ふと、テレビの音が遠のいてソファに座ったまま、キッチンで鼻歌を歌いながら掃除をする恋人を見上げた。
自分とは違い、表情豊かなその人は掃除をしていながら、顔の半分を覆うマスクをしているのに至極楽しそうだ。
その姿は1人で暮らしていた頃には見れなかった光景で。胸がいっぱいになるような気分。

藤光は掃除が得意ではなかった。1人で暮らしていた頃、ほとんどものはなかったため掃除の手段は掃除機だけ。キッチンは未使用。コンビニ弁当がありながらキッチンは必要なのか、という疑問は同棲するまで消えなかった。

2人で暮らせば物も増える。趣味はないという恋人だが意外と本を持ってるし、誕生日に物を贈ればそれなりに増えていく。尽くしてくれる恋人に自分は物しか返せないからと、喜びそうなものを目につけば買ってしまう。
とはいえ、2人で住んでるには少ない方なのだろう。

同棲を始めた頃に、送ったエプロンは黒。シンプルながら、似合っていると自負している。それを身につけながらくるくると掃除をしているのをじっと見つめると、目が合う。ぱちり、と瞬く音がした。
それから飲んでいたグラスが空になっているのを見つけたらしい。
冷蔵庫から出した麦茶をわざわざこっちに持ってきて注いでくれた。

どうも、と素っ気ない言葉が出てしまい、つい後悔。
けれど気にした様子もなく、どういたしまして、と返した恋人は相変わらず楽しそうだった。

年上には見えない。何度目になるか分からないほど、常日頃思っている感想がまた胸に浮かぶ。
顔立ちとかそういったものではない。日常的なことに関心を寄せ、感情を表す人。会社で見ていた頃に比べ、移り変わる表情。幼いとも違う。

その1つ1つが自分の胸をいっぱいに満たすたびに、この人は自分のために仕立てられたのではないか、と傲慢な考えが浮かぶ。

掃除がひと段落ついたのか、掃除機を片付けて手を洗って、それから自分の座っていたソファの、自分の隣に腰をかける。1人座ればその分沈む。
ーーもう少し小さいソファを買えば良かった。
あまりくっ付いてくるようなのを良しとしないのか、距離はいつも一定だ。付かず離れず。べたべたと触られるのは嫌いだが、恋人となれば違う。むしろもっと、と思ってしまうのは当然だった。
ソファに座ってテレビを見るわけでもなく、手を組んだ恋人は、藤光の視線に気付いて、笑みをこぼす。

「身体は大丈夫ですか」
「うん。結構休みすぎたくらい」

大丈夫か、と聞きながら無理をさせたのは自分だ。金曜はベッドに入るのは早くても、寝るのが早いわけではない。辛くないようにと丁寧にしても、受ける側の疲労は藤光には分からない。
だから今日は、昼近くまで起こさないでいた。起き出した恋人はなんで起こしてくれないのかとぷりぷりと怒っていたが、度々気だるそうに壁に手をついている姿を見ればもっと休ませてあげたかった。

「無理をさせました」
「そうなの?」
「はい」
「じゃあ、しばらくはやめる?」

藤光はその言葉に動きも思考も止まる。
週一の藤光の楽しみ、本当はもっとと思っているのに、それがなくなる?
しばらくってどれくらい。藤光は無表情の奥に焦りを浮かべた。

「あ、の…それは」

藤光は分かっていた。恋人が自分ほどセックスが好きなわけではないことを。気持ち良さそうではあるが、ついつい気持ち良さそうな姿を見ればイかせてしまう。気持ちよくなれば良いものじゃないという無理難題。今まで難しい壁にぶつかってこなかった藤光だったが、この恋人と出会ってからは違う。

それでも毎週は欠かさない、と押し通すことのしわ寄せは恋人が被っている。

「本気、ですか?」
「…冗談だよ」

ーー本当はもっと回数を減らして欲しいけど。
藤光の恋人はその言葉を飲み込む。

それに気付かず、内心安堵する藤光は、ぎしりとソファの上で恋人の方に身を寄せその腰に腕を回す。
掃除で身体が温かい恋人。同じ洗剤、同じボディーソープを使っても同じ匂いにはならない。
そうして穏やかな休日が過ぎていった。

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