ファーストコンタクト01 間接照明に照らされた、仄明るい天井を、ナランチャはぼんやりと見つめていた。 「ナランチャ」 腹を這う冷たい指先の感触に、はっと我にかえり、肩を強張らせて後ずさる。皺の寄ったシーツが脚に纏わりつき、ナランチャは怪訝な表情で目の前の女を見上げた。 「…本当にやんのか?」 「嫌なら止めるけど」 「うッ、うるせー!」 ゆっくりと自身に圧し掛かる、女のカッターシャツの襟ぐりは大きく開き、豊満な胸の谷間を覗かせていた。 しかし、今のナランチャには、其処に釘付けになるほどの余裕はない。 「ナランチャ、怖がらないで」 薔薇の色のルージュが引かれた、軽薄そうな唇がナランチャの名を紡ぐ。怖がらないで、と言われても、シーツを握る手につい力が入る。 ナランチャの返事を待たずに、女は、ナランチャの服に手を掛ける。臍のあたりをふっと撫でられ、くすぐったさから吐息が漏れた。 「ふっ、…あッ」 ―――どうして、こんなことに…。 霞掛かった脳内で、ナランチャは、上司であるブチャラティとの、つい先日のやり取りを思い出していた。 話は二日ほど前まで遡る。 馴染みのレストランで、チームの皆で昼食をとっていたときだった。 皆がパスタを頬張る中、一人遅れて来たブチャラティが、何やら神妙な面持ちでナランチャに告げた。 「ナランチャ。…お前に仕事の依頼が来た」 「え、俺?」 ムグムグとパスタを食べていたナランチャは、その意外な一言に、目を丸くしてブチャラティを見た。 「俺一人で?え?なんで?」 彼がそう狼狽えるのも無理はない。 ナランチャは組織に加入してまだ間もなく、スタンド能力も完全に馴染みきっていない。今まで、チーム全体、もしくは最低でも二人以上での任務にしか就いたことがなく、単独での任務はまだ早いと自分でも十分にわかっていたのだ。 「依頼人の希望でな、お前でなければダメなんだ」 「依頼人〜?何だよォ、護衛か何かかぁ?」 「……あぁ…、まぁ、…そんなものだ」 「?」 珍しく歯切れの悪いブチャラティに、ナランチャは頭上に疑問符を浮かべて、首を傾げる。 フーゴは、二人のやり取りを黙って見ていたが、急に何かを察したらしく、眉間に皺の寄った険しい表情をブチャラティへと向けた。 「ブチャラティ、まさか」 「ああ、『ユウリ』だ」 「ユウリ?あの医者の事かァ?」 今まで彼らの会話に入らず、食後のミルフィーユをつついていたミスタが、ユウリ、という名に反応し、おもむろに口を挟む。 「ミスタはユウリと面識があったのか」 「診て貰ったこたーねえが、話した事ならあるぜー。日本人のくせに、ムチムチでプリプリのエロい体してるよなァ」 「美人だしよー、ヤマトナデシコってやつ?」ミスタが続ける。 「ヤマトナデシコってよォ、お前、日本人のオンナ見るたびに言ってんじゃあねえかよ」 アバッキオがそう茶化すと、ミスタは否定することもなく一緒に笑った。ゲラゲラと笑い声が響く中、フーゴだけが、顔を青くしてわなわなと体を震わせていた。 「ん、どうしたフーゴ。顔色悪いぜ」 「…いえ…、別に……」 ばつの悪そうなフーゴに、ミスタはなおも畳み掛ける。 「あぁー。そういや、新入りのころ、フーゴもアイツに呼ばれてたっけなァ。ユウリの事、変態ッつって嫌ってたくせに、骨抜きになって帰ってきてよぉ、笑ったぜー」 「ミスタッ」 声色は震えていたが、フーゴの剣幕はまるで鬼のようだった。 「やめてやれ」見かねたアバッキオがミスタを制した。 悪ィ悪ィ、とミスタが冗談めかして謝罪する。一連の流れに、ブチャラティが呆れたような溜息をこぼす。 ナランチャだけが、ぽかんと口をあけ、彼らの会話に置き去りにされていた。 「…よくわかんねえけど、そのユウリって奴と組んで仕事すんのかぁ?」 「………まぁ、…そんなところだ」 「おいおい、ブチャラティ、どうせすぐ食われちまうんだから教えてやれよ」 「あ、ああ…」 ブチャラティは気まずそうに目を伏せる。ナランチャはそわそわとメンバーを見まわした。 アバッキオは、額に青筋を浮かべて握りこぶしをつくるフーゴに、ミルクたっぷりの紅茶を飲ませて落ち着かせている。 「なんだよ。ブチャラティ、言いづれぇなら代わりに言ってやるよ。なあ、ナランチャお前童貞だろ?要は筆下ろしだよ、筆下ろし!」 「はァ!?」 ミスタのその言葉に、ナランチャの口から素っ頓狂な声が上がる。 ウソだろ、とブチャラティを見やるも、いつもと変わらない彼の真剣な表情に、その話が冗談でないことを悟る。 「…女を知らない男、特にお前のような…若くて世間を知らない奴は、得てして変な女に騙されやすい。普通に暮らしている奴らなら問題ないが、俺たちはギャングだ。カラダをチラつかせて迫られたくらいで、女にオチるようじゃあ困るンだよ」 「なっ……なっ…」 「経験があっても、女にハマる奴はいる。ナランチャ、覚えておけ。ギャングが女とクスリにハマったら終わりだ」 「なァ〜にビビってんだよ、ナランチャ。俺が代わってやりたいくらいだぜーッ」 途端、ナイフのように鋭く尖った視線がフーゴから向けられ、ミスタは冗談冗談、と誤魔化した。 狂気のような怒りを孕み、かっと開いた彼の瞳孔は笑いきれない凄味があった。 「フーゴ。私情を挟むな。お前がユウリにホレていようがいまいがそりゃ勝手だがな、今回お呼びが掛かったのはナランチャだぜ」 「………」 アバッキオの強い口調に、何も言い返せなくなったのか、フーゴはグッと唇を噛んでうつむいた。 ギャングが女とクスリにハマったら終わり。そう言った矢先にこれでは示しがつかない。 ブチャラティは顎に手を当て、盛大に溜息を吐き出した。 (1/4) |