序章〜二人の妖〜
月見酒をしていた鯉伴は、はらっと零れ落ちた桜にわらった・・・
年月が・・・京に結界が張られ、二百年ほど経とうとしていた・・・
其処に廊下から足音が響いて・・・玲瓏な声が掛けられる。
「鯉伴・・・ワシの酒を掠め取ったのは、お主か。」
さらっと流れる白銀の髪・・・煌めく金色の瞳・・・
其処には鯉伴の父であり、奴良組総大将の姿があった。
「悪行は善行・・・人の食事を食ってる親父が言うことじゃねぇな・・・小せぇ・・・」
その泥棒呼ばわりの自身の父の言葉を鯉伴は笑い飛ばす。
それに総大将はフッと艶然と笑うと、ドカッと鯉伴の側に腰を降ろした。
スッと鯉伴から差し出されるのは予備の杯・・・それを総大将は受け取った・・
はらり
はらり
薄紅の花弁が舞い散る中で・・・何を話すでもなく二人で酒を傾ける・・・
優美な二人の似通った妖が桜舞う縁側で、月の光に照らされ・・・酒を酌み交わしている情景が・・・美しかった・・・
そんな中、鯉伴はポツリッと口を開いた。
「なぁ・・・親父は母上が・・・人の子で・・・自分より早く死んだ時・・・どんな想いだったんだよ」
それは本家の誰もが・・・疑問に想って、けれど聞けなかったことだったかもしれない・・・
「ぬらりひょん」ともあろう大妖が・・・何故・・・人の子を選んだのか・・・
寿命も違う・・・常識も生き方も違う者を・・・
その鯉伴の言葉に総大将は深い笑みを浮かべる・・・
桜が舞っている・・・
「早く死ぬとは・・・それ程、問題でないわ・・・ワシが惚れた、愛した・・・理由はそれで充分。」
お前も分かっているだろうが、と続けられ鯉伴もフッと哀しいとも嬉しいともつかぬ様な儚い微笑を乗せる。
浮かぶのは艶麗な漆黒の妖・・・
「ああ、つまんねぇこと聞いたな・・・悪い」
鯉伴はそして酒を煽った。
妖は人とは違う・・・妖は記憶が薄れることは無い・・・
その瞬間を全て覚えている・・・
相手の姿・・・
交わした言葉・・・
過ごした風の香りも・・・
その瞬き一つさえ忘れない・・・
忘れるということは無い・・・
妖は人とは違う・・・
「忘れるってぇことが出来る人の子は哀れだ・・・そして羨ましい。」
桜が舞い散っている・・・風が二人の頬を撫でた・・・
「そうだな・・・」
呟かれた応えに鯉伴は、ただ三日月を見上げる・・・
お前に逢った時のことを、お前と交わした酒の味を・・・
口付けを交わした時を・・・抱いた時の顔を・・・
俺は全て覚えている。
その瞬き一つ忘れることは無い・・・常世・・・
俺に切り裂かれても最期まで美しくて・・・優美で・・・愛おしかった・・・
愛おしいよ、お前が・・・
ざあぁぁぁあああぁぁああぁぁ
風が桜を散らす・・・花びらが舞う・・・それは鯉伴の心を表すかのように・・・
月光に照らされて・・・妖が跳梁する夜は更けていった・・・
そして運命は再び廻りだす・・・
桜の花弁が一つ・・・池に落ちて波紋をたてていた・・・
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