call my name




【一】

 娼館オスカー・ワイルド。


 扉が叩かれ、キイと音がする。夜が始まる約束通りの時刻、支度もちょうど良い頃合い。
「フーカ様、お客様をお連れ致しました」
 ひとり静かだった部屋に現れた制服の男を「ありがとうございます」と下がらせる。かわりに残ったのは、館の常連であり上客であり、古巣での拾い主のひとりでもある緑髪の男。
「本日は個室にまでお招きいただき光栄です、フーカ様」
 館の主人として、他の従業員のように個人的に客を取ることのない私にとって彼は特別。とは言え、とうに馴染みの顔なのにわざわざ脱いだ帽子を胸に当て恭しく首を傾ける姿がおかしくてくすくす笑ってしまう。それに貴方まで私を「フーカ様」、だなんて。
「お待ちしていました、どうぞこちらへ」
 ジャケットを脱ぐよう促し、帽子とともに薄暗い部屋の入り口に佇むラックに預ける。
「おしゃべりのお供に、今晩は紅茶でもいかがですか?」
 この上ない満面の笑みで振り返り、跳ねるように案内する先には二人分のティーセットが並ぶテーブルが待っていた。世話役のマンボイが「お二人のために」と選んでくれたお菓子も控えめに添えてある。
 席に着いた途端、それまでゆるく唇を引いて笑顔を崩さなかった彼が小さくため息をついた。今夜も相談役の仕事を終えてきたのだろう。だったら、とそれを労うように両手でその肩に触れて首をかしげ、じゃれついて自慢げにしてみせる。
「私、上手に淹れられるようになったんですよ。あっ、貴方に褒めてもらえるにはまだまだかもしれませんが」
 謙遜、でも素直な言葉を付け加えて笑う。
 普段はマンボイがする仕事だけれど、今日は私がと何から何まで自分ですることにしている。しかも貴方が好きだと言っていた紅茶。それを差し出すことに緊張して、いつもより所作もぎこちないかもしれない。そんなことを考えるあいだに、ポットから注がれるお茶からは薄く湯気が上がり、どうぞとすすめた真っ白なカップの中で金色の水面が揺らめいている。
「ありがとうございます。では、いただきます」
 少ない明かりにぼうっと浮かぶ白い手袋がゆったりとカップに触れる。それに応えて器の立てた小さな音がやけに耳に刺さった。そのままひとくち、視線を下げたまつげが揺れるのを見つめる。
 さて。
「……ああ、芳醇な香りが生きていてとても美味しいですよ、フーカさん」
 合格のようだ。薄い器のふちへと再び唇に寄せた彼にひとまず満足する。

 これからの時間を思えばまだまだ序盤。向かいの椅子を静かに引いて腰掛ける。自分の紅茶を入れ、お菓子もいかがですかと言う準備をして顔を上げると、持ち上げられたままのカップ越しに薄い青の瞳が私を見つめていた。


 娼館オスカー・ワイルドには『サロン』という顔がある。
 
 城壁に囲まれた街で多様なマフィアが勢力を競い合う中、その喧騒に不干渉であるこの館では誰もが所属や格から解放され自由な交流が推奨されている。

 もちろん私たちだってその例に漏れず、顔を合わせては世間話をして「交流」を深めるものだ。
「カラミアったらひどいんですよ」
 いつもどおりの愚痴から始まる近況報告。カラミアさんにアクセルくん、オズファミリーの面々が変わらず元気でいること、彼らの領地が平和なこと、そして私も館の主としてやっていけていること。私たちの会話はいつもこんなところで終始する。
 少し流れを変えれば、この館のことや他のファミリーから来る客のことも聞き出せるというのに、この人は決して踏み外さない。きっと、私とは別にドリアンやマンボイとやり取りをしているのだろうし、そもそも、彼の情報網からすると私の世界など取るに足らないものかもしれない。
 確かに、私が館の中を自由に動けるようになってまだそれほど長くはない。従業員たち、と前任者、に比べれば、娼館の主人としての情報らしい情報も少ない。かわりに、マンボイやアルとのささやかな話ならいくらでも。なんて、もどかしいながらもこれまで私は駆け引きなど望まず、こうして会いに来る彼が笑ってくれるのなら良いかなと思うことにしていた。

 適度にあいづちをはさんで穏やかに笑いながらお菓子をつまみ、温かい紅茶で潤す。カップ二杯分のティーポットが冷めきった頃、ちょうど話も区切りを迎えた。

 ここは娼館。
 『サロン』ではなく、娼館オスカー・ワイルド。

 カップを空にした彼がじっと見つめてくる。斜めに流した前髪の間から光る薄い青は、どれだけ覗き込もうと感情を読ませない。目は口ほどに物を言う、とはいうけれど、氷のように堅く冷たい左目だけを通して何がわかるというのだろう。では向こうからはどんなふうに私が見えているのだろうか、その色をぼんやり汲み取ろうとしている私に、手袋をはめたままの手が伸びてきて頬をさする。
 ゆっくりと、丸みを意識させるように触れてくるのが彼だ。さらさらと滑る布。少しひんやりとしていて温度の差を感じるのは、もしかしたら私の頬が赤くなっているのかもしれない。こんなこと、どれだけの男にされてきたことだと思っているのか、いまさら照れてしまうなんて我ながらどうなのだろうと視線を手元に落としてしばらく身を委ねる。やり過ごしているそのうちに、並んだ指は唇へと向かうはずだ。
「フーカさん」
 と思いきや、そうはいかなかった。ふと顔を上げさせられ、名前を呼んだ彼の手は私の顎に添えられている。

「今日は根比べで遊んでくださるんですか?」
「はい?」
「……ふふ、まだ、ですか。いいですよ、そういうのは嫌いではありません。乗りましょう」

 顎の下をくすぐるように指先が円を描く。それに合わせて再び目を伏せると、飼い主に機嫌を取らせるネコのような気分。布に包まれた指がそろそろと肌を伝い上ってくると、真っ白な手袋にまっすぐ唇をなぞられ、色がうつってしまいますと小さく声を上げそうになる。貴方はわかっていてそうしているのでしょう、そう言ったところで野暮かと飲み込んだところで、不意にその手が真ん中で止まった。
 上と下の唇をつぶすように、指を一本、縦に押し当てられる。はたから見ると、ひみつ、という格好。何を、と目を開けて飼い主を伺う私に、ほおづえをついた彼がくすりと笑った。









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