4日目 美雨は地図をくるくると回転させたりしながら真剣に悩んでいた。 部屋から出て数時間経って気付いたことがある。もしかして迷子になったのではないのかと。何故なら此処が地図上の何処に当たるのかがわからないのだ。 「…………此処は何処?」 「うわぁ。お姉さん、迷子?」 不意に目の前に現れた少年は「だっせーの」とケラケラ笑う。鮮やかな赤い髪に色素の薄い瞳の少年は美雨の持つ地図を覗き見ている。 何故、子どもがこんなところに……。 美雨は疑問に思いながらも地図を少年が見やすいように下げる。 「え、マジで迷子なの?」 「……いや、気付いたら帰れなくなってた」 あははと笑ってみせる美雨に少年はあからさまに呆れたような溜め息を吐いた。大きく丸い瞳を半眼にしながら地図上の此処を指してくれた。 そもそも何故美雨が一人で出歩いているのかというと、魅麗と灰流のどちらともが忙しかったからである。なんでも急に仕事が入ったらしく朝から慌ただしく城内を駆け回っている。何かあったのかと思いながらも大人しくしているようには言われていないので一人で地図と格闘しながら城内を探検していたのだ。 「案内してあげよか?」 「いいの?」 「もちろん、いいぜ! おれさまは紅蓮だ」 「わたしは美雨。よろしくね、紅蓮くん!」 美雨は頼もしい案内役を手に入れたが城内が騒がしい原因はこの少年であることにはもちろん気付いていなかった。 * * * 紅蓮に城内の半分ほどを案内してもらった頃。美雨はここまで誰とも会っていないことに気が付いた。城内は騒がしいのに周りに妖怪は紅蓮しかいない。 「今日何かあったの?」 「何が?」 「なんかみんな忙しそうだから……」 気になって思い切って聞いてみた。 紅蓮は美雨を見ることなく「さあ?知らない」と素っ気なく答えた。さっきまで何か聞けば明るく自信満々に答えていたのに。 「おい、美雨。顔色悪くね?」 「……え?」 思考に耽っていた美雨を心配そうに「大丈夫か?」と気遣う紅蓮。 そういえば頭がくらくらするしどことなく気分も悪い気がしてきた。 「疲れたのかな」 「……おまえ、人の子か?」 焦ったように言う紅蓮の言葉を理解する前に美雨はその場に倒れた。 慌てて支えようとした紅蓮だったが、美雨が人間かもしれないと思うと近付けなかった。 * * * 自身の周りに小さくだが簡易結界を施して誰にも見つからないようにしていた。 結界を解いて早く美雨を医務室へ連れて行ってもらわねばと思うが紅蓮は迷っていた。結界を解けば紅蓮を探して城内を駆け回っている奴らに見付かってしまう。 そして絶対に怒られる。まだ目的を果たせていない。いや、ほぼ果たせたに近いけれど。 「…………」 ふぅと長く息を吐く。 紅蓮は意を決して結界を解いた。案内役としてだけど久しぶりに城内を回れて楽しかった。 間もなくして灰流がやって来た。横たわる美雨と少し離れたところで壁に背を預けて座っている紅蓮を交互に見て驚いている。 * * * 美雨が目を覚ましたのは日が沈んで外が真っ暗な時間だった。夏は日が沈むのが遅い。 瞬きを数回繰り返してからゆっくりと起き上がる。いつの間に自分の部屋へ帰ってきたのだろうか。紅蓮はどうしたのだろう。 「あ、美雨さま!もう大丈夫ですか?」 「うん。わたし、どうしちゃったの? 紅蓮くんは……?」 衝立の向こう側に行けばソファに座っていた魅麗が駆け寄ってきた。 状況を把握しようと疑問に思っていることを聞くと魅麗の表情が曇った。 「美雨さまは、紅蓮殿下の妖気にあてられて倒れられたのです」 「紅蓮、殿下?」 殿下とは王の親族、いわば王様以外の王族の敬称。ということは紅蓮は王族なのか? と美雨が首を傾げていると魅麗が「由良陛下のご子息です」と教えてくれた。そんな偉い方に城内を案内させていたのか。美雨は顔がひきつるのをなんとか耐えた。なんと恐れ多いことを、と内心焦りまくりである。 ――コンコン この叩き方は灰流だと美雨は気付いた。彼のノックが格別に特徴的なわけでもないが覚えてしまった。しかし待っても勝手に入ってこない。不思議に思いながら「どーぞ?」とドアに声を掛けた。 入ってきたのは灰流と紅蓮。紅蓮は灰流の後ろに隠れつつ美雨を見上げていた。 美雨が一歩近付くと一歩後退る。地味に傷付いた。 「あの、もしかしてわたし、何かしたの?」 「違う! ちがくて、美雨じゃなくておれが……」 紅蓮に直接聞くのは怖くて灰流に聞いてみると紅蓮から否定の声が上がった。だんだん尻すぼみしていく言葉を必死に拾おうと耳を傾けるが、紅蓮の言いたい言葉はわからなかった。 灰流は紅蓮の肩に手を置くとそのまま美雨の前に差し出した。 俯いてしまっている紅蓮と目線を合わせるように美雨はしゃがんで下から顔を見上げるように窺う。 「……紅蓮くん、ごめんね」 「なんで?」 「せっかく案内してくれてたのに途中で倒れちゃって、迷惑掛けちゃったよね」 「それは、おれが」 困ったように笑う美雨に悲痛そうな顔をする紅蓮。 やっと顔を上げ、こちらを見た紅蓮の言葉を美雨は首を横に振って遮る。 「それと、案内ありがとう」 「……っ! 怒ってないのか?」 恐る恐るといったふうに訊ねる紅蓮に美雨は安心させるように微笑んで「全然」と答えた。 妖気にあてられたといっても故意にじゃないだろうし、謝られていないが反省はしている、それを追い詰めるようなこと美雨はしたくなかった。 「おれ、ほんとはおまえを探してたんだ」 「え?」 「……父上があの黒猫を呼ぶほど気にかけてる人間がどんなのか気になって、なのにすぐ気付けなくてごめん!」 ごめんなさいと謝る紅蓮の頭を美雨は優しく撫でる。 これからは美雨に会うときは妖気を抑えてくれるらしい。灰流や魅麗も妖気を抑えてくれているのだろうか。そう思うと急に申し訳なさが込み上げてくる。 やはりあまり部屋から出ない方がいい。今日は紅蓮にしか会わなかったが妖怪が闊歩する場所に美雨はいるのだから。 ところで『黒猫』とは誰だろうか。『父上』は由良のことだとわかるが『黒猫』に会った覚えはない。一瞬、猫娘の魅麗かと思ったが彼女は茶色い毛をしている。どう見ても黒ではなかった。久遠の部屋にいたあの少女に続き、また疑問が増えた。この疑問はいつか解決するのだろうか。あまり関わりたくないと思う美雨には誰かに聞こうという気が起きなかった。 |