2 ―――こういうことをお節介だと言うのだろうか。 そんなことを思いながら、ジョルノは、何やら気難しい顏で資料を読み込んでいる、目の前の美丈夫に声を掛けた。 「空条博士」 すぐさま、まだいたのか、とでも言いたげな視線が返ってくる。 ジョルノはパッショーネの頂点に君臨してからというもの、SPW財団とも手を結び、組織拡大に尽力してきた。自身の父を葬ったというこの男にも、その仕事のさなかに出会ったのだ。 けれど、はっきり言って、ジョルノはこの空条承太郎という男のことが苦手だった。 まちがっても父の仇だなどとは思っていないし、むしろ顏もろくに覚えていない父に敬愛めいた感情など抱けるはずもなく、こうして組織に協力してくれていることには感謝さえしているのだが。 彼に接する機会はそうないけれど、もしあったとしてもつい、距離を置いてしまう。どれだけ時間が経っても、どこか、心をゆるすことができないでいる。それが本能的に仕組まれたものであると、ジョルノはうすうす勘付いていた。 そしてそれは向こうも同じようで――もしかしたらこちらの気持ちに気づいているのかもしれないが――必要以上の接触はあまりしてこない。ジョルノの中で、空条承太郎は常に寡黙な印象だった。ポルナレフが言うには、なかなかに熱くたのもしく、『やるときはやる』男らしいけれど。 今日は用事を足しにSPW財団のイタリア支部を訪れたのだが、偶然そこに空条承太郎が居合わせた。彼はそのむかし、それこそ今のジョルノとそう年も変わらないころに、ポルナレフらとともにエジプトを旅したのだという。他でもなく、ジョルノの父を倒すための旅路である。 「空条博士。貴方にお聞きしたいことが」 「何だ」 承太郎はジョルノより二十センチ以上も背が高く、話すときはいつもジョルノが見上げるかたちになっていたが、今は承太郎が椅子に腰かけているため、視線は下方へと向けられている。 「ポルナレフのことなんですが」 「アイツがどうかしたか」 ジョルノははじめ、ポルナレフのことを敬称で呼んでいたが、時を重ねるにつれ気の置けない仲になり、今ではミスタらと同じように呼び捨てにしていた。 承太郎の戦友であるポルナレフが今、魂だけの存在となり、新生パッショーネのNO.2の座に就いていることは、その時点で承太郎に報告済みだ。もちろんこのことを知っているのはジョルノとミスタ、それにトリッシュとこの空条承太郎だけであり、表向きではポルナレフは既に死亡したことになっている。 「ポルナレフは元気か?」 承太郎が旧友のことを訊ねるとき、ほんのすこしだけ表情と声色がやわらぐことをジョルノは知っている。 肉体が消滅し、なんとか魂だけ≪ココ・ジャンボ≫の中で生きている彼のことを、果たして元気と言ってもよいのだろうかと一瞬考えたが、すぐに、酒が飲めてうまい飯が食べられてそこそこの娯楽も嗜んでいるなど、元気以外のなにものでもないだろうという結論に至った。 「ええ、元気ですよ。彼はよくむかし話をしてくれます」 亡き妹のことや、遠い日に、ともに戦った戦友たちのこと…。ポルナレフは、はじめから、ジョルノがかつての仇敵の息子だと、うすうす勘付いていたようだった。ジョルノがそれを告白したとき、彼はほとんど動じなかった。血こそ受け継がれているが、それでも子になんの罪もないことを、ポルナレフは理解していたのである。 「昔話、か…」 噛みしめるように承太郎が言った。 「ええ、そうです。その中ですこし興味深い話があって」 「興味深い?」 「はい。ポルナレフの、恋人だった女性のことなんですけど」 「……………」 途端に押し黙った承太郎に、これは、と直感する。 「なにか知っているんですか?」 「いや…、…」 咄嗟にそう答えたが、ディアボロ亡き今、そう隠すものでもないと思い至ったのか、承太郎は、 「…そうだな…」 と、目深に帽子をかぶりなおした。 承太郎は立ち上がると、ゆっくりと窓際のデスクに近づいてゆき、いちばん上の引き出しを開けた。アルミ材のこすれるシュッという音が室内に響いた。 「これを」 すぐに目当てのものを発見し、す、とジョルノに差し出した。 大判の封筒。その中身を確認すると、ジョルノはやや意外そうに眉をひそめた。 「写真のネガ…ですか」 何枚も連なったセピア色のネガフィルム。被写体はすべて同じようだが、如何せん、この消しゴムのような大きさではほとんどなにも判別できない。 「それを現像してみるといい」 それでもまだわからなければまた連絡しろ、と承太郎は言った。そんな彼の態度も、別に悪気があるわけではないのだとジョルノは知っている。 「この施設に暗室はありますか?」 「ああ…たしかこの階にあったはずだぜ」 「それじゃあ、ちょっとそこ、お借りします」 善は急げ。元来の旺盛な好奇心も手伝って、ジョルノは足早に承太郎のもとを後にした。 「せっかちな奴だな」 やれやれだぜ、と笑うように溜息を吐き出す彼の脳裏には、強くも儚い、一人の女の笑顔が浮かんでいた。 ・ ・ ・ 「アイツは犬が好きだった。指輪を強請ることはなかったが、よく犬を飼いたいと言っていた」 そりゃ、俺だってマトモに暮らしてりゃあ、犬くらい飼いたいさ。犬種はボストンテリアで、名前は…。 「イギーでしょ」 「そう。良い名前だろ」 「ええ、とても」 「でもなァ、良くないよなァ。せっかく飼った犬をむかしの戦友の代わりにするみたいでよ」 「ぼくは別にいいと思いますけど」 ネアポリスに戻ってきて早々、ポルナレフから酒の誘いがあった。酒という気分ではなかったが、せっかくなので付き合うことにした。 ポルナレフはどうやら日中から酒を煽っていたらしく、ジョルノが亀の中を訪れたとき、すでにほとんど出来上がっていた。 そしていつも通り始まった思い出話に、ジョルノの体にすこし、緊張が奔る。それは決していやなものではなく、むしろどこかあたたかいような気さえする。 「だいぶ酔ってますね、ポルナレフ」 「よくわかったな」 顔には出ない方なんだが、と笑うポルナレフに、ジョルノはグラスをカラカラと回しながら、 「貴方は酔ったとき、いつもユウリさんの話をしますから」 と、至って冷静な口調で言った。 「ん、そうか?」 自覚がないのか、ポルナレフは不思議そうに首を傾げた。 その邪気のない表情に、すこし意地悪をしてやりたくなる。 「…綺麗な人ですね、ユウリさんって。すこし気の強そうなところがぼく好みだ」 「そうだろう?」 ポルナレフはどこか誇らしげにグラスに口をつけ、しかしすぐに真顔になった。 「…え?」 おまえ今、なんて言った? 「アイツに、会ったのか?」 グラスを持つ手が、わずかにふるえている。「なあ、ジョルノ」 らしくないその姿に、ジョルノの悪戯心がしゅるしゅると音を立ててしぼんでゆく。 「すみません、ちょっとした悪戯心です。そんな顏しないで下さい」 「だから…!」 「ユウリさんには会っていません」両手を上げ、降参、のポーズをとる。「空条博士から、写真を預かったんです」 「…写真?…承太郎から?」 「ええ。今日、空条博士に会って…、それで」 「承太郎はユウリのことを知っているのか?」 「はい。話すと長くなりますが…」 簡単に説明すると、こうだ。 ポルナレフがディアボロに敗北し、生死の境を彷徨っているのと同時期。いつまで経っても帰ってこない恋人の身に、なにか良くないことが起きたのだとユウリはいち早く悟り、フランスを離れ、ヨーロッパ諸国を転々とした。 しかし、やがて身体的な理由からそんな生活も困難となり、彼女は半ば途方に暮れていた。 「そんなところを、承太郎に保護されたと…」 「ええ。正しくはSPW財団に、ですが」 事情を説明しているうちに、ポルナレフも落ち着きを取り戻し、ジョルノの話にすっかり聞き入っていた。 「ユウリさんはその後、SPW財団の援助を受けつつ日本に戻ったそうです。とくに大きな病気もなく、元気に暮らしているそうですよ」 その言葉に、ポルナレフは脱力したように、ソファの背もたれに身を預けた。きっと安心したのだろうとジョルノは思った。 「そうか、ユウリは元気か…」 自分に言い聞かせるように、ポルナレフは呟いた。 「あれからもう、何年も経ってるからな…。アイツも、家庭に入っていてもおかしくないな」 嬉しそうに頬を綻ばせ、けれどどこか気恥ずかしいのか、目線は下方、足元に向けられている。 そんな彼に、思わずふっと笑みがこぼれる。「そうだ、ポルナレフ。これを」ジョルノは鞄から封筒を取り出すと、その中身をついとテーブルに差し出した。 差し出されたのは一枚の写真だった。それを手に取ると、ポルナレフの動きがぴたりと止まった。まばたきさえ彼はしなかった。やがてそのまつ毛や指先がふるふると小刻みに震えだし、ポルナレフは「まいった」と、目元を片手で覆うのだった。 「…綺麗な人ですね。貴方の言うとおりだ。凛としていて、花柄のワンピースが、よく似合っている」 「…そうだろう」 それだけ言うので精一杯だった。ポルナレフに残された左目は、あたたかな雫で濡れていた。 「隣に映っている男の子も。小さいけれど、貴方によく似ています」 それは他の誰かにしてみれば、たんなる家族写真に過ぎなかった。若く美しい母親と、その小さな息子が、色彩の宿った狭いフィルムの中で、手を繋いで笑っている。愛犬らしき、ふてぶてしい表情のボストンテリアを連れて。 たんなる家族写真に過ぎないそれは、ポルナレフにとって、彼の生きた証であり、愛しいすべてのものでもある。受け継がれてゆく血の運命、その愛しさ、そして神聖さを、ポルナレフは静かに理解した。 了(2/2) 2013.08.09 一周年フリリク/五部ナレフでリクエストしてくださったこぶてぃーさんへ タイトルはこぶてぃーさんに付けて頂きました。ありがとうございます! |