“この部屋は相手のことを好きと言わないと出られません”

その文字を見たとき、俺は漠然と無理だ、と思った。だって、この状況だとその相手は久ヶ原だったから。

授業中、珍しくいつもより眠くてついうとうとして、それから慌てて起きたらこの部屋に立っていた。久ヶ原も。
お互い何が起きたか分からなかった。出入り口のない部屋に2人で立ち尽くしていた。

どうしよう、どうしたらいいんだろう。部屋が静かでしかも久ヶ原と2人きり。気まずさがやばい。
でも出ないと。じゃないといつまで経っても久ヶ原と2人きりのままだ。

「く、久ヶ原…」

おそるおそる呼んだら、久ヶ原と目が合う。妙に冷静な目。さっきは驚いてたけど、もう落ち着いてる。
逃げたくなるのを堪えて、口を開く。

「どうしよう…」
「…出口探すか、それか…」

久ヶ原の目がちらりと上のモニターを見上げる。書かれている内容は至極簡単だ。相手のことを好きと言うだけ。でもそんな簡単なこと、俺は出来そうもない。
多分久ヶ原は俺にあっさり言いそう、だってただのクラスメート。言うだけで本当に出られるなら安いもの。

俺が、嫌なだけだから。

「出口探そう…」

久ヶ原の顔を見ないように壁に寄ると、ペタペタと触る。全く出口がないのに、ここに2人も閉じ込めるのは無理だ。だからどこかにあるはず。しばらく壁を押したり硬さを確かめるために叩いたり、でもどこも変わらない。

絶望的だった。

振り返ると久ヶ原がこっちを見て、それからため息。どうしよう、どうしたらいいんだろう。
なんか泣きたくなってきた。はあ。
俯いて、途方にくれた時、ドンッという大きな音。何かがぶつかったような。

びっくりしてそっちを見ると勢いよく久ヶ原が壁にぶつかったみたいだった。
え?

助走をつけて、また勢いよく。壁に跳ね返されてる久ヶ原に俺は空いた口が塞がらない。

「く、久ヶ原…?」

音がするくらいぶつかったら痛いに決まってる。それに俺と違って久ヶ原はスポーツ選手だ。あんなにぶつかって何の支障もないはず、ない。
でも久ヶ原がしてるのは部屋から出るため。
なのに、俺が嫌がるから悪いんだ。

もっと簡単な方法があるのに。

「待って、久ヶ原…」

馬鹿みたい。久ヶ原。
でもそれ以上に俺が馬鹿だ。

「久ヶ原ッ」

久ヶ原は止まって、荒い息を吐きながらこっちを見る。その目が鋭いけど、でも冷たい目じゃない。久ヶ原が俺に冷たかったことなんてない。

「言うから…だから、もう大丈夫」

鋭い視線が、少し緩んだ。

部屋の何もない真ん中に2人で向かい合って座る。距離はいつも隣の席の時よりほんの少しだけ近い。

「あの、怪我とかは?」
「別に」
「本当?だって、あんなに…」
「気にするな」

なら、いいんだけど。もし何かあったらどうしよう。早く出ないと、大事になる前に。

「早く出るぞ」
「わかった…あの、じゃあ言うから」

何か別なものを想像しよう。そう、あの本のこととか。あとハンバーグのこととか。とにかく好きなもの。

息を吸う。目の前の久ヶ原から意識を逸らすように俯いて。2文字、たったの2文字言うだけ。

「く、…久ヶ原が……」
「…」
「あの……す、」
「……」
「す、き」

久ヶ原に聞こえてないんじゃないかってくらい小さな声になった。すごく恥ずかしい。
じんわりと汗が出る。本もハンバーグも浮かばない、ただ馬鹿みたいに久ヶ原の顔がちらついたまま言った。沈黙と視線が痛い、怖い。

ずっと静かで、堪らなくなって顔を上げたら久ヶ原がじっとこちらを見ていて、視線が合う。顔が真っ赤になって目が泳ぐ。頬が熱い。

どうしよう、どうしたらいいんだろう。
こっちを見る久ヶ原がただただ怖い。

「俺も…お前が好き」

しん、とした部屋の中。大きい声でもなかったのに久ヶ原の声は響いた。あまりにも、真っ直ぐな言葉で俺は耳まで赤くなる。どうしよう、赤いの久ヶ原にも分かるかな。
でも真っ赤な俺につられるように、どんどん久ヶ原までもが赤くなる。
久ヶ原が赤くなるのを見るのは初めてじゃない。何の時だったかな、あ、好きな本を話してるあの時だ。

ガチャ。

扉が開いても真っ白な部屋に、2人赤くなって座ったまま時間が過ぎていった。

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