ひゅるるるる、嫁の機嫌を取るように鳴くガラテナは鼻先で果物をつんと突く。高い鳴き声が洞窟内に響き渡り、数秒経っても消えないまま。それが食の細い男に精をつけるための催促のようでもあった。

アニメに出て来そうな大きなオオカミに囚われて何日、何週間経ったのか男にははっきりと分からない。
ガラテナは規則正しい生活はしない魔物だ。腹が減れば狩をし、縄張りが荒らされれば駆け回り、眠りを貪る。しかし今のガラテナは3食食べ、朝起きて夜寝る男と同じ生活をしていた。
男が分かるのはこのオオカミのような獣に今のところ敵意がないということくらい。もしかすると充分肥えてから美味しく頂こうとなどと考えているかもしれないが、現状命の危機はない。

むしろ寒さに震える男に、おそらく人里かどこかで盗んできたか追い剥ぎをして来たか知らない服を持って来てくれたりと甲斐甲斐しいほどだった。服に血がついていないためおそらく殺したりはしてないはずだと男は何度も自分に言い聞かせる。
男はそれを羽織って、その上からは何かの獣の皮の上着を羽織る。ガラテナはそんな男を、柔らかな違う種類の獣の皮を床に引いたその上に鼻先で追いやった。軽く、柔らかいそれはこの世界では柔な男の肌を一切傷つけることはない。
獣ではなく魔物の皮だと知るのはもう少し先の話だった。

次にガラテナは食料を大量に持ってきた。
何かの肉や、内臓、骨と思い当たるもの全部持ってきたと言う顔で、さあどれを食べるんだとじっと見つめられている。その姿はさながら忠犬のようで。ガラテナはいつまでも男を見つめたが、火がない以上肉は食えそうになくしきりに男に首を振られていた。

「火が通らないと無理なんだ」

理由を説明しても、ガラテナに当然理解は出来なかった。

ガラテナは焦った。人間が、数十日腹に入れなくとも元気な己とは違うことくらいは容易く想像出来たのだから。腹が減ったのか薄い腹を撫でてぐったりとする人間に大慌てで森中のものを拾い集めては鼻先で押しやった。

結果、果実は食べれるようで、その後分かったのは肉もよく焼けば食べれると言うこと。人里の畑になっていた野菜を持っていけばはじめて男はガラテナに笑みを向けた。嫁はこれが好きなのかとガラテナは大喜びしたほどだった。

食料も体調も問題なくなる頃、ガラテナは嫁に求愛を始める。まず手始めに魔物たちを大量に殺し、中でもとびきり強い魔物の首を見せた。恐怖に顔を歪めたまま膠着する顔とぶち切られた首から滴る血。
「うわッ!」男は怯え切って奥へと逃げてしまった。もしかして俺はこうなるのか、と。

これは間違えた、と今度は魔物の体内にある魔石を取り出して、よく綺麗にしてやったから男に渡すと喜んではいないものの拒みはしなかった。

特に綺麗な澄み切った魔石は、男が夜寝る前に火のそばで翳してじっと見つめていた。なるほど、光物かとガラテナは頷く。次はもっと大きく澄み切ったものを差し出そうと。

しかし最も喜んだのは魔石ではない。身体が汚れていると感じて何度も髪を梳いているのを見た時、ガラテナは群れで子供の頃、仲間に舐めて貰ったことを思い出しその身体を舐めてやった。男はくすぐったそうに、それから嫌そうに、けれど気持ちよさそうにも体を捩った。「うっ…ぁ、ふふ、う」小さな笑い声と喘ぎ声の混ざったような声。
それは一体どうなんだ嫁よ。ガラテナは意思疎通が出来たらそう聞いていたに違いない。嬉しいのか?実は嫌なのか?気持ちいいならもっとさせろとがっつきそうになったが、その鼻先を嫌々と言うようにぐいっと押しやられた。
そしてガラテナは不意に思い出す。人里に降りた際に川の浅瀬を通ったら子供たちが水浴びをしていた。
もしや…あれか…?と。

そしてその直感は正しかった。

川に連れ出せば、男は顔を輝かせて服を脱いで飛び込んだ。朝日の下に晒された白い肌はガラテナの喉を鳴らせた。
この嫁の姿を誰かに盗み見でもされたらそいつを殺す、とまだ存在しない相手に怒り立つガラテナを他所に心地良さそうに何度も水で肌を擦り付ける男。

その肌を雫が滴る様子にガラテナは岩陰からじっと見つめる。
よしよし喜んでいる。好感触間違いない。これには嫁も自分のことを少しは良く思っているに違いない、と確信を得る。
しかも輝いて眩いものでも見るかのように目を細めるガラテナに、男は気付いて、困ったような微笑を浮かべたのだから。

その目が川に再び奪われると、男は流れが緩やかなそこに腕を突っ込んで何かを探っている。持ち上げては視線を動かし、また突っ込んで。
追いかけているのが魚だと気付いたとき、ガラテナはその巨体で飛び出し、目についた1番大きな獲物を素早く加える。衝撃で跳ねた水を食らった男は「わ、っ」とのけぞった。

「取るのはやっ…」

驚く男は手の上にぼとんと落とされたずしりと思い魚を見下ろす。鋭い牙が身体を何箇所も貫通し既に絶命していた。

「これ、貰っていいんだよな…?」
「ひゅるるるるる…」

高い鳴き声、それから男の手に冷たい鼻先がトンと当たる。多分良いよと言うことだろうと決めつける。
魚が食べたかった男はよし、と頷いた。

身体も気持ち良くなって、久しぶりの魚にありつけるなんて嬉しい。思わずその手を伸ばして、首元をおそるおそる撫でた。ガラテナはびくりと驚いたように身体を揺らして、その目を丸くさせる。
それから男に勢いよく飛びつく。バシャーンと大きな水音、手から零れた魚は草の上に落ち、尻餅をついた男はべろべろと身体を舐められながら目を回す。

「わっ…ちょ、っ」

せっかく綺麗にしたのに、とか、魚が、とか。男は突然興奮しだしたガラテナに何とか抵抗しようにもどうしようもなかった。手を伸ばすと丁度またガラテナの首元に触れる。

ひゅるる、と短く笛のような音。荒い息。
男は知らない。ガラテナの交尾はメスが首の毛をかき分けながら撫でて催促することで始まるだなんて。
鋭い牙と爪が当たらないように気にしながらもがっつく勢いが止まらずのしかかってくるガラテナに、男は慌てて鼻先を掌で押し出す。
鼻先を撫でられたのかとぺろりと舐められ、指先の間まで執拗に味わうような動きにぞわぞわと背筋が震える。

「な、なんか勘違いして、」

止まらない勢いにおろおろと後ろ手で冷たい川底に手をつく。このままじゃ食われる、多分そう言う意味で。
青姦なんてそんな馬鹿な。せめて暖かい部屋で、薄暗い場所がいい、生娘のようなことを思う男。最後には「せめて洞窟!」と叫んでいた。ガラテナという獣で魔物であることは最早気にしていなかった。

何せ、男にとってはもといた世界の人間たちよりよっぽど、ガラテナの方が優しく気を遣って、熱い眼差しを向けて求めてくれるのだから。すっかり絆されていた。
しかしここでは無理!と男は力を入れて舐められるがままの手で鼻先をぐっと押しやる。ようやく拒絶の意を感じ取ったガラテナはぴたと動きを止めて、柔らかな手のひらに牙が当たらないように慎重に口を閉じた。そして押されるがまま少し後退したガラテナはしょんぼりと肩を落とす。

「う…そんな、顔するなよ…」

据え膳食わぬは男の恥と思いながらも、嫁に嫌われるのだけは避けたいガラテナの葛藤。男は思わずまた撫でてしまいたい衝動に駆られながらも、今度は自分の低い鼻先をガラテナに押し当てる。

「別に嫌って…ことじゃないというか」

言葉が伝わらないのは理解しつつ、言い訳のように呟く。ガラテナは男の様子に返事をするように尾を軽く振ると、べろんと大きな舌の先の方で男の唇を割り開く。巨体の割に器用だと感動する男は、その舌を受け入れてうっとりと目を閉じる。

興味のない宝やらをガラテナに差し出され続け洞窟を占拠していくそれにようやくお気に入りだけで大丈夫と断るのはもう少し後のこと。その代わりに心も身体もガラテナを受け入れていく未来はもう目の前まで来ていた。

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