ある高校にいる男はまるで鬼のように強かった。向かってくる者をなぎ倒す様はまさに鬼神で見ただけでトラウマになるほど、おぞましいとのこと。そんな話し、ファンタジーみたい、小説みたいと他人事のように思った日もあった。

でも実際見てみると確かに、おぞましいよなあと少年は思う。確かに怖い、相対して見れば勝機はないとまで思わせる圧倒的な存在感と威圧。
少年は、その男が今まさに寝ているそばでぴこぴこと携帯を動かしていた。不器用な手つきで文字を打つ姿は今時の若者らしくはなかった。何度も打ち間違えて、誤字にも気づかない。まるで高齢者の打った文章みたいに。

そんなことは気にしないで、なんか熱いなあと少年は立ち上がると部屋を出て行った。向かった先は洗面所で、タオルでも濡らしてこようと考えたためだった。なんせこの部屋は暖房機はついているけれど、それをつける権利はおそらく少年にはない。

洗ったばかりのタオルをひっつかんで濡らすと固く絞って、広げる。冷たくて気持ちいい。どうせ温くなるけどと思いながら、それに顔を埋めたとき、ぶす、という音が確かに聞こえた。

「いた」

ちくっとした痛みにタオルに顔を埋めたまま眉を寄せ、さらにそのまま口を開く。

「痛いです」
「うるせェ、」

歯が、刺さってる。肩のところ。先日も刺さりその傷も塞がりかけていたとこに追い打ち。ぷちぷちと肌の裂ける音も聞こえた。あまりいい音じゃない。
それに、むわ、と香る血のにおいも少年があまり好むものでもない。

洗面所の鏡越しに、背後霊のように立っている男を見つめる。

「別に何処かに行くわけないじゃないですか。この前は買い物です。行く、と言っておきました」
「聞いてねえ」
「眠そうでしたし」

まるで子供のような言い訳をされたが、少年は気にした様子もなく、からからと笑っていた。濡らしたばかりのタオルを洗濯機に放り、自分の肩に歯を立てる男の頭に手を伸ばす。くしゃくしゃと撫でる。硬い髪の毛だけど、撫で甲斐があるというもの。
最後に男は歯を更に奥まで押し込んで抜いた。まるで跡をつけるようだと少年は内心思った。

深くすればするほど、治りは遅くなるのだから。

「痛くねェか」
「注射くらいにしか」

少年は細く枝のような腕をのばして、傷に触れた。赤い液体は絶えず流れていて、瞬く間に服を汚し指を汚していく。もう何着目だろうと、ため息を吐く。
この暴力で、ダメージを受けるのは彼の身体よりも、中身のない薄い財布であった。

「そうか」

なんとなく嬉しそうに呟いて、男は少年を深く抱き寄せた。

そうして思い出すのは、出会った時のことだった。

男が少年を見つけたのは、いつだったかもう忘れた。ただ細い月の夜であったというのは記憶にある。
男は暴力が抑えきれなかった。加虐性。だからその夜も、人を噛み、殴るのを我慢出来なかった。その度に家に事件をもみ消しにされ、男を殺そうとする人間は少なくなかった。そのほとんどが再び男に返り討ちにされるという結果に落ち着くわけで、またそれももみ消されて。おかしなくらいループする。

細すぎる月は、笑っているようだった。人を傷つけることでしか幸福を感じない男を哀れ、と。

男はふらふらと歩きながらふと、獣のような勘が働き男の意識をある公園の茂みへ招いた。
確信はないが近づいて行くと濃い血の匂いを感じた。

男はにたあと笑った。良い香りだ。

そして血の匂いのする方へ向かうと茂みの奥に確かに少年が倒れていた。ボロボロでところどころ赤いTシャツを捲ると見事に痣だらけだった。男は、おお、と感心するように呟いていた。
そして少年に視線を戻して、首を傾げた。あれ、と。気絶しているのだが随分と安らかな顔だ、死んでいるわけではなさそうだけど、だいたいは苦悶の表情を浮かべているはずなのだがむしろ幸せそうに見えた。

不思議に思いながらも、先ほどまで落ち着いていた本能が騒ぎ始めた。殴りてえ、そう思って拳をあげた時、少年の瞼が唐突に開いた。

「…流石にやめてくれませんか」
「あ…?」
「汚いところで寝そべる趣味は僕にはないんです」
「…痛くねえのか」

少年はきょとんとしてから、ああそうかと呟いた。痛みに苦しんでいる様子は微塵もないように見えた。

「痛くありませんね、スポンジが腹にあたったくらいの感じでした。でも身体が起こせない辺り結構きついのでしょうか。治りは常人より早いのでおそらく中はほとんど治ってるのでしょう」
「は?」

男は意味がわからなかった。スポンジ?でも腹は青黒くなっている、血も出てるのだろう。しかし少年はけろっとしている。
なんだか血がどくどくと沸騰するような感覚を覚えた。これ一つで、家はもう何も言わなくなるのでは。事件をもみ消すくせに、注意してくるうるさい家。全部もみ消せよ。

けど、そう、サンドバックを見つけたのだ。最高で最も面倒ではない、サンドバックを。

「お前は、本当に少しも痛くないんだな?」
「少しは。でも、大丈夫だと思います」

喋っている途中に、もう男はバキッと少年に拳を深くめり込ませていた。それでも少年の言葉は止まらなかった。
おそらく少年が受けてきたどの拳よりも重たいはずだが少年の眉はピクリとも動かなかった、まるで人形を見ている気分だった。

「我慢強いMとかじゃねえよな」
「そうではないと自覚しています」
「じゃあ、俺の家に住め」

少年は、ぽかんとした。ええっと、と唸ってから、うーん、と微妙な声を上げた。しかし男としてはこの最適な存在を逃すわけにはいかなかった。

「養ってやる、遊んで暮らせる金くらいあっからな。その代わりいつでも殴らせろ」
「俺はまだ高校生なんで、卒業したらいいですよ。ただ学費が払われているのであと一年…二年近く待つことになりますよ」
「あァ?高校なんてやめちまえ」
「俺は親孝行します」

だからそれを反対するなら、無理です。きっぱり告げられる、意思のある目だ。どうしようもないのがわかる。舌打ちをこぼして、イライラする。出来れば家にずっと置いとけば楽なのに。
それでも少年の無表情な顔を見ると二年くらい待ってやるかという気持ちになれた。それは本当に何故かわからなかったのだが。

それから結構経つ。十年くらい経っているのかもしれない。殴りたいとしか思わない男は殴れれば美味いものも女もいらないのだから、最後に家を出たのがいつかわからない。
だらだらと少年を殴っては、少年と寝るだけ。
当初は殴るだけで良かったのだが、いつしか静かで平坦な声が気に入って、柔らかくないが腕の中にすっぽりはまる身体が気に入っていた。おかしいなあとは思っても、どうでもいい。

今日も男は少年を殴り、噛み、少年は静かに受け入れるだけ。少年が欲しがれば美味い食事を与えた。
互いに損はしていない。素晴らしい需要と供給の上に立っている二人だった。

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