まだ、あの歓声は俺の頭の中でぐわんぐわんと鳴り響いて、ずっと止まない。呪いみたいだった。いつまでもこびりついて、剥がれない。

あの期待と喜びに満ちた声に、どうしても息苦しさを覚えてしまう。

現世で散々人に雨男と恨まれ、罵られたのに、今度は感謝ときた。急勾配のジェットコースターのような変化だ。当然ジェットコースターもそういう環境も苦手なためついていける筈もなく、あの降り注ぐような歓迎の声から逃げた後はしばらく呆然としてしまった。

ーー寝れない…。

昨日も寝れなかった。今日のことで思い詰めて、目を瞑っても恐ろしい想像をしてしまって何度も寝返りだけ打っていた。今はただ、怖かった。

ーーあんな期待を寄せられる人間じゃない。

シーツのさらりとした感触が肌を不快に撫でるのが気になって、あの人とは繋いでいない方の手で腕を擦る。
それでも隣で眠る男を起こさないように、自分の体を撫でることのできる範囲はとても狭くて、シーツの海の上で溺れるように体を蠢かす。

ーー帰りたい、帰りたい!!!

どこかからひそひそと声が聞こえる。

“今日の遠足また雨なんだって。あの子が雨男だからねー、最悪”

小学生の誰もが大好きで楽しみな遠足の日。雨天中止により、保育園からの幼馴染で、クラスメートの少女が何気なく囁いたその一言が波紋のように学校中に広がった。
噂はあっという間で、みんな覚えたばかりの言葉を使いたがって、そうして何気なく俺に言った。
それからも何度か似たようなことを言われ、俺はいつしか殻にこもった。世界は怖い、子供ながら俺はそう思った。

こんな世界、最悪だ。

そう思っていたのに、今はあの世界が恋しい。
自分を嫌って、自分から距離を置く人しかいなかったあの世界に。

溺れているようだった。引き攣った呼吸を繰り返し、上手く息が出来ないまま大きく胸を喘がせて。眠ってもなお離れない手はまるで俺を雁字搦めに縛り付ける鎖のようで、無茶苦茶に暴れ出したいのを無理矢理押さえつけているように感じた。

その逃げられない俺の、あの人より一回りは小さく貧相な手は、薄暗い部屋ではまるで色を失っていて、ぴくりとも動かせない。

微かに開いた窓から漏れてくる、サアアとずっと静かだった音がだんだんと強まっていく。
感情の昂りに影響しやすい、そう分かっていても、いくら落ち着けと心をどうにか鎮めようにもどうにもならない歯痒さに、堪らず萎んだ肺から叫びそうになった。

喉から漏れそうになった声なき叫びは、唐突に遮ってきた言葉に急ブレーキがかかった。

「眠れないのか」

このままベッドに埋もれて、潰れてしまいたい。そうしたらこの迫るような雨音からも逃げれるのに。
そう思った時、しっとりと低い声が耳元に潜り込み、ようやく俺は肺に空気が入ってくるのを感じた。

「え…起きて…?」
「ああ」

まさか起きているとは思わなかった。もう、横になってからかなりの時間が経つのに。

ーーたまたま…?もしかしてずっと寝付けなかったのか。

俺のせいだ。いつまでも寝ないで、がさごそ気配だけうるさくしていたから。また、息苦しい。

「眠れない時、昔はどうしていた」

そんな俺を、この人は、カヨウさんは少しも気にしていないようにそう切り出した。

「昔…むかし、って」
「俺は…母に抱きしめてもらっていた。幼少期でもう顔も覚えていないが」

その時覚えた違和感に引っ張られて、返事が出来なかった。

ーーあれ、今…?

「やり方は、それしか知らん」
「へ…?う、ひょッ」

繋いだ手を引っ張られるがまま、広い胸に顔を激突して、目の前に火花が散る。あまりの痛みに言葉がないままでいると、腰に腕が周り全身がぴったりとくっつく。ひええ、とんでもない状況に俺は痛みも、雨も、恐怖も忘れていた。

耳に届く音は、この瞬間から変わって雨の音は急激に遠のいていった。

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