この俺を誰だと思ってる
夏だった
うだるような暑さの中で、蝉が鳴いていた・・・
常世は本家の縁側でしどけない格好で横たわり、白亜に自分の足を清めさせていると・・・風が一陣吹き抜けて・・・
「風が呼んでる・・・」
途端にニヤッと笑って、常世は身を起こす。
白亜は常世の体を清めていた手を止めると溜息をついた、
「またですか・・・今回は早めに帰って来てくださいよ・・・」
常世は自由で気ままにフラッと消えたりすることが良くある。
「あぁ・・・わかってらぁ・・・」
そう言って、闇が集束すると、一瞬の後には其処に鵺はすでに居なくなっていて・・・
白亜は「仕様のない方だ」と居なくなった常世を追うように優しい微笑を顔に乗せた・・・
大きな入道雲が蒼い空に伸びていた・・・
大阪は商人の町・・・
発達した水路は様々な場所からの船を受け入れている・・・
川は商品を輸送する渡し舟で溢れかえり、人は其処かしこで威勢の良い掛け声を上げている。
其処に一人の妖が降り立っていた・・・
「随分活気があるじゃねぇか」
楽しそうに界隈を歩く漆黒の羽織を纏う者。
常世だ。
「こりゃ、都とは大分違ぇなぁ。」
彼は道行く商人風のむくつけき男共が京には居ない風体で楽しげに見ている。
ただ逆に言えば、常世の優美な佇まい・・・
伽羅の香をまとった青年は商人の町・大阪には珍しい・・・目立っていた。
どこぞの若旦那かと、振り返る女達の視線が熱い。
と、常世の視線に団子屋が目に飛び込んできた・・・基本的に人の食べ物は好きな常世がニヤッと笑う。
「あそこで一服するか」
これはまだ君が君だと知らぬ前の出会いのお話・・・
暖簾をくぐると、直ぐに「らっしゃい!」と声がかかる・・・
けっこう繁盛しているようで席が埋まっていた。
それに常世は少し瞳を見開く、
普段人の店など行かないので、
此処まで人がきゅうきゅうに店に入ってるのが面白かった・・・
しかも全員が全員、むくつけき男だ。
「お客さん、すみません。見ての通りで・・・席が外になってしまうんですが良いですか?」
茶屋の娘は可愛い、それが救いだと常世は強く想う。
むしろこの店内に居る方が辛いと思い、常世は艶然と「あぁ」と笑って答えた。
それに娘だけでなく、店内に居てこちらを窺っていた男達が息を飲んだことは気付かなかった。
夏の照りつける日差しを遮った傘の席に・・・
先客が居た・・・
優美な漆黒の髪・・・鋭い黒曜石の瞳の男。
立ち上る妖気に目の前の男が名の知れた妖であろうことが分かる・・・
相手も常世が妖だと分かったのだろう、その視線を投げてきた・・・
「ではこちらでお願いします」
と二人の少し緊張した空気も知らず、
茶屋の娘が常世に男の隣りの席へを促したのである。
それに溜息一つついて常世は団子三つ注文した。
なんだか、よく分からねぇことになった。
それが常世の感想だった。
風に呼ばれたと思って、足を伸ばした大阪で何故、妖と隣り合って団子食ってるんだ俺は。
ちらりっと相手を窺えば、注文した餡蜜を食い終わって茶を飲んでいる。
見れば見るほど整った男だった。
「おぃ、そんなに妖が珍しいかよ」
しかも突然、男が頬杖を付いて、こちらを覗き込んできたので視線がかち合って、常世は気まずい思いをする。
「んな訳あるか、阿呆」
自分が京の総大将と知らないから、この男はそんなことを言うのだろう。
すると男は一瞬、呆けた顔をすると破願した。
「てめぇ面白いな、俺にそんな口利く奴はいねぇぞ」
それはこちらの台詞だった。
「てめぇ随分小せぇ世界に住んでんだな」
皮肉の一つも込めれば、怒るだろうと踏んでみれば益々笑い出すので、常世は途惑った。
こんなにも読めない奴は初めてで・・・
でもその低い笑い声も快活な笑みも気持ちが良い・・・
夏の暑さも吹き飛ぶぐらいの爽やかな風を纏った男だと思う。
だが次の言葉で常世は固まった・・・
「てめぇ側に置きてぇな・・・俺の者になるか?」
するっと男の手が常世の頬を撫ぜる。
金色の瞳が間近に自分の瞳を覗きこんでいて、捕われるような感覚に体が震えた。
「ってめぇ、この俺を誰だと思ってる」
視線を交わしたまま、鋭く男に視線を投げると男はフッと笑った。
息が止まりそうなほどに抱擁力のある微笑。
「怒った顔もいいぜ」
そう言って、軽く触れるだけの口付けを落とされて、常世は固まる。
俺、いま男に口付けられた・・・
「じゃあな、けっこう楽しかったぜ」
あっさりと目の前の男は立ち上がったので、常世は慌てる。
「待て、てめぇ勘定払ってねぇぞ」
こういうことは義理だ。
美味い飯をもらって、お代を払う。
それで巡る縁というもんだ、と常世は思ってる。
だが男は艶然と笑った。
「あぁ俺は妖だからなぁ、払わねぇ」
じゃあなと言って、一瞬の後に風が吹き付けたかと思うと男は居なくなっていた・・・
しかも往来の人間達はそれに誰も気付いていない、恐らくそういう能力なのだ。
風のように自由に飄々とした男は、どこまでも妖らしい男だった・・・
それに常世は惹かれている己を自覚する・・・だが・・・
「・・・なめやがって・・・
今度会った時、覚えてろよ・・・」
常世はそう呟くと、「お勘定二人分たのむぜ」と店の娘に声をかけていた。
その顔には艶然と笑みを浮かべて・・・
夏の暑い日だった・・・
伸びる入道雲がどこまでも高く・・・遠く続く・・・
暑い夏の日のことだった・・・
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