「総員、操帆に集中!」

レオンハルトが檣楼から、絶壁が目前である事を知らせる。

「は!」

極めて理想に近い帆走状態で、彼等は突入して行った。



レオンハルトは風だけに依らず、暗礁によって変化を見せる波にも注意しながら、右に左に帆船を操って進行する。

彼のその優れた能力は、培われた経験と卓越した技術に加え、天性の才能がもたらすものと言えるだろう。



何事もなく通過出来そうだ、と、総員が安堵を覚えた瞬間。

マクシムがレオンハルトに向かって声を張り上げた。

「ミズン・ロイヤルがシバーしてるぞ!」

その声に、レオンハルトは後檣(コウショウ)を振り返った。

ミズンとは後檣、つまり最後尾の帆柱の事で、この最上部に位置する帆をミズン・ロイヤルと呼ぶ。

この帆は帆走状態が悪くなったときに最初に安定を崩すため、操舵員はこの帆を目安に操舵するのだ。

安定を欠いた状態の事をシバーすると言い、帆がばたばたとはためくという意味だ。

「風が抜けて裏風が入ってるだけです!速度が出ないだけで、問題ありません!」

レオンハルトは速度より進路に重点を置き、視線を前方に戻した。









天候は変わらず、快晴。

檣楼から、兵士がマクシムに報告する。

「バレンティナ公国スル・ロッホ港、確認!」

「よし、空砲。」

「準備完了です。大尉。」

「OK、ぶっ放て。」

「はっ!」

舷側の大砲から空砲が放たれた。



国際儀礼として、海軍は他国に入港する際に空砲を撃つ事を義務付けられている。

現代でこそ技術は進歩したが、往昔の時代の大砲は砲身の整備や砲弾の装填に時間を要し、一度放つとそれらを終えるまでのその間は発射が出来ない。

故に、入港直前に空砲を撃って暫くは次は撃てない事を示し、それを以て敵意の無い事を表明する行為とされたのだ。

連射可能な現代の大砲では実質的には無意味だが、その名残は今尚、受け継がれている。



その空砲を聞いたレオンハルトが甲板に姿を現した。彼は軍服に、薄手のトレンチコートを羽織った出で立ちだった。

それをマクシムが凝視している。

「何か?」

彼の視線に気が付いたレオンハルトは振り返り、声を掛けた。

「いや。お前のコートには緑色の十字架がないんだな、と、思って。」

「翡翠色の生命十字は、ルード家の定紋です。我々第二隊はそれを旗幟として掲げますが、背中に印す事は許されておりません。」

ヴェラクルースの血族は超然たる孤高の存在なのだと、マクシムは認識した。

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