全寮制男子校では、男同士の恋愛に発展しやすい。滅多に会えない女子、温もりに飢えついついセフレなんてものを作りがちなこの学園で、最近やたらと耳にするキスフレンドなるものがある。セフレがセックスフレンド、つまりはセックスを楽しむ間柄を示すが、キスフレはキスを楽しむ間柄というわけで、セックスまで踏み込む気はないがキスくらいなら、という葛藤を解決することになる。
それが生徒間だけでなく教師のもとにまで話がいっていたら、こんな面倒なことになるとは俺も思ってもみなかった。

「お、よく会うなーお前」

小暮は表情に出さず、うわあ、と内心声をあげた。このやたらとやる気のなさそうな保険医との邂逅がどうにも多すぎる気がしてならない。そして会うたびに保健室での留守を任されている。
しかもここは廊下じゃない。校庭の端を歩いていたところに、唐突にカーテンが開き窓も開いたところだった。タイミングが悪いにも程がある。

「いやいや今日はこのままいるから大丈夫だけど。留守番はさせないよ、流石にね」
「そうですか」
「あでも話し相手になって欲しいんだけど」
「…はい?」

正直に言うと、一人で保健室で留守番するより、この保険医に付き合って駄弁る方が面倒な上に嫌だ。嫌すぎる。

「最近さあ、流行ってるだろ。生徒たちの間で、キスフレンドって、それって本当か?」
「…」

何言ってんのこのおっさん、と本音が出そうになった。若い学生の流行を気にするようなタイプには見えないのに。
本音は出なかったけど、顔には出たらしい。弁解するように、待て待て待てと言ってきた。

「いやー、まあね、…野良猫に最近しょっちゅう俺のこの唇を見られている気がしてさ」
「…猫?」

猫と聞いて、パッと頭に浮かんだのは浦川だがあれはどちらかというと飼い主の方だ。彼のお気に入りのあの猫たちのことでもないだろう、表現するなら飼い猫っぽいし。それにこの人、曲がりなりにも教師だし。
何のことやらと首を傾げる俺に、保険医は気にも留めずに話し続ける。

「キスフレなるものが流行ってると風の噂で聞いてよ、もしかしてって思ったんだけどさァ、どう思う?」
「…何の話ですか?」
「……話聞いてなかったのか?」
「すれば良いんじゃないですか?猫でしょう?」
「そうか?やっぱりそう思うか」

俺が猫だったら御免だけど、とは言わない。
うんうん、と自分が聞きたい反応を聞いたのがよっぽど嬉しかったのか、立て板に水を流すようにべらべらと、正直に行こうかな、それとも嫉妬心を煽るか、などと意味の分からないことを言っている。呆れた目で見ていると、突然頷きながらそうだよなあ、と窓から身を乗り出してきた。

「じゃあ発破をかけるか…」
「…?」
「キスフレってやつ、なろうぜ。えーっと、佐藤だよな」
「いやなんで、」
「ちょっとこっち来て…」

一瞬躊躇った。相手は先生だし、と。ただその躊躇が付け入る隙を与えた。窓から伸びた白衣を着ている腕が後頭部をしっかり掴んで、無理やりに引き上げられる。
爪先で立つような、ギリギリなところで思わずうわっと声をあげたところで、口端にちょんと軽く何かが触れる。
見上げると、保険医は満足げ。俺は意味がわからず頭にクエスチョンマークが旋回する。何だ今の、と。

どさ、と何かが落ちる音がする。振り向くと、眩い金髪のわなわなと震える誰かがいた。知らない生徒だ。ショックを受けたように見開いていた丸い目が、怒りを堪えるように少し細まら、何故か睨まれる。その表情の豊かさと、尖った警戒心がまるで猫のようだ、まだ誰も手懐けていない野良猫のようで…あれ。

「よし、もう行っていいぞ」

軽く頭を撫でられ、その生徒とは逆の方向に背中を押される。疑問が絶えない上に何だか利用されただけな気がして癪に障るも、これ以上面倒なのも嫌だったから振り向かずにその場を去ることにした。

後日再び会った保険医の顔は少し赤く腫れている。失敗だった、と非常に残念そうに言われたけど、俺にはよく分からないままだった。まあ、野良猫ならキスしてくる薄ら笑いのおじさんがいたら引っ掻きでもしそうだけど。

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