百花繚乱 | ナノ

     7日目


 冥界に来てちょうど1週間目の今日は灰流の勧めもあり、朝から昼まで医務室で診察を受けていた。
 診断書を見つめる三つ目玉のカダが顔を上げる。柔らかい笑みを浮かべる老人に美雨はどれと視線を合わせるべきか迷う。2つなら合わせられるのだが、どれか1つは見捨てなければならない。満遍なく見る? 目が回りそうだ。

「診断結果は灰流サマに報告書として提出するけど構わないね?」
「あ、はい」

 彼は君の保護者みたいなもんだからねぇ、とカダはしみじみと言う。いつの間に灰流が保護者になったんだ。美雨自身には教えてもらえないのかと不思議に思いつつも深くは考えなかった。それよりも美雨は聞いて欲しい頼みがあったのだ。診断結果よりもそちらに気が回っていて考える余裕がなかったともいえる。

「あの、わたしに手伝えることってありませんか?」
「なんじゃ? ここでかの?」

 美雨は力強く頷く。
 次に由良に会えたら頼もうと思っていたのだが、一向に会える気配がしないのでカダに頼んでみることにしたのだ。
 怪我人とはいえカダのおかげで痛みはないし手足も十分に動かすことが出来る、何も出来ないわけではない。

「そうじゃのう……。
 灰流サマの許可を得てからじゃが簡単な薬草の栽培くらいならできるじゃろう」
「本当!? ありがとうございます!」

 ぱあっと明るく笑んだ美雨にカダは「許可を得てからじゃぞ」と念を押して灰流宛ての報告書を差し出す。許可を取りに行くついでに渡してこいということか。
 美雨は報告書を大切そうに抱きしめ、足取り軽く医務室から出ていった。

  * * *

 灰流の部屋の前で深呼吸を数回繰り返す。特に乱れていたわけでもないが呼吸を整え、気持ちを落ち着かせ、いざノックをしようと手を上げかけた時、扉が開いた。扉の目の前にいた美雨はゴンッと頭を打った。

「わわわ、すんません! 大丈夫っすか?」
「だ、大丈夫」

 扉を開けたのは灰流ではなく糸目の青年だった。三毛猫っぽい耳が生えている。妖怪か。
 鈍い音を立てた額を押さえつつ、こちらを窺い慌てる青年に美雨は微笑みかける。

「どうした?」
「灰流さん! 可愛い女の子が扉の前にいはっておでこ打ってしもうたみたいっす!」

 なんだろう、イントネーションは合ってるんだけど京訛りというわけでもなく似非関西弁に感じる。なんか胡散臭い。生粋の関西人である美雨は青年の言葉に違和感を抱いていた。
 右手で額を労りながら考えていると、左手で抱えていた報告書が奪われ、右手を掴まれ、額が露になった。
 美雨は驚いて顔を上げると思ったより近くに灰流(美形)の顔があり、ぼっと顔が火照った。掴まれている右手から早まる脈拍に気付かれそう。

「少し腫れてないか?」
「ほんまに!?」

 二匹の妖怪は美雨の額を心配しているが美雨はそれどころではなかった。高鳴る心臓が何を意味するのか美雨にはわからなかった。ただ、美形は近くで見ても美形だということを身を持って知った。

  * * *

 結局、何かに耐えられなくて気付いたら走り出していた。後ろから聞こえた二匹の声に振り返ることなく走った。

「はあ……」

 報告書は灰流が奪ったので彼の手にある。許可を得るどころか話すらしていないけれど、今の美雨には出来そうにない。

「……なんだろう、糸目の変な関西弁のせいかな」

 走り疲れたので階段の隅に腰掛けてぼんやりと冷めてきた頭で考え始めた。ああ、頭を打ったせいかな。じゃあ、糸目のせいだな。でも謝らないと。心配してくれていたのに逃げ出して。

「…………何から? わたしは何から逃げたんだ?」

 あれ? と小首を傾げる。
 美形から逃げたのか。灰流の顔が至近距離にあって焦って耐えられなくて?
 思い返すとまた頬が熱くなる。走ったせいか心臓もうるさい。

「とりあえず医務室に戻ろう」

 座っていた階段から立ち上がると、足に電流が流れるような感覚がした。一瞬いやな汗が流れたが、麻痺した様子もなく普通に歩き出せたので気にしないことにした。きっと久しぶりに走ったから疲れたのだろう、と。
 深く考えることも最悪を想定することもしないのは美雨の癖である。

  * * *

「で、報告書は灰流の手に渡ったけど許可云々の話はしていないと」
「……うん」

 医務室に入るとカダはおらず何故か久遠がいた。いつも羽織っている丈の長いパーカーではなく白衣を纏っている。もう少し賢そうな顔をしたら医者に見えるかもしれない。
 今は前髪をピンで留めているせいか普段より少し幼く見えるが、よく見れば久遠だって美形なのではないかと美雨はぼんやり考えていた。

「……美形ってなに?」
「へ?」

 急にふられた問いに美雨は声に出していたのだろうかと焦る。
 聞いた当の本人はさほど興味がないのか「まあいいや」とくるりと椅子を回し机に向き直った。何かの作業中だったらしい。

「久遠さんの瞳って綺麗な金色だよね、生まれつき?」
「んー? いや、生まれたときは茶色だったらしいよ」

 作業中に話し掛けるのは迷惑かなと思いつつも疑問をぶつけると意外にも真面目に答えてくれた。もっとふざけた答えが返ってくるものだと失礼ながらも思っていたのに。作業中だからかな。

「と、突然変異!?」
「そんなところ。
 さて、明日までに俺がカイルから許可を取ってくるから今日はもう部屋に戻ったら?」
「うん。ありがとう」

 やっぱり邪魔だったのかな。
 丸椅子から立ち上がり、出入口に向かう美雨に「防衛本能なのかよくわかんないけど、ちゃんと考えた方がいいんじゃない?」と久遠は言った。
 何を、いや、どれを?
 驚いて振り返るが久遠は机と向き合ったままだった。

  * * *

 美雨が医務室から出ていって足音が聞こえなくなったのを認識してから久遠はカーテンの向こう側に話し掛ける。

「あんたもちゃんと考えてる? あと許可ちょーだい」
「……お前は相変わらず軽いな」

 カーテンに隔たれたまま灰流は深い溜め息を吐いた。
 久遠は気にせず、カダに頼まれた薬品を調合している。それを服用するのは彼自身だ。

「で?」
「許可はやる」
「わぁーい! パパ、ありがとう」
「誰がパパだ!」
「だって美雨の保護者だろ?」

 灰流は先程より深い溜め息を吐いた。彼と話していると頭を抱えたくなる。何故かいつの間にか保護者にされているし。
 なんでこんなやつが由良の友人なのか不思議でならない。だが、彼に助けられた妖怪はたくさんいる。この城に住む妖怪のほとんどは久遠がいなければ死んでいたかもしれない妖怪ばかりなのだ。由良が友人でなければ助けようとしなかったかもしれない。祖父の教えとやらのせいで女しか助けなかったりもするが。

「足の件は?」
「まだ話さない」
「へぇー、いつかは話すんだ?」
「……話さない方がいいか?」
「…………」

 急に静かになった向こう側を不思議に思い、カーテンを開けてみる。特に変わった様子は見受けられなかった。

「久遠?」
「へ? ああ、わりぃ……何だっけ?」

 ただ、薬の調合は終わったらしく何故か裁縫をしている。針に糸を通そうとしていた。
 へらりと笑う久遠を心配して損したと灰流は少し後悔した。

  
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