「甲板は本当に酷い有り様だったぜ。」
脳裏に蘇るは、忘れ難き件の日。それが今、リュユージュの唇から切々に紡がれて行く。
「寄せる場所もないくらいに積み上げられた首無しの死体と、狂乱状態で糞小便を垂れ流してる奴等の阿鼻叫喚でな。」
夥しい量の血液や脂肪、そして吐瀉物や排泄物の入り混じった悪臭で噎せ返る中、レオンハルトはただ黙って座っていたのだ。半日以上もの間、断首された者の鮮血を全身に浴びながら。
目の前で人間の首が刎ねられて行く様を静観していられるなど、果たして正気の沙汰だろうか。
況してや、何時、我が身に順番が巡って来るとも知れず。
「暴れも喚きもせずに俯いて温和しくしているもんだから、僕は当初レオンの存在に全く気が付いていなかった。幹部連中を連行している最中に、彼の姿を見た一人がこう叫んだんだ。『お前なら簡単だろ!?早く殺(ヤ)れ!!』って。」
危機を察知したバルヒェットが即座にリュユージュを背に庇うと同時に、レオンハルトは鈍重な動作で垂れていた首を上げて顔を見せた。
「正直、初めてレオンと目が合った瞬間━━、怖気を震ったよ。」
それはバルヒェットも同様で、視界を覆う彼の背中からも酷い緊張がリュユージュに伝わって来た。
「手足を拘束されている状態であっても、僕の喉元に喰らい付いて来るんじゃないか、と、ね。」
視線だけでも簡単に自身を仆せそうな程の、彼の琥珀色の瞳。
しかしレオンハルトは幹部の男の命令に従う素振りなど微塵も見せず、拘束具を外そうとも武器を手に入れようとも、しなかった。
代わりに、憐れむ様な蔑する様な、そんな感情を宿した瞳を男にちらりと向けただけだった。
「幹部連中は僕達十字軍を覆滅するべくレオンを指嗾しようとしたけれど、奴等の意に反して彼は従わなかった。すると途端に、口々に罵倒の言葉を浴びせまくったんだ。聞くに耐えない程のね。」
それらの一文一句は未だにリュユージュに突き刺さったままで、記憶から消す事が叶わない。
「レオンがそれまで連中にどんな扱いを受けて来たか、容易に想像が出来た。正確には、環境は僕の想像以上に最悪だったけれども…。」
彼は視線を伏せたまま、深沈だがどこか激甚とした口調で語り続ける。心緒を圧し殺している所為だろう。
「『人間が思い付く限りの拷問を受けて来た』。後でそう言ったレオンが健全な精神を疾うに失くしてしまっていたのも、無理はない。」
当時のレオンハルトは、心が生きる事そのものを拒否していたのだ。
全てに疲れ果てて、全てを放り出していた。
尊厳も、価値も、理由も。生命に繋がる、全てを。
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