死ぬのをやめたことを後悔した。なんで辞めたんだろう。彼が助けてくれるわけでもないのに。
騒めいた教室の端っこ。俺は既に後悔し始めていた。自殺しようと決めて、屋上に立った。フェンスを越えて、一歩踏み出せば終わりになるはずだったのに。
結果踏み止まって、でもだからと言っていじめが止んだわけじゃない。暴力はなくなっても机の上の死ねの文字は消えないどころか増えて行く。教室に置いていくと使い物にならなくなった、上履きと体育着。そのせいで毎日持ち帰る日々。
辛いし苦しい。でも誰も助けてくれない。

何度、このカーテンのように遮る前髪から黒板の前に立つ先生を見つめたんだろう。次第に教師が我関せずの姿勢を見せていることに気付いて絶望した。
はあ、とため息をつく。早く授業が終わってくれないかと。

不意に前を歩いて来たクラスメートと目が合った、気がした。俺の机の横を通る時、ガンという大きな音と激しく机が揺れて、震え上がる。

きっも、という声が聞こえた。言葉がナイフなら俺はもう原型がないくらい滅多刺しにされてるだろう。早く帰りたい。貧乏ゆすりを堪えながら訴えるように、教室に入って来た担任を睨みつける。

「このプリントは進路に関する大事なもんだからなー、ちゃんと読んどけよ」

卒業が近くなって来て、こういう配布物も増えて来た。
俺は一番後ろのこの席が嫌いだった。一枚足りなくて取りに行くことになる。そうすればまずクラスメートは足を伸ばして俺を転ばせようとする。それを避けると舌打ちされる。つまんな、なんて吐き捨てるように言われる。

だから、どうか足りますように。

こんなプリントが配られるだけでドキドキしてるのはこの学園で俺だけだろう。
どんどん回ってくるプリント。2つ前の席の子が振り向いて、それから俺の前の席の寝ている男子の頭の上に乗っけた。
乗っけた男の子が俺に直接渡してくれない理由もわかる。その事実に毎回落ち込むのはもうやめたから。

起きてくれないかな、と見つめても大柄の広い背中は規則的に上下するだけ。
授業中のほとんどを寝て過ごしている駒井くん。起きてる体育の時も、突っ立ったまま寝たりしている。
あくびばかりして、とろんとした目でぼんやりしてる。毎日先生に怒られて、でも気にしていない。彼くらいメンタルが強かったらいいのに。

一向に起きる気配のなさに焦れて椅子からお尻を浮かせたら、急に駒井くんの手が動いてプリントをぐしゃっと掴む。

あ、と思った時には勢いよく長い手が振られて前のめりになった身体を引く前に、顔にガンと当たった。痛みにくらりと目眩がした。
駒井くんもまさかぶつかると思ってなかったのか、のっそり身体を起こし始めた。

振り向くな。俺は心の中で叫んだ。振り向いたら何を言われるか。きもい、死ね、ウザい。あとは何?
俺の願い虚しくゆっくり振り向いて来た駒井くんと、前髪越しに目が合った。

「ごめん、痛かった?」

思ったよりも、いや、とても優しい言葉をかけられて俺は一瞬言葉を失った。
それから慌てて首を振る。

「本当に?」
「う、うん…」

どうしよう。話しかけられたらそれはそれで困惑する。も、もしかするとここから、テメェ死ねよとか言われるのかもしれない。
駒井くんと話すのは初めてだった。
心臓がバクバク言って、こっちに向いた身体が一向に動かないからたまらず俯いた。

「…」
「……前髪長いね」
「ごめ、ん…」

今俺の視界は前髪でほとんど覆われている。鼻まで来た前髪はもう切れなくなった。
昔は短かったけど、いじめられはじめて睨まれるのが怖くてどんどん伸びていった。伸びたらもっと陰口を叩かれた。
今更切れない。俺の心のバリアだから。

「別に怒ってないけど」
「うん…」
「…眠いね」
「う、ん…?」

くああ、と欠伸をした駒井くん。椅子の引きずる音と共に近くなる気配を感じた。

「前髪長いと顔見えないね」
「そう、だね…」
「モテないよ、多分」

余計なお世話だ。モテる云々よりそもそも友達も出来てない。
泣きたくなってきた。悲しさと、嬉しさがこみ上げてきたから。
なんで駒井くんは話しかけてくれたんだろう。

「あとね、前髪が長いと表情が見えないね」
「っ、…」
「さっき俺の手と当たった時、俺の手はちょー痛かったんだけど、本当に痛くないの?」

思わず顔を上げると、髪の間からタレ目の薄いブラウンカラーの目とぶつかる。穏やかで悪意のない目だった。
本当は痛いよ。何もかも。

「見して」

大柄な体に見合った大きな手が伸びてくる。怖い、このまま顔を掴まれて引っ叩かれるかもしれない。
でも結局少しも動けず、ゆっくり髪の毛が退かされて視界が開けていく。ホッとすると同時に怖くなる。俺の最後の砦なのに。
駒井くんの顔もよく見えて、教室が眩しいと感じた。

「傷は出来てないけど痛そうだね」

痛い。本当はすごく痛い。
捲るように髪を退かされて、顎を持ち上げられる。怖くて目を瞑って、ひたすら時間が解決するのを待った。

「モテなそうな顔してる」

失礼な。
でも分かってる。モテそうなくらいイケメンだったら今頃いじめられてない。顔と権力がモノを言うこの学園だ。
言われなくても分かってるつもりだけど、それすら痛かった。

「でも可愛いね」

え、と思わず目を見開く。
可愛い?そんなことない。絶対に。嘘つけ。
けど駒井くんはのんびり笑ってる。嘘なんて言ってないように見えた。本当に、俺は可愛いのか?

「よし、放課後デートしよう」

とんでもない駒井くんの発言に俺はポカンとする。放課後、デート。何それ。
用が済んだみたいにパッと前髪から手を離して駒井くんはまた机の上に寝そべって寝てしまった。俺は放置されて固まってしまった。

そのあと、ホームルームを終えた俺は駒井くんに手を引っ張られて出入り禁止の屋上に連れていかれ、意味のわからないまま昼寝をすることになった。放課後デートって昼寝のこと?

本当に意味が分からない。

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