01
 ポルポからその指令が下されたのは突然だった。
 彼は、その任務に、他の誰でもなくブチャラティを指名し、他人の介入を許さなかった。

 そのこと自体には、別段と問題はない。ギャングの幹部ともなれば、誰にも知られず遂行させたい事柄のひとつやふたつあるだろう。
 ブチャラティが違和感を感じたのは、その任務の内容自体についてである。

「…小鳥…ですか?」
「ああ。飼っていた小鳥の世話を頼みたい」

 それは、つい数時間前に交わしたポルポとの会話。
 ブチャラティが課せられた任務とは、つまり、『ポルポの飼っていたペットの世話』という、実に突拍子のない、それでいて単純なものだった。

 その単純さが、ブチャラティの疑心をより濃いものにする。
 たかが鳥の世話に、なぜ自分を指名したのか。きっと何か裏があるに違いないと。

 しかし、どんな内容であろうと、どんな危険があろうと、幹部の命令に逆らうわけにはいかない。
 獄中でポルポから受け取った、マンションのルームキーを手に、ブチャラティは指定された部屋を訪れていた。

(…そもそも、ポルポが刑務所に入ってから、鳥の世話は一体誰が…)

 じわりと湧き出た疑問を掻き消すように、ブチャラティは、鍵穴に突き刺したキーを回した。

 静かに開かれたドアを越え、部屋に踏み込む。
 ひと気はないが、掃除はまめにされているようで、目だった汚れなど見当たらない。それどころか適所に花など飾られており、一言で言えば小奇麗な内装だった。

(…鳥なんて、どこに…)

 ホテルのスイートルーム以上に広く贅沢な仕様のリビングを見回してみるが、鳥籠などどこにも見当たらない。
 ふと、隣の寝室のドアが開いていることに気づき、目を向けてみる。

「!」

 思わず、息をのむ。
 見間違いかと一瞬、思ったが、近付いてみるとやはり間違いない。
 女だ。キングサイズのベッドの上で、女が一人、薄手の毛布にくるまって眠っていた。

「まさか…」

 寝室を見渡してみても、やはり小鳥はおろか、鳥籠すら見当たらない。
 小鳥の世話とは、こういうことだったのか?この女は何者だ?
 次々にあふれ出る疑問をぐっと堪え、ブチャラティはベッドサイドに歩み寄った。

 毛布からはみ出した女の四肢はほっそりと伸び、いかにも男好きのしそうな肉体美を湛えている。
 閉じられた瞳は長い睫毛に縁取られ、厚みのない唇とともに誘うような色気があった。

「………」

 大袈裟な溜め息がひとつ、吐き出される。
 無遠慮に女の寝顔を観察したかと思うと、ブチャラティは、眼下の彼女に向かって強い口調で言い放った。

「起きるんだ」

 確信めいたその言葉に、険しく寄せられた女の眉間がぴくりと動く。

「バレバレだぞ」
「………」

 怒っているわけでも、呆れているわけでもなく、無感情なままブチャラティは言う。
 わずかな沈黙ののちに、堪えきれないといった様子で、女は、ぷ、と小さく吹き出した。

「ふふっ…つまんない」
「それはすまなかったな」

 つまらない、と言うわりに、愉快そうに笑いながら、女は上体を起こし、値踏みするような視線をブチャラティに投げかける。

「ポルポったら…今度はずいぶん若い男を寄越したのね」

 その発言で、抱いていた疑問が確信に変わる。
 『籠の鳥』―――ものは言い様である。そもそも、あのポルポが食用でもない鳥など、飼うはずもなかったのだ。

「ポルポから聞いているわよ。ブローノ・ブチャラティ。思っていたよりずっといい男だわ」
「俺も…そう、だな。思っていたより、ずっと…」
「ずっと?」

 どちらともなく、顔と顔とが近くなる。傍から見れば、それはまるで恋人同士の戯れである。
 鼻先が触れ合うくらいの距離まで近付いたときだった。
 ブチャラティは、ベッドサイドに投げ出された、艶やかな太ももをピシャリと叩いた。
 きゃっ、と子犬が鳴くように彼女が怯み、その一瞬で手首を強くひねり上げると、力の入らなくなった小さな手のひらから、ブルーライオンのエンブレムの光るキーがポロリと落ちた。先ほどまで、ポケットに入れていたはずの愛車のキーである。

「―――思っていたよりずっと…躾がなっていないようだ」

 射抜くような鋭い視線に、女は一瞬、呆気に取られたが、その顔はすぐに、余裕を持った笑顔に変わる。

「素敵」
「…先が思いやられるな」
「ふふ…」

 私の国ではキスより握手が主流なの、と、彼女は右手を差し出した。
 おし包むようにその手を握ると、「ユウリよ、よろしく」と、悪戯っぽく彼女が笑った。




2011.10.24
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