03 任務を言い渡された日、ブチャラティは、携帯電話を一台、ポルポから渡されていた。 シンプルな折りたたみ式のそれは、ある番号へのみ、発信が許されており、またその番号以外からの着信を告げることもない。 その番号の主というのは、最早わかりきったことだがユウリである。普段、別行動を取っている二人を繋いでいるのが、この携帯電話というわけだ。 そしてその着信は、基本的に、例外を除いてはどんな仕事よりも優先される。 どのような状況下であれ、着信があれば3コール以内に応答しなければならない。 3コール、というのはユウリの冗談だが、律儀にも、ブチャラティはそれを守り通している。 この任務におけるブチャラティの主な役割というのは、身動きの取れないユウリのおつかい、身の回りの世話、そして監視である。 ポルポには『小鳥の世話』としか言い聞かされていないが、それはつまり、小鳥の脱走も死亡も許さないということだ。 ユウリから、遺作の話を聞いてからは、あわよくばその在り処も聞き出せ、という彼の隠された本心にも気づいた。 反吐が出るような悪党だと思った。自分のことも、ポルポのことも。 ユウリとの任務に就いてから二週間ほど経つが、ブチャラティは、未だユウリの真意を探れずにいた。 なぜ彼女が、この現状に甘んじているのかわからない。 絵の奪還や逃走を企てているようにも見えないし、自身の置かれた状況を悲観し自殺を図ろうとしているわけでもない。 ただ漫然と、模範的に組織に『飼われて』いるだけだ。 何より、組織が欲しがっているという、彼女の兄の遺作、その行方を話す気配さえないのが気になった。 多額の資金を得られるとはいえ、たかが絵画一枚にここまでする組織である。遺作の在り処を話さなければどうなるかくらい、ユウリもわかっているはずだ。 「…フー…」 見慣れた扉の前で、乱れた呼吸を整える。 ブチャラティの手には、小さな紙袋が提がっている。 中に入っているのは、一時間ほど前、ユウリに使いを頼まれた、人気店のドルチェである。 短い間隔でインターホンを三回鳴らし、咳払いをひとつする。それは来訪者がブチャラティであるという合図である。 パタパタと小気味よい足音が聞こえ、間もなくして扉が開いた。 「待ってたわ。上がって」 「ああ」 ブチャラティと紙袋とを交互に見やり、ユウリは嬉しそうに微笑んだ。 リビングには既にティーセットが用意してあり、言葉通りブチャラティの来訪が待ちきれなかったようで、ユウリはそわそわと紙袋の中身を開ける。 その様子を、ブチャラティは半ば呆れながら見ていたが、あまりに楽しそうな彼女の表情に、思わずふっと笑みを零した。 「欲張り過ぎじゃあないのか」 彼がそう皮肉るのも無理はない。箱の中には、モンブラン、ミルフィーユ、レアチーズケーキの三つが入っており、一人で食べるにしては多すぎる。 太るぞ、と続けたブチャラティに、ユウリは何言ってるのよと淹れたての紅茶を渡す。 「一人で全部食べるわけないでしょ。一緒にお茶しようと思ったの」 意外な言葉だった。ブチャラティは、わざとらしく肩をすくめてみせる。 「…そうだったのか?お前の電話はいつも突然だからな」 「可愛い子はつい困らせたくなるの。モンブランでいいかしら」 「ああ」 ユウリは、ティーセットと揃いの、小花柄の皿にモンブランを乗せ、ブチャラティに差しだした。 「グラッツェ」 地味な色あいのモンブランだが、一口食べてみると、そこまでこってりとした甘さもなく、舌の上ですっと消えるクリームがたまらない。 平日の昼間にも関わらず、店内が女性客で賑わっていたのも頷ける。 「おいしーい」 「…ふっ、ついてるぞ。クリーム」 ユウリの口の端に残った生クリームを、フォークで指差す。 ヤダ、と恥ずかしそうにクリームをぬぐう彼女の姿は、いつになく幼くブチャラティの目に映った。 「そんな顔もするんだな」 「どういう意味よ」 「いや、なんていうかだな…とりあえず、悪い意味じゃあない」 高飛車で、ワガママ。いつも、人を食ったような、おちょくった態度で接してくるわりに、年の差もあってか、必要以上に、彼女に対して冷静というか、落ち着いたイメージを持っていた。 厳しい環境がそうさせたのか、強気な笑顔のポーカーフェイスを崩さないという印象も強かった。 何にせよ、ブチャラティからしてみれば、毛色は違えど、ユウリは成熟した大人の女性だったのだ。 そんな彼女が不意に見せた、子供のような表情に、ブチャラティは驚愕とも喜びともつかない不思議な感情を抱く。 「なによ、子どもっぽいって言いたいの」 それを察したかのように、ユウリは紅梅に染まった頬を膨らませ、ブチャラティをジト、と睨む。 「いや?少し意外だっただけだ。それに、俺は嫌いじゃあない」 さらりとブチャラティが言ってのけると、ユウリはフォークを口にくわえたまま、目を丸くしてしばし静止した。 「………天然って怖いわね」 「何の話だ」 もちろん、ブチャラティには下心などまるでない。 ユウリもそれがわかっているから、一瞬でもドキリとしてしまったことが悔しいのだ。 「おまけに鈍感そうだし。泣かされてきた子も多いんじゃあないかしら」 「…だから、何の話だ」 モンブランのてっぺんを飾っていた、鮮やかなマロンを頬張りながら、ブチャラティは、照れ隠しだろうか、からかうように細められたユウリの目を見つめた。 憂いよりも艶を帯びたその双眸は、語れぬ何かを共有したがっているようにも見えた。 続 2011.11.20 |