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 それから数日経ったある日、ユウリは仕事の為に岸辺邸を訪れていた。
 オレンジ色のリップグロスに、フラワーモチーフのイヤリング。いつもよりほんのすこしだけしっかりめに化粧をして、ミントグリーンのシフォンワンピースで浮かれた心を隠してみる。もちろんワンピースは自分で選んだものだ。

(ちょっと…気合い入りすぎたかな…)

 などと余計な心配をしてみるが、露伴はと言えば、あともう少しで終わるから待っていろ、と、甚く落ち着いた声で言うだけだった。

 手持無沙汰になったユウリは、玄関先のプランターに水を撒きはじめた。
 露伴との関係が悪化してから、花の世話も疎かになっており、心なしか以前よりも生気がないように感じられた。

(潤いがないと、花も人も同じように枯れるんだ…)

 ジョウロから降り注ぐ水のつぶが、色鮮やかな花びらや葉に落ちてゆき、太陽の光に反射してキラキラと輝く。
 綺麗だ、とそれを眺めていると、
「おい」
 玄関の方から声がした。

「あ…今行きます」

 ジョウロを定位置に戻し、慌てて屋内へと戻る。
 露伴はいつも通り不機嫌そうな顔をして、ユウリに原稿の入った封筒を差し出した。

「あ、ありがとうございます」

 ほとんど同時に、露伴の家の時計が、正午十二時を告げる軽快な音色を奏でた。
 思わず、露伴先生、もうお昼ご飯食べたかな、などと余計なことを考えてしまう。

「……なんだよ」
「あっ」

 それが災いして、つい、封筒を受け取る恰好のままぼうっとしてしまった。
 訝しむような目で露伴が見る。

(…は、恥ずかしい…)

 恥ずかしいけれど、まだ少し怖いけれど…、勇気を出さなくては。自分から変わると決めたのだ。

「あのっ…」ユウリは声を振り絞った。

「露伴先生、昼食は、まだですか?」
「ああ?」

 ユウリは、封筒をぎゅっと握りしめた。「よかったら…私に作らせてもらえませんか?材料を買って来たんです」

 露伴は目を見開いた。「…何、だって?」
 信じられなかった。あれだけ自分を避けていたユウリが、またもう一度、こんなことを言ってくれるだなんて。

「…どういう風の吹き回しだ?」

 素直に頼むと言えないこのくちを、露伴は今日ほど恨めしいと思ったことはない。
 けれど、いつもならビクビクと背を丸めて立ち去ってゆくユウリが、今ばかりは露伴を捉えて離さない。
 怯え、畏怖、そして、勇気。彼女の瞳にはそれらの感情が渦巻いている。

「…わ、私、露伴先生に言いたいことがあって…」
「言いたいこと…?」

 コクン、とユウリは首を上下に振った。
(…言いたいことって、何だ?)
 まさか担当を降りたいだなんて言うつもりじゃあないだろうな!?
 一瞬の間に、露伴がそんなことを思っていたなどユウリには知る由もない。
 彼女はと言えば、封筒を握りしめてびくびくと縮み上がっているだけだった。


(い…言わなくちゃ。露伴先生のそばにいたいって、言わなくちゃ)

 ほんのすこしの間があって、ユウリはおずおずと切り出した。「わ、私…」

「あの…今まで、すみませんでした。私、あ、あの日から、…露伴先生のことが怖くって…、ずっと、逃げ続けていました」

 封筒を握るユウリの手が僅かに震えた。

 ―――正直言って、今でもまだ少し、怖い。
 けれど、こんな状態が続いて…、露伴との繋がりが消えてしまうことの方が、ずっとずっと怖いのだ。

「私、まだ、露伴先生と一緒に居たいんです。もう一度…私の作った料理、食べてくれませんか?」
「……………」

 沈黙を保ったまま、じっとユウリを見下ろす露伴。
 ユウリも表情を崩さず彼を見つめていたが、内心では気が気ではなかった。

(………ま、まずいこと言ったかな………)

 でも言いたいことは全て、言い切った。大きな進歩だ。

 そんなことを思っていると、
「チッ」
 頭上から露伴の舌打ちが聞こえてきて、ユウリは泣きそうな顔になる。
 けれど、次に聞こえてきた一言で、その表情は一瞬にして変わるのだった。

「…好きにしろよ」

 …!!

「ろ、露伴先生っ…」
「ふん」

 どこか満足げな顔で一瞥をくれてから、露伴はぷい、と顔を背けて、自室へと戻って行った。
(…よ、よかったぁ…!)
 彼の痩せた後姿を見つめながら、ユウリは脱力し、同時に思い切り破顔した。




2013.6.27
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