんなこと」
でも、と俯いたままの孫兵にどうしようと冷や汗をかく。
(脱走はいつものことなのに、何でこんな落ち込んでんだ…!?)
知らないうちに嫌そうな素振りでもしてしまったろうかと、竹谷は記憶を巡らせる。
ふっと意を決したように、孫兵が顔をあげた。
「今日」
「お、おう」
「今日の先輩、なんだか機嫌が悪かったみたいでしたから…毎日捜索に駆り出されて疲れてしまったのかと思いまして…」
すみません、と頭を下げるとさらりと結われてない髪が落ちて、頼りない項が露わになる。
一年生に対して焼き餅を妬いていたのを、どうも自分の毒虫捜索に疲れてしまったものだと誤解をさせてしまったらしい。
竹谷は慌てて孫兵の肩を掴んだ。
「い、いや!違う、そうじゃないんだ!」
「え、」
「その、えっと、」
焼き餅を妬いていました。
(…なんて言えるかあああ!!!)
心中で激しく葛藤する。
けれど、
「先輩?あの、……すみません、やっぱり疲れてますよね」
戸惑ったような孫兵の声に葛藤が吹き飛んだ。
がくりと肩を落として白状する。
「違う、焼き餅妬いてただけだ…」
「は?」
目をぱちくりさせる孫兵にぼそぼそと今日一日思ったことを伝える。
「俺の餓鬼じみた焼き餅だからお前が気にすることなんて一つも…」
「先輩」
孫兵が口を挟む。
「あ、わり。俺、くだらんことを」
「違います」
いつの間にか俯いてたらしい孫兵を見て、竹谷はやはり言わなければ良かったとどっぷり後悔した。
(いきなり焼き餅妬いてたって言われても困るよなあ…)
己の女々しさに凹みまくりだ。
ちらと孫兵の方を見ると、髪から覗く耳がほんのり染まってるのに竹谷は動揺した。
(え、あ、あれ?)
これは一体どうしたことだろうと慌てる。
「ま、孫兵?」
何かあったかとおろおろと声をかけると、すっと孫兵が顔を上げた。
その顔も耳と同様にほんのりと赤くなっている。
よくわからないが何だかとても可愛い。
心拍数急上昇中の竹谷に、孫兵が照れたように小さく笑みを浮かべた。
「すみません、何だか嬉しくなって」
「え、」
先輩は、と孫兵が少し躊躇いつつ口を開く。
「先輩は誰にでも優しいから、そういう嫉妬とか僕だけがしてるのかと思ってました」
お互い様だったんですね。
そう言って笑う孫兵を前に、竹谷は茹で蛸もかくやというくらい真っ赤になって固まっていた。



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