8 久遠は立ち上がり、刀に着いた血を振り払ってから鞘に納めました。それを確認してからジャックは陣を解き、握っていた来夢の手を放しました。来夢はジャックを見ることなくジェシカのもとへ走って行きました。 「……ジェシカちゃん?」 とめどなく流れている赤い液体を目にした来夢は口に手をやり、目に涙を浮かべて、それ以上は近付けませんでした。一歩、久遠が来夢に近付くと彼女ははっとしたように彼を見て後退りました。 「俺が怖い?」 「っ違う!」 ふるふると首を横に振り否定を表しても涙は溢れるばかりで身体も震えていました。簡単にジェシカを殺した久遠が怖くないわけではないけど、それより怖いことが来夢にはありました。 来夢は一歩、久遠に近付くと今度は久遠が後ろへ下がろうとしたので彼の左手を握って止めてやりました。 「忘れたくない」 「…………」 「記憶、消さないで……! 深く聞いたりしないからっ、久遠くんがまた一人で抱え込むのは嫌だよ!」 『また』とは樹々のことだろうかとぼんやり考えながら久遠は右手を来夢の頭に乗せると彼女からジェシカの記憶を抜き取りました。 ふらっと倒れそうになる来夢をジャックが抱き留めて地面とお友達になるのを防ぎました。記憶整理をするために来夢は眠っているのです。 久遠の右手にはビービー弾くらいの小さなオレンジ色の石がありました。 「それが記憶ですか?」 「うん。欲しい?」 久遠が冗談混じりで笑って言うのを見てジャックは複雑な顔をしました。 「数日だけだから目が覚めるの早いよ」 ふいに視線を来夢に向けて言った言葉にジャックは来夢を横抱きにし、挨拶もそこそこに急いで魔王城に向かいました。久遠は笑って手を振っていました。 「久遠」 「……舞の記憶も消そうか?」 明の控えめに久遠を呼ぶ声に振り向けば、ぺたんと地面に座り込みジェシカを見たまま動かない舞を見て久遠は困ったように笑いました。そんな久遠に明はごめんなさいと泣きそうになりながら謝りました。 「私は、私たちは、久遠の能力を利用しないって言ったのに……!」 「気にしてねぇよ。明は消さなくて大丈夫?」 久遠の質問に頷いた明にありがとうと微笑みました。そして舞の前にしゃがみこんで声を掛けました。 「あたし、妖怪を殺せなかった」 「舞、」 「殺さなきゃって動きたいのに、ジェシカを助けたくて動けなくて」 「舞はそれでいいんだよ」 久遠は舞の頭を撫でで自然な動作で記憶を抜き取りました。 おはじきくらいの黄緑色の石を眺めて、何で黄緑なんだろうかと思いながら、すやすやと寝息を立てる舞に自分の上着をかけてあげました。 「久遠は強いね」 「強くないとやってらんないからな」 「そっか……鎮魂歌、歌おうか? 遺体は消えちゃうけど」 「お願いするよ」 お墓は作らないの? と明が聞くと妖怪の墓を魔界に作る気か? と鼻で笑われました。同様に妖精の墓を冥界に作れるわけがありませんでした。 明はジェシカの側に膝を付くと胸に手をあて鎮魂歌を奏でました。 * * * 目を覚ますと執務室のソファで寝かされていました。 来夢は何してたんだっけ? と記憶を辿っていました。 「確か魔王様は出張中で、私は久遠くんと仕事してたはず……」 もしかして自分は仕事中に居眠りをしたのかと思い青ざめていたら、すぐ横から聞こえてくる忍び笑いに気付いて視線をそちらに向けました。 「お目覚めですか、ライムお嬢さん」 「え? ジャック? ……何で?」 来夢は慌ててソファに座り直すとじっとジャックを見詰めました。 寝癖ついてますよ、とジャックが微笑むと来夢は自分の髪を押さえました。キョロキョロと鏡を探す来夢に「嘘です」と悪びれる様子もなくしれっと言いました。 「あれ? 久遠くんは?」 「……彼は魔王殿を一発殴りに行ったんじゃないでしょうか」 「は?」 来夢は意味がわからないとジャックを見るも彼は少し悲しそうに「久遠殿は強くて優しいのに少し馬鹿なんですよ」とまた訳のわからないことを言うので来夢は聞き出すのを諦めました。 「もし、少しでも変に感じたら慰めてあげてください」 「何かあったの?」 ジャックは首を横に振り微笑んで、仕事に戻りますと執務室を出て行きました。 残された来夢は不満げに扉を睨みました。 ふわっと窓から風が入り、牡丹の花びらが来夢の視界を横切りました。 「……窓、何で開けたんだっけ?」 終。 |