オブズキュア01
 雨の日は嫌いだ。じめじめシトシト鬱陶しくて、ザーザーぴちゃぴちゃ、そんな音で埋め尽くされて、気が滅入る。おかげで仕事にも集中できない。雨が降った日、ナランチャは、なるべく外回りの仕事ではなく、屋内での事務処理などを回してもらっていた。

「はァァァ〜〜〜〜…」

 仰々しく溜め息を吐き、ナランチャは、書類の散らばったデスクに顔を突っ伏した。
 ナランチャの目付け役を兼ねて指示出しをしていたフーゴは、あッ、こらッ、と彼の後頭部を拳で叩いた。ぽこんとギャクチックな軽い音がした。

「フーゴぉ〜」
 顔だけこちらに向け、ナランチャは手足をじたばたと振り回す。
「なァ、フーゴぉ。こんなに雨降ってたんじゃあやる気が出ねえよ」
 腹が減ったなァ、と頭をデスクにのせたままゆっくりとゆらす。
 フーゴは、そんな彼をジトっと見下ろして、
「アナタ、晴れてたら晴れてたで、外で遊ぼうとか言うでしょう」
「そうだけどよォ〜〜。それはそれ、これはこれだよ。それに俺、なんだか頭がいてェんだ」
「なにを言っているンだか」

 呆れたように肩をすくめる。しかし腹が減っているのはフーゴも同じことで、時計を見ればもうすぐ三時、フーゴは仕方ないと言うふうを装い、「それじゃあ、おやつにしますか」と提案した。

「えッ、ホント」
 途端に表情を明るくするナランチャ。
 まったく現金なんだから、と笑いつつ、フーゴはティーポットを取りに流し台へと向かった。
 執務室には、仕事用のデスクと、来客用の縦長のソファがふたつ。そして、ふたつのソファに挟まれるかたちで、ガラス製の大きなテーブルが設置されている。もっとも、来客用、と言うのは建前で、今のところ、メンバーがくつろいだり仮眠をとったりする以外の用途で使われたことはない。
 おやつと聞いて、ナランチャはテーブルをいそいそと片付けはじめた。台拭きでふいてピカピカにし、自分とフーゴのぶんのお茶菓子を用意する。

(まったく、こういうことは早いンだから)

 堂々とウイスキーボンボンをつまみ食いしているナランチャを横目で見やり、水の入った薬缶を火にかける。
 と、慌ただしい足音が複数。それからすぐにドアがひらかれる。「あーくそ、ひでぇ雨だ」ずぶ濡れの男が二人、ブチャラティとアバッキオだ。

「おかえりなさい。ちょうど今、休憩をしようかと思っていたところです」

 二人はたしか傘を持って行ったはずなのだが、途中で急に雨脚が強くなり、傘はほとんど意味を成さなくなったらしい。
 ナランチャはつまみ食いしていた手をとめ、おかえりッ、と明るく言いながら、二人にタオルを差し出した。それを受け取り、顏や髪の水気をふき取りながら、ブチャラティはフーゴに向き直った。

「ああ。そりゃ、ちょうどよかった」
 そう言って、持っていた紙袋――表面がビニールで覆われているので中身はすこしも濡れていない――をフーゴに、ン、と差し出した。中身は、馴染みのレストランで手土産にと渡されたイチゴタルトだ。

「うわ、すごい」
 表情を変えないままフーゴが言った。
「うまそうだろ」

 ニッ、と笑ってみせるブチャラティ。そばでは髪をふき終えたアバッキオが、人数分の皿をフォークを用意している。

「ミスタももうじき帰ってくる。一足先に頂こう」
「そうですね。ナランチャ、こっちへ来て、カップを運ぶのを手伝って頂けますか?」

 そう声を掛けると、ナランチャはのろのろとこちらへやって来た。イチゴタルトとフーゴとを交互に見やる、その、どこかぼんやりとした視線に、ブチャラティは「おや」と首を傾げた。

「ナランチャ、どうした。具合でも悪いのか?」
「えっ」

 不意を突かれたようにナランチャは目を丸くした。ええッとォ…と口ごもるナランチャの代わりに、フーゴが言った。「それが…」

「外はこの雨でしょう。お陰で調子が出ないみたいです。さっきまでずっと、仕事をしたくないとか何とか言っていましたから」
「なるほど」

 ナランチャがこういう雨や水しぶきなんかの音が苦手だと知っているブチャラティは、決して咎めることはせず、ふ、と温和な笑みを浮かべ、彼の頭をくしゃくしゃとかき撫ぜた。わっ、とナランチャは驚いたように目をつぶり、肩をこわばらせる。

「誰にだってそんな日はある。ナランチャ、少し休もう。俺たちの分のカップを用意してくれるか?」
「あっ、ああッ。すぐ運ぶから、座っててくれよ!」

 撫でられた場所を嬉しそうにさすりながら、ナランチャは「フーゴォ」と流しの方へ小走りでかけ寄った。

「まったく、落とさないでくださいよ」
「わかってるってェ〜ッ」

 ブチャラティの言葉はまるで魔法だ。たった一言で、ナランチャをこんなにも元気にしてしまう。
 カチャカチャと危なっかしい音を立てて、カップとソーサーを運ぶ小さな背中を見つめながら、フーゴはそんなことを考えていた。

「それにしても、ナランチャじゃあなくてもイヤになるぜ。この雨はよォ」

 そう忌々しげに言ったのはアバッキオだ。ウンウンとナランチャが同調する。

「帰るときまでに止んでくれるとイイんだけどなァ」
「そりゃ無理だろう。天気予報でも今日は一日雨だと言っていたぜ」

「ええーッ」ナランチャは口をあんぐりと開け、情けない声を上げた。彼にとっては、テレビの中で喋る天気予報士なんかより、ブチャラティの言葉の方がずっと信憑性が高いのだろう。

「しかも、この雨はまだしばらく続くみたいだぜ」

 追い打ちをかけるブチャラティに、ナランチャは「うええ」と大袈裟によろけてみせる。

「そんなァ。こんな雨ばっかりじゃあ、俺、病気になっちまうよッ!」
「そしたらユウリに治してもらえ」

 意地悪く横槍を入れるアバッキオ。

「そ、それは、それはもっとイヤだァ〜!」

 本気で頭を抱えるナランチャに、アバッキオとブチャラティはタルトをつまみながら吹きだした。ナランチャの紫眼は、忘れかけていたわずかな痛みを伴って、大人びた二人の、子どものような笑顔を映し出していた。


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