パイドパイパー 01
 空条承太郎がその音を捉えたのは、数十日間の長旅を終え、普通の学校生活を取り戻して間もなくの、ある日のことだった。
 部活動に所属していない承太郎は、放課後、真っ直ぐ下駄箱に向かい、靴を履き替えていた。伸びすぎた身長に比例した、大きな靴だ。
 何通ものラブレターに埋もれたそれのかかと部分に手をのばしたとき、承太郎の体はぴく、とこわばった。どこからか、音が聞こえた。音は、遠くに感じられたが、しかし耳を澄まさなくても聞こえてくる。不思議な旋律。それは音楽のようでもあった。
 その不思議な音に導かれるように、承太郎の体は、音のする方へ歩き出していた。


 音楽室へと続く渡り廊下を進む。しかし途中で、音の聞こえてくる方向がそちらでないことに気づき、承太郎はゆっくりと右方向に進路を変えた。
 音源地が音楽室でないことに、承太郎は些かの違和感を覚えた。そして気づけば彼の脚は化学準備室の前で止まっていた。
 ウソだろう。こんな場所で、なぜ。そうは思うが、音は間違いなく、この扉の向こうから聞こえてくる。下駄箱の辺りで聞いたときは、その音はあまりにも不鮮明で、よくわからなかったが、今ではもうその音の奏でるメロディがはっきりとわかった。美しい旋律だった。

 ノックもなく、承太郎はその部屋のドアを開けた。保健室のそれに似た、薬品の無機質なにおいが鼻を突く。
 壁際に設置された戸棚には、薬品の瓶や実験器具が所狭しと並べられている。そんな不愛想な部屋に似つかわしくない、鮮やかな赤い革張りのソファで、一人の女が、ヴァイオリンを抱えて座っていた。女は、突如訪れた承太郎を、驚いた顔で見上げていた。

「キミ…」

 表情とは裏腹な、落ち着いた声。白衣に漆黒のヴァイオリン。そのちぐはぐな組み合わせが、承太郎の目には、妙な調和を保って見えた。
 女は今年赴任してきたばかりの化学教師だ。名は確か、

「…ユウリ」
「私の名前を知ってるの。空条君」
「クラスの奴らが話してンのを聞いた」
「なるほど」

 春先。若い女教師が来たということで、学校中の生徒たちが色めき立っていた。しかもそれが美女であれば尚のこと。今では、化学のユウリセンセ、と言えば、この学校では知らない者はいないほどだった。
 そしてそれはユウリにとっても同じことだった。空条承太郎。ユウリは、彼のクラスを担当していたことは一度もないが、この学校で彼を知らない者はいないだろう。彼は良い意味でも悪い意味でも目立ちすぎるのだ。

「空条君、ココに何しに来たの?もう帰る時間でしょ」

 彼女は言った。不思議そうに小首を傾げるその姿に、承太郎は呆気にとられた。

「あ?何言ってやがる」

 あんたがこんなトコでヴァイオリンなんて弾いてるから―――
 と、そこまで言うと、今度はユウリが呆気にとられる番だった。

「キミ、これが見えるの?」

 それが全ての始まりだった。彼女の持っていたヴァイオリンは、実在するものではなく、彼女のスタンド能力だったのだ。
 物心ついたころ既に、このヴァイオリンは彼女のそばにあったという。こんなにもはっきりと見えるのに、不思議なことに、彼女の両親や友人たち、彼女以外の人間には、誰一人としてこのヴァイオリンが見えていないようだった。それは彼女が奏でる音も同じ。誰もこのヴァイオリンの旋律を聞いてはくれなかった。
「嬉しいわ。このヴァイオリンが見える人に出会えるなんて、思ってもみなかった」
 そう言って微笑むユウリに、承太郎は、自身のスタンドであるスタープラチナを発現して見せた。ユウリは突如現れた未知のヴィジョンに、ただただ、驚いていた。
 それから承太郎は、スタンドという能力、自身のもつスタープラチナという名前、世界じゅうの何処かに存在しているスタンド使いのことを、簡単に、ユウリに説明した。

「まあ…!」
 ユウリはまるで、新しい玩具を与えられた子どものように、キラキラした目で、承太郎の手を取った。
「凄い。凄いわ!キミの話、非科学的だけど、私にとってはすごく現実的。今までのことも全部腑に落ちるわ」

 承太郎の手を握りしめながら、ユウリは、承太郎とスタープラチナとを交互に見た。「これが空条君のスタンド、スタープラチナ」自分に言い聞かせるように、呟く。耳に馴染むその声は、先ほど、初めて会話を交わしたときよりも、幾分か弾んで聞こえた。

「今日はとっても良い日だわ」承太郎の手を握っていた細い指先が、離れる。「ねえ、空条君。それに、スタープラチナ」

「一曲聴いてくれる?」

 そう言うと、彼女の手の中に、あの漆黒のヴァイオリンが現れる。先ほど自分のいたソファに承太郎を座らせ、ユウリは、弓をぴんと張った弦にすべらせた。

 ユウリの奏でる音楽は、とても悲しいメロディだったけれど、彼女の隠しきれない喜びが滲んでいて、とても、心地よかった。
 おそらく、彼女は孤独だったのだ。幼いころから共にあったヴァイオリンは、しかし、誰の目にも映ることはなく、彼女はずっと孤独に生きてきたのだろう。承太郎はそう推測し、旋律に身を委ねようと目を閉じた。そしてそれは真理なのだった。
 彼女の、このスタンドがどのような能力をもつのかは、自分がこの音に惹かれて此処までやって来たことを思えば、容易に想像がつく。
 承太郎は、幼いころ読んだ絵本を思い出していた。それは、笛吹きの男の、不思議な笛の音色におびき寄せられた鼠が、川で溺死するという内容の童話であった。



(1/4)
[ top ]

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -