コールイは、天井の石と石の隙間を視線でなぞる。まるで迷路のようだったから、この終わりのない牢獄生活での時間潰しにはもってこいだった。
何故ならゴールがない。辿っていくと自然と出入り口の奥に向かっていく。軍の連中が頻繁に出入りする硬く重い扉の先。階段がありその先は、幻覚でも見えているのか、ゴールのように輝く見えて、眩しい。
でも、コールイが迷路で進めるのはその手前まで。牢屋の格子に触れることもできないよう、壁付の手錠によって拘束されていた。

数日前に叫びながら外に連れて行かれた両親は、その後戻ってきていない。コールイの牢の前を通った時、こちらを殺さんとばかりに睨み、叫び、呪いの言葉を吐いて、消えた。
ここは重罪人の檻だ。外に連れ出される時、その運命は学のないコールイでも手にとるように分かる。

時折、ここではその重圧感に耐えきれず発狂する囚人の叫び声が轟く。石の積まれた壁の、暗い暗い空間ではその声がいつまでも病まないと寝れない日もあった。
慣れ切った看守たちは無表情のまま牢屋の廊下を歩き、たまに中を確認するようにこっちを見る。下賤なものを見る目で。
当然と言えば、当然だ。きっと彼らは知っている。コールイとコールイの家族が侵した罪を。

ーーアマネは、無事に王族に保護されたんだよなあ。

それは、看守たちの雑談で聞こえた話だ。雨が降った、神が現れた、と。彼らの声色は大層明るく、それだけにコールイは自分がもう助からないことを悟る。それだけのことをした。

アマネを逃したあと、襲い掛かってきた母ともみくちゃになって滑り落ちて、怪我をした。意識を失い、目が覚めればもう檻の中にいた。
淡々とした声で罪状を読み上げられ、刑の執行はまだ先であることのみしか伝えられない。両親は、コールイより早く執行されただけだ。遅かれ早かれ、あの二人と同じ場所に堕ちるだけ。地獄に、堕ちるだけ。

ーー元気にしてるか、あいつは。

いつも顔を伏せて、どこか自信のないアマネは、コールイの目にはとても神には見えなかった。全知全能とされる神が、まさかこんな姿なんてコールイには初めは信じられなかった。

ウオオオ、と遠くで誰かが叫ぶ。この孤独と苦しみに耐え切れなくなった者の叫び。これに呼応するように誰かもまた叫ぶ。しかしこの小窓もない空間では誰も助けには来ない。
唯一の入り口は、何重にもなっていて、穏やかに暮らす民のもとには届くことはない。

いつかこうなるかもしれない。コールイはそう思っていた。気が狂うような牢獄での生活。その前に命を閉ざしてしまいたくなるのだ。

ーーせめて、アマネを恨む前に、俺を殺せ。

そう、祈るしかない。眠る前も、夢の中でも、目覚めても。そればかりを祈る。

しかし、無情にも、廊下をかつかつと歩いてくる足音。そして鍵がぶつかる明るい金属音。これは地獄への招き。ここでは誰もが恐れる音。
牢獄の中が一際うるさくなる。逃げるように後ずさる足音、暴れてがしゃがしゃとなる手錠の音、助けてくれと祈る声、悲鳴。

コールイは、嫌な予感がしていた。

そしてその予感通り、足音はコールイの牢獄の前で止まる。
この瞬間の感情は、ぐちゃぐちゃで、少ない食事と一緒に吐き出してしまいそうになった。

アマネを恨まずにすむ喜びと、死に対する恐れ、両親への怒り。舌を噛み切りたくなる感情に襲われるも、立ち止まってしまう弱さ。

「おい、時間だ」

容赦のない低い声。何の時間かは言わない。躊躇えば無理矢理にでも連れ出される。時には折檻も。
震える足でよろよろと立ち上がると手錠を外される。少ない食事と同じ姿勢のせいで、身体はぼろぼろだった。歩くのもやっとでこの看守だらけの場所から逃げ出すことなんて到底出来ない。死期が早まるだけ。

ーーアマネ。

廊下を静かに歩きながら、心で呼びかける。

牢獄からじっとこっちを見つめる視線をいくつも感じる。それを見てしまえば生への希望が湧いてしまうから、頑なに俯いたまま。アマネを恨むことなくこの生を終えるために。

ーーもう一度お前の目が見たかったよ。

伏せた目の奥に隠した、誰も持てない深い夜の色。それが時折輝いていた記憶はコールイのこの牢獄生活での支えであることを、アマネは知る由もない。

明るい世界へ近づいている。死刑執行は秒読みに入った。
それなのに、静かな雨の音と嗅いだことのない雨の香りを感じたとき、コールイの心は凪いでいた。

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