6日目 『色彩』という絵本を読み、この世界は一人の母親によって作られた人工的な世界だから異世界から干渉されやすいのだと美雨は自分なりの解釈をした。 絵本を大切そうに抱きしめながら図書室に入る。 ふわりと甘い匂いがしてそちらに視線を向けると綺麗な桜色の髪をした少女が日の当たる机の上で丸まって眠っていた。起こさないように静かに少女に近付いてみると、彼女の着ているワンピースが美雨に毎日渡されるものと似ていることに気付いた。もしかしてこの子も自分と同じ境遇なのではないかと淡い期待を抱いた。 「……?」 「あ、」 「!!」 目を開けた少女は美雨を見て言葉にならない悲鳴とともに勢いよく後退った。黄緑色の瞳は驚いたように見開かれている。 「に、人間の美雨さんですか?」 不安げに美雨を見る少女の問いに肯定するために頷く。すると少女は青ざめ、何故かカタカタと震えている。 「あ、私はさくらっていいます」 「…………」 「私、新参者で妖気の抑え方わからなくて」 今にも泣き出しそうなさくらの言葉に「ああ成る程」と思うと同時に「この子も妖怪なのだ」と淡い期待は打ち砕かれてしまった。 『新参者』ということは最近まで別の生き物だったのだろうか。人間だった、とか。美雨がそんなことを考えている間に図書室に誰か入ってきた。 さくらが嬉しそうに彼の名を呼ぶ。つられて美雨も彼を見た。 「久遠さん!」 「一ヶ月ぶりー、さくら。いい子にしてたか?」 「はい!」 久遠にしては珍しく感情を表に出した明るい表情と声だった。駆け寄ったさくらの頭を撫でながら優しく微笑む。なんか父親みたいだ、とその光景を少し離れた場所から眺めていた美雨は思った。 ふいに久遠が表情をいつもの薄ら笑いに変えて美雨の方を見た。 「美雨ちゃんもいい子にしてた?」 「へ? わたし?」 何で? と混乱しかけて気付く。からかわれた。 「久遠」と咎めるような声に三人がそちらに目を向ける。そこには不機嫌そうな灰流が立っていた。 「はいはい……美雨」 「な、なに?」 いきなり呼び捨てられて少し緊張しつつ久遠を窺うと彼はパーカーのポケットから何か取り出してぽいと投げた。宙に弧を描くそれに美雨は慌てて手を伸ばして受け取った。久遠は感心したように「ナイスキャッチ」と笑い、さくらはぱちぱちと感激したように拍手を送り、灰流はそんな二人に深い溜め息を吐いた。美雨は戸惑いながら「ナイスコントロール…?」と久遠に言う。また灰流の溜め息が聞こえた気がした。 「指輪?」 「たぶん薬指です! はめてください!」 「え、うん」 投げられたものは指輪だった。 さくらに言われた通り薬指に指輪をはめるとピッタリで驚いた。 「……右か」 「カイルさん、よかったっすねぇー?」 「………………」 可愛いげのない笑みを張り付けた久遠が灰流に突っ掛かるが、灰流は凍えるような睨みを返していた。それに動じる久遠ではない。変わらず笑みを浮かべている。 美雨は右手にはめた赤い石が埋め込まれた指輪を眺めながら、さっきまで漂っていた甘い匂いがしなくなったことを不思議に思った。桜のような、どこか安心できる香りだったのに。 「美雨ちゃん」 「あ、えーっと……さくらちゃん?」 「はい! さっきはごめんなさい。改めまして猫の妖怪のさくらです」 「東雲美雨です、よろしく」 右手を差し出すとさくらは嬉しそうに微笑み、美雨の右手を両手で包み握り返した。 猫娘とは違い「猫の耳や尻尾がないから人間かと思った」と言うとさくらは「私は少し特殊らしいんです」と彼女もよくわかっていないということを教えてくれた。 そういえばさっきは妖気がどうとかで近付かなかったのにどういう心境の変化なのだろう。その疑問に答えたのは久遠だった。 「その指輪には妖気を拡散する魔法が掛かってるんだよ」 「まほう?」 「はい。だから今は私が近付いても美雨ちゃんに負担がかからないんですよ」 魔法はよくわからないが、この指輪をはめていれば美雨の周りの妖怪は妖気を抑える必要がなくなるというわけだ。これで人間だと知られて急に距離を取られることもなくなるだろう。あれは地味に傷付く。 * * * 美雨とさくらが楽しそうに話している間に灰流は久遠にだけ聞こえるであろう小声で話し掛けた。聞こえてなくても彼は聞き返すことなく答えてしまえるのだが。 「由良さまの妖気は拡散できないのだろう?」 「んー、あいつの妖気を拡散出来たなら俺は冥界に住んでたろうな……」 「そうか」 「……何か心配事でもあんの?」 不安を隠した薄ら笑いで灰流を見上げる久遠に「いや」と首を横に振る。へぇー、と興味があるのかないのかわからない返事。視線を美雨に向けて久遠は幾分か真剣な声音で話した。 「心配なら明日、カダに診てもらいなよ」 「…………」 「それから考えればいいだろ?」 あの子に話すかどうかもあんたが決めればいい、と彼は笑った。 灰流は肯定も否定も何も返せなかった。 心配事が杞憂に終わればいいのに。 * * * 「雪ちゃんに会ったんですか?」 「ゆ、ゆきちゃん?」 以前、久遠の部屋に入った時に現れた少女のことをさくらに話してみた。 綺麗な銀髪と藍色の眼を持つ、真っ白で儚げに見えた少女。 「雪女の白雪ちゃんです!」 なんだか姫を付けたくなる名前だなぁ。美雨はぼんやりと某童話を思い浮かべた。 「雪ちゃんも、私も、久遠さんが助けてくれたから今ここにいるんですよ」 「え?」 比較的に明るい話ばかりしていたからさくらの憂い顔に少しばかり動揺した。 きっと久遠に感謝をしているけれど、その反面で何かを後悔しているのだろう。それとも冥界に何かあるのだろうか。 * * * 図書室でさくらと会話を楽しんだあと(久遠と灰流はいつの間にかいなくなっていた)美雨は自室に戻った。 随分と長くお喋りをしていたらしい。昼に行ったのにもう晩御飯の時間だった。 「あ、おかえりなさい」 「ただいま」 美雨に気付くと手を止めて微笑みと「おかえり」をくれる魅麗。 一通り晩御飯を並べ終えると椅子を引いて美雨を座らせる。 美雨が「いただきます」と手を合わせるのを確認すると魅麗は話し出した。 「明日は美雨さまが此処に来てちょうど1週間になるので、お医者さまに診てもらうよう灰流さまがおっしゃっていましたが、どうしますか?」 「へ? あ、うん、そうだね。……そうする」 特に断る理由もない。 痛みがないとはいえ、普通なら寝たきりでもおかしくない怪我なのだ。診てもらった方がいいだろう。 「あと、今日の料理は久遠さまが作ってくださいました」 何気なく箸を進めていた手をピタリと止め、今まさに口に運ぼうとしていたハンバーグを凝視する。いつもより美味しいと感じながら食べていた美雨には衝撃的すぎた。 え、何あの人、プロ? シェフ? ……そのくらい美味しかった。 |