百花繚乱 | ナノ

     5日目


 夏の暑さ蔓延る昼下がり。
 適温に設定された灰流の部屋(執務室)では紙を捲る音と筆を認める音と、この場にそぐわない規則正しい寝息が響いていた。
 ソファに座っている美雨は自分の膝枕で眠る少年を見下ろす。鮮やかな赤い髪は指とおしが良く撫でやすい。
 顔を上げ灰流の方へ目を向ける。眉間にシワを寄せて書類を睨み付けている。目下、仕事中である。

「(邪魔じゃないかな、わたし……)」

 何故この状況になったのか。時間は三時間ほど遡る。

  * * *

 昨日の一件以来、美雨は紅蓮に気に入られてしまったらしい。
 もうすぐ昼という時間帯に美雨の部屋にやって「お昼ご飯をいっしょに食べよう」と提案してきたのだ。一人で食べるより誰かと食べる方が気持ち料理が美味しい。美雨は二つ返事で紅蓮に微笑みかけた。

「やった! じゃあ行こうぜ!」
「何処で食べるの? 魅麗ちゃんに言わなくて大丈夫かな?」
「あのちゃっちい猫娘になら言ったぞ」

 だから大丈夫だと美雨の腕を引っ張って紅蓮は足取り軽く部屋を出ていく。
 それにしても『ちゃっちい』ってなんだ。確かに魅麗は妖力が少ないのだと本人が言っていたけれど。

  * * *

 紅蓮に連れられて来た部屋はなんと灰流の部屋だった。
 軽いノックをして紅蓮はさっさと部屋に入って行く。美雨は入口から灰流の方を窺っていた。

「紅蓮さまから聞いている。昼食を御一緒するのだろう?」
「え、うん」
「ならさっさと座れ」

 部屋に来たことを怒られるんじゃないかと身構えていた美雨は呆然と立ち尽くす。そんな美雨を紅蓮は「こっち」と引っ張りソファに座らせ、自身は美雨の隣に座る。向かいには灰流が座っていた。ナチュラルに灰流も一緒に食べるのか。三人は「いただきます」と手を合わせた。

  * * *

 食べ終わってのんびりとした時間を過ごしていた。
 灰流の部屋でなければもっと寛いでいただろう。ソファに寝転んで微睡んでいる紅蓮のように。

「わたし、怒られるかと思った」
「何に対して怒るんだ?」
「……部屋中々教えてくれなかったし、来られるの嫌なのかなぁって」

 灰流は黙った。そこで黙られると肯定としか受け取れないのだけど。やっぱ嫌なんじゃないかと美雨は思った。
 すぅと寝息が聞こえて下を見ると美雨の膝枕で紅蓮が熟睡していた。まあ寝るだろうなと思ってはいたが。

「無駄に用もなく来られては迷惑だが、食事くらいなら別に構わない」

 驚いてすぐに言葉を返せないでいると灰流は何処からともなく取り出したブランケットを美雨の顔面に投げ付けた。「ぶっ」と可愛いげのない声を上げたが「ぼふっ」というブランケットの音に消された。何も顔に向かって投げなくてもいいじゃないか。
 灰流は何事もなかったかのように書類の積まれている机の方へ向かう。
 やっぱ怒ってる、絶対に怒ってるよ。美雨はブランケットを広げて紅蓮に掛けてやりながら眉が引くつくのを感じていた。

  * * *

 おやつ時になって紅蓮は目を覚ました。
 やっと解放された美雨は「図書室で本を読みたい」と言って灰流の部屋を出てきた。あのまま部屋にいても邪魔なだけだろう。紅蓮も自室に戻ったみたいだ。

「…………何これ、読みたくない」

 図書室で本を漁っていたが中々読みやすい本が見つからない。この世界を知ろうと思ってそれらしい本を見て回っているのだが歴史の教科書より複雑に書かれている気がしてならない。

「あ、絵本? これは小説かな? こっちは童話?」

 世界の始まりが描かれた絵本『色彩』、力を持ちすぎた悪魔と行き倒れ吸血鬼の小説『悪魔と吸血鬼』、とある王国と帝国の童話『妖精王子』、それらを本棚から抜き取り近くの机に並べてみる。ちなみにどれもこの世界で起きた出来事が書かれている。

「読みたい本はあったか?」
「か、灰流さん!? 仕事は?」
「終わった」

 三冊の本を眺めていると後ろから声を掛けられ美雨は驚いて振り返った。
 仕事を終わらせたらしい灰流は机に並べられた三冊を見て絵本を美雨に渡す。

「なんで絵本?」
「始まりが書かれている。まず世界を知らなければこの二冊は理解しがたい」
「そう、なんだ」

 『悪魔』とあるから魔界、『妖精』とあるから冥界に関係あるかと思って引っ張り出した本ではなく、特に何も考えずに絵本というだけで手に取った本を勧められた。
 美雨は少し複雑な視線を絵本『色彩』にぶつける。

「……不満か?」
「へ? あ、いや、そういうわけじゃないんだけど……」

 灰流の不思議そうな視線に上手く応えることができない。
 再度、絵本に視線を戻す。絵本だ。読みやすいだろう。さっとこの世界のことが知れるのだ。うんうんと一人で力強く頷く。

「ありがとう、灰流さん!」
「え、ああ」
「頑張って読むね!」

 灰流に向かって絵本を掲げる。
 「頑張れ」という灰流に美雨は朗らかな笑みを浮かべて「うん!」と返した。

  
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