百花繚乱 | ナノ

     2日目


 目を開けると知らない天井。
 紫色の雲に日の光を遮られている冥界は一日中薄暗い。

「夢じゃ、なかった……」

 怪我が治るまでの一ヶ月、此処に住まわせてもらうことになった。
 用意された部屋のベッドはふかふかでよく眠れた。けれど、目が覚めて自分の部屋に帰れていたらと少しだけ期待をしていた。知り合いもいない、妖怪だらけの冥界で一ヶ月も耐えられるだろうか。
 美雨はベッドから身を起こし、用意された服に着替える。怪我を考慮してか簡単に着られるワンピースだった。昨日の血だらけの制服は洗ってくれるらしい。

  * * *

 コンコンというノックの後、部屋に入ってきたのは灰流だった。
 彼の後ろにいた黒髪の青年は「お邪魔しまーす」とペコリと浅くお辞儀をする。
 薄い笑みを浮かべた青年の瞳が金色だったことに美雨は驚いた。彼も妖怪なのだろうか?

「……よく眠れたか?」
「え、まぁ。多分」

 灰流に声を掛けられたので戸惑いながらも美雨は答える。
 黒髪金眼の青年はじーっと美雨を見ていた。
 初対面で熱い視線を送られるほどの変な格好はしていないと思うんだけど。

「こいつは由良さまのご友人だ」
「あ、ごめん。俺は久遠、人間だよ」

 青年は久遠と名乗ると「よろしく」と右手を差し出す。
 こちらこそ、と右手で差し出された手を握った。握手。
 美雨も名乗った方がいいだろうかと迷っていたら、久遠は灰流に話し掛けた。

「……灰流、この子は異世界人だ」
「そうか」
「へ……?」

 異世界人?
 自分を示す聞き慣れない言葉に美雨は小首を傾げた。冥界を異世界というなら同じ人間である久遠も異世界人なのか?

「僕は由良さまに報告に行く。説明は久遠に任せる」
「え、俺?」

 灰流は言い終わると颯爽と部屋から出ていった。説明から逃げたな、あの狐。
 久遠はひとつ溜め息を吐くと説明を始めるためにソファに腰掛ける。
 美雨も彼の向かいに座った。

  * * *

 そもそも美雨はこの世界とは違う世界から来たらしい。知らない世界の冥界に来たのだ。あと、久遠はこの世界の人間であって異世界人ではない。

「この世界はウォラルド・フルールっていうんだけど」

 バランスが不安定なため、異なる世界とよく繋がってしまい、色んな世界から人が来るのだ。だから異世界人は珍しくない。異世界人が自分の世界に帰ることは可能なのだが、美雨は来た場所が悪かった。異世界に帰れる施設は冥界を出て魔界を横断し海を渡った先にあるのだ。しかも妖怪は魔界への立ち入りを許されていない。

「まぁ、俺が連れて行くけど……。
 怪我人を連れて魔界横断は流石にきついなぁー」
「…………」
「ってことで君の怪我が治るまで待ってて」

 へらっと首を傾げて微笑む久遠の眼はお願いをするというより命令に近かった。
 しばらく帰れないけれどちゃんと帰れるのだから文句を言うつもりはない。怪我の治療までしてもらって申し訳ないくらいなのに。

「妖怪だらけで不安に思うかもしれないけど、いい奴らだよ」
「……そう、かな?」
「そうそう!
 ユラなんか『灰流が人の子を拾ってきたんだけどどうしたらいい!?』って俺を呼び出したんだぜ?」

 ホントいい迷惑、と悪態を吐きながらも表情は穏やかだ。
 由良は突然現れた美雨に戸惑っていたらしい。全然そんな風には見えなかったし想像もつかないのだけど。
 冥界でいちばん偉い地位にいて妖怪を束ねる主だから人間の小娘なんか気にかけるような方じゃないと勝手に思っていた。

「迷惑じゃないかな?」

 人間の美雨に冥界で出来ることなんてあるのだろうか。ましてや普通に生活するのも助けが必要かもしれない怪我人。

「ユラは『怪我が治るまで此処にいていい』って言ったんだから気にしなくていいよ」
「でも、早く出て行ってほしいってことだよね?」
「早く怪我を治して帰れってことだよ。
 冥界は人間がいていい場所じゃないからね」

 紫に変色した雲は太陽の光を与えず、大地は荒み、瘴気が充満している。瘴気が妖怪を生み出す原因だとわかっているが抑える術はない。そして人間が妖怪になることも有り得ることなのだ。
 久遠の話を聞いても美雨の不安は拭えなかった。

「暇な日にまた来るよ」
「え、ほんと?」

 思ったより明るい声が出た美雨に久遠は笑って頷く。
 美雨はあまり世話を掛けさせないためには部屋から出ない方がいいと思っていたので気さくに話してくれる久遠の訪問は嬉しかった。それに人間だし。

  * * *

 久遠が帰って数時間後。
 部屋で特にすることがなくぼんやりとしていたら、コンコンと控えめなノックが聞こえた。

「……美雨さま、いらっしゃいますか?」
「あ、はい! います」

 ノックに反応を返さなかったせいか不安げな声に美雨は慌ててドアを開けた。
 灰流のように勝手に入って来るものだと思っていたのに。
 ドアの前にいたのは可愛らしい猫耳の少女。ちゃんと尻尾も生えている。しかもメイド服を着ている。
 少女は美雨を見てホッとしたように頬を緩めると深くお辞儀をする。

「お初にお目にかかります。
 陛下より美雨さまの身の回りのお世話を任されました。
 猫娘の魅麗と申します」
「……はじめまして」
「カダさまより怪我の具合は聞いておりますのでお困りの際はこの魅麗になんなりとお申し付けください!」

 キラキラと目を輝かせて美雨を見上げる魅麗。
 戸惑いながら「よろしく」と返した。

  
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