藤光くんが買ってくるお土産の1つに、よく桃がある。駅前のスーパーに売っている安い値段のものから、ぎょっとするほど高いやつまで。
家計の費用から出すと言っても、一応お金の管理も任されて渡しているお小遣いのお金の使い道がないから構わないと言って聞いてくれない。
手渡された袋を覗き込むと、綺麗な色と甘い香り。美味しそう。でも藤光くんは1つ勘違いしている。俺は特別桃が好きなわけじゃない。もちろん嫌いではないけど、果物だとみかんの方が好きだったりするわけで。

だからてっきり藤光くんが好きなのかと思っていた。顔に似合わず可愛いなあと思ってしまって、ついリビングのテーブルで剥きながら「桃好きなんだ」と尋ねたら「普通です」と返された。思わず手が滑って皮を実のぶんまで深く切りすぎてしまった。

とはいえ食後のデザートがあるのは嬉しい。夜ご飯のあと、順番にお風呂に入り、それから冷蔵庫から桃を取り出す。その時見えた値段は見なかったことにする。それなりに高い。
藤光くんがよく果物を買ってくるから果物ナイフを買ってしまった。それはちゃんと役目を果たす。

桃って剥くのが難しい。もう何度も剥いているのに産毛が刺さったりすることもあるし、つい指に力が入って押しすぎてしまったり、綺麗に剥けた試しがない。あっという間に手がべたべただ。
桃が美味しい割に好きになれないのはこのべたべたのせいだ。甘い汁が手を伝って被害を大幅に広げていく。なんてやつだ。
藤光くんも何が好きなんだろう桃の。

むむむ、と悪戦苦闘してようやく一欠片切れた。本格的に料理をするようになってから上達した包丁捌きだけど、桃はやっぱり難しい。つい、ふう、と息を吐いていた。
それからこの元凶である藤光くんを見上げると、丁度目が合う。

「…桃、切ってみる?」
「……いいですよ」

え、と固まる。言ったのは冗談だった。ちょっと恨めしいので言ってみただけ。
藤光くんに刃物なんて任せ切れないのは経験談だ。猫の手すら慣れない様子で、うっかり指のそばに刃物を下ろしてるのを見たときは寒気がしたのを思い出す。だめだ、だめだ。

「やっぱり俺がやるからいいよ」

桃は大変だけど、藤光くんが怪我するくらいなら問題ない。

「甘い匂いだね」
「…はい」
「何でよく桃を買うの?」

もしこれで俺が好きだから、とか言うのならちゃんと否定しておこう。意地悪とかじゃない、決して。長く暮らすのならお互いのことを間違いなく知ること、それも必要なだけ。

「…多分、あなたは笑う」

そんな突飛な理由なのだろうか。ますます気になる。笑みが溢れそうになるのを慌てて抑えて、催促をすると本当に言いづらそうに口籠っている。こんな藤光くんは珍しい。

「……あなたの、」
「…?」
「……匂いに似ている、と思います」

似てるって、桃に?俺の体臭ってそんな甘ったるい感じだったの。思わず腕に鼻を寄せてくんっと匂いを嗅いでみるけど、桃を剥いたばかりだからか桃の匂いしかしない。
それにあんまり理由になっていないような。いつも正しく論理的な藤光くんにしてはアバウトというか、本当に何となくなんだろうなあ、と。
だからつい、うっかり笑ってしまった。そうしたら無表情が少し崩れてムッとしたような、恥ずかしそうな顔をしている藤光くん。

俺の匂いに似てるから買って、それを食べることはどんな意味があるんだろう。切った桃を一口で口に放り込むのを見つめながら、そんなことを思った。



帰り道、食品スーパーの眩しいライトに目を細めながら、つい、その薄桃色のそれが目について他に手を伸ばしていたのを止める。
藤光は恋人が四苦八苦しながら桃を切るのも、それに楊枝を刺して差し出してくれる優しさも、甘いなあとしみじみ呟く様子も、桃に含まれる水分で唇が少し濡れるその姿も。どれも気に入っている。

彼の匂いは桃に似ている。女性ほど匂いに詳しいわけでも気にかけるわけでもないが、清涼感のある匂いの中に微かな甘みを含む匂いを感じる。同じシャンプー、同じボディソープを使っているのに、自分は桃の匂いはしない。それに同棲する前からも彼の匂いは変わらない。
出会った時のことを思い出しながら、藤光はもう1つ桃に手を伸ばした。

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