「当時の俺には分からなかったが、絶望から母は精神を病んでしまったんだろうな。そして姉は━━、」
マクシムは一端そこで言葉を区切るも、語尾を詰まらせながらも続けた。
「何かしらの性病だったんだと思う。暫くすると全身に発疹が出来て、髪も抜け落ちてしまって…。ある日突然、家に帰って来なくなった。それっきりだ。生きてるのか死んでるのかさえ、今となっちゃ分からねえ。」
彼は目を伏せ、喉の奥から絞り出す様な掠れた声で更に続きを語る。
「祖父と父親は領海ぎりぎりで漁をしていたらしいと村では噂になっていたが、実際には侵犯していたんだろうな。だとすれば、それは立派な犯罪だ。」
マクシムからは普段のような人当たりの良い朗らかな雰囲気は完全に消え去り、悪意とも敵意ともまた異なる複雑な表情をしていた。
「でもな、まあ…こんなのはただの言い訳だけどよ。一介の漁師の、それも無線方位測定器すら搭載されてもねえみすぼらしい漁船だぜ?威嚇射撃で充分だったんじゃねえか…?」
ぎりっと、マクシムは歯を食い縛る。時折空く間隔は、押し潰されそうになる無念さに耐えているからか。
「罪は、罪。勿論、それはそうだ。誰しも当然、罪を犯さないで生きて行けるならばそうしたいに決まってる。だが、それじゃあやってけねえんだよ、貧乏人っつーのはな。」
上げて見せた瞳には、計り知れぬ深い闇が宿っていた。
「俺は漁業組合から出た保険金とキャンベル海軍から支払われた僅かな賠償金を全て持って、此処に来た。二人の弟を、置き去りにしてな。」
ここまで一気に語ったマクシムの面持は、より一層、悲愴を極めた陰惨なものであった。
「綺麗事を語るつもりはねえ。俺は最低の人間だ。」
吐き捨てる様に言った自分の言葉の圧力に、未だ打ち克てずにいるようだ。
悔吾の思い。
良心の呵責。
遣る瀬無さ。
様々な艱難。
その全てを受け入れ、そして責を負い、今日まで生きて来たのだ。
彼に対して安易な慰藉こそ、無礼の極み。
そう判断してこれまで無言で居たリュユージュが、漸く口を開く。
「僕がその行いを鬼畜の所業と罵れば、君は満足なのか?道徳的観念から糾弾される事はあっても、未成年だった君に兄弟の扶養義務はないだろ。懺悔したいだけなら、聖堂にでも行けよ。」
リュユージュはそう言うと、湯気の消えた珈琲に口を付けた。
「ただ、これだけは覚えておいて。」
香りが薄くなってしまった不味い茶褐色の液体を持て余すも、我慢して一息に飲み干す。
「僕の前では無理に笑う必要はないよ、マックス。」
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